新体制始動
6月17日、からりとした夏を感じさせる晴れ空。夏が近づくにつれ温暖になっていく気候の下、トリノFCの練習場では新たな選手と元の選手たちが入り混じっていた。
昨日、入団会見を終えた新加入の8人の選手は、既存の選手たちに溶け込むことなく、異色の存在として浮いている。それを遠目に見るのは、少し前に失踪事件を起こした新監督、ブラウンだ。
「いやぁ浮いてる浮いてる。僕がいないから何をすればいいのかわかんないんだね!ふふふ」
そうして呟いているすぐ隣で困り顔を見せる人物がいた。トリノFCのヘッドコーチを務めて20年、ブラウンのことも知っている敏腕コーチ、ボヌ・ティッチだ。
(はぁ…コイツは本当に人の気も知らないで…)
心中ではそう言うものの、彼を練習に無理やり行かせるようなことはしなかった。なにせ、監督に就任してすぐに、四人の選手との契約を済ませてきた無茶苦茶だが、自分がどうあがいても勝てない才能の持ち主だ。自分のような凡庸な人物の考えより、遥かにすごい考えを持っているのだろう…とボヌは思っていたからだ。しかし、実際はほとんど何も考えておらず、ブラウンがただ選手たちの戸惑う姿を見たいだけだったのだが。
(みんな何やってんだ……なんか、遠慮してるのか?)
そう考えているのは鏡夜だ。彼は現在、隣でずっと「ねぇキョウヤ!勝負しようよ!暇でしょ!?ねぇ!……聞いてる?」とやかましいルイスをシカトしながら周りの様子を見ていた。
ルイスは鏡夜を見つけると、すぐにそちらに飛んでいった。かなりなついているようだ。しかし、ほかの選手が彼に話しかけると、持ち前の愛想の良い笑顔で応対し、上手く話をしていた。これも持ち前のカリスマ性なのか、一番話しかけてくるのが多かったのはファルコだった。
その次に目に入ったのはキャンディだ。もともとトリノのユースということもあって、また強面だがその豪快な性格もあってか、すぐに先輩の元へ駆けより、挨拶をして回っていた。今は同じポジションで、ユースの先輩のフォンやリクと話をしている。
マオアーも喋りかけやすいキャラなのか、GK陣に交じって話をしている。鏡夜にはマオアーが喋りやすいとは思わなかったが。
サンタ・テレシアは挨拶をして終わると、昨季までで学んだポルトガル語でバッフォンとポルトガルトークをしていた。ピールオルは強面でドレッドヘアーとかなり厳ついが、語学に富んでいるらしく色々な選手に話しかけていた。2人ともにこやかに笑顔を浮かべており、移籍経験の多さからか話題にも困らないらしい。
逆に孤立状態になっていたのは、ジョン・ウィルソンだ。彼は最初から誰とも話すことなく、ゴールポストに寄りかかって目を閉じていた。そんな彼を訝しげに見ていたアンドレが鏡夜には気になった。
ジジ・ジュニオールは特に変わっている様子などなかったが、時々、ファルコの方を恨みのこもった目でにらんでいたことが鏡夜には気がかりであった。
ジュリエ・ダビド・アーリーはいろいろな選手と話、いや一方的に話しかけていた。今はチーム一のトラブルメーカー・マリオと何か話をしているが、その様子は一方的にマシンガントークを披露しているだけに見えた。そしてすぐに違うところへと去っていく。次の標的は鏡夜のようだ。
「ヘロウ、人斬り!お、こっちのおチビちゃんはルイス・ファルコか。なんだなんだ仲がいいな!知り合いか?ジャパンとブラジルは仲がいいもんな。あ、人斬り、今度ジャパンに招待してくれよ、あの料理が食べたいんだ、なんだっけ、忘れた。まあいいか!ブラジルにも行きたいな、俺のルーツはブラジルなんだ、まあ嘘なんだが。あ、思い出したぞ、ジャパンの名料理『カツドン』だ!アレが食べてみたいんだよ」
「え、あ、あぁ、ちょ、おま、早すぎだろ!」
「話があっちこっちしてるよー!?」
初めて会ったにもかかわらずこのマシンガントークである。アーリーの話に混乱する二人。そこに乱入してくる声があった。
「よぉ、天才くん。いやいや、素晴らしいマシンガントークだ、舌を噛んだりしてないのか?」
黒の髪を肩のあたりまで伸ばした整った顔立ち、高貴そうなその雰囲気に違わない高飛車な口調、チームの王様アンドレ・ティガーだった。
そしてその後ろには先ほどアーリーと話ていたマリオ、そしてプライドの高そうな笑みを浮かべるスウェンだった。彼らはいわゆるアンドレの取り巻きで、ほとんど一緒に過ごしている。
「おーおー、アンドレ・ティガーか。噂だけは聞いてるぜ、堕落したイタリアの王子。つまらないサッカーをする奴だってな」
アーリーは煽る。本人は煽っているつもりなどない。しかし、彼は本音を隠せない性質なのだ。
「ハッ、なんだなんだ。こんな掃き溜めに落ちてきたくせに、偉く大きな口を開くじゃないか。ガキのくせによ、調子に乗るなよ」
アンドレの目が冷たく光る。一触即発の雰囲気に包まれる中、最初にアンドレの胸ぐらをつかんだのはアーリーではなく、鏡夜だった。
「オイ!アンドレ…取り消せよ、ここは掃き溜めなんかじゃねぇよ」
「ちっ、触るなよ、ジャパニーズ。俺はお前が死ぬほど嫌いなんだ」
アンドレはガシッと鏡夜の手首をつかむ。その手に力が込められているのは嫌というほど分かった。正に一触即発。にらみ合う二人、ルイスはアタフタとし、アーリーは不敵な笑みを浮かべていた。取り巻きのマリオはどうでもよさげな目をし、スウェンは止めるべきかどうかでおろおろとしていた。
そこに大きな声が響いた。
「ヨーシ、お前ら集合しろい!」
今まで姿を見せなかった新監督の声に皆が振り向いた。隣でボヌが溜息をついているのは誰も気にしなかった。ようやく顔を出したブラウンの一挙一動に全員が注目した。
「んじゃ、いまから今日の練習の予定と、明日の練習試合の説明をする!あー自己紹介がまだだな。僕はビアレロ・ブラウン、今日から君たちの監督だ。まぁ厳密に言えば一週間ほど前からだね」
そう言いながらはにかむ。その言葉に元いた選手の何人かが苦笑を浮かべた。そして更にブラウンは続けた。
「いいか、僕が目指すチームは、観客・サポーターを笑顔にさせるチームだ。だから、君たちには仕事のほかにも自分が楽しくなれるようなサッカーを目指してもらいたいんだ。このトリノにいる間は、君たちは子供のころを思い出すかのように、楽しさを求めてサッカーをしてくれたまえ」
その言葉は、少なくとも五人の心は打った。マオアーはニンマリと笑みを浮かべ、ルイスがいつものように無邪気な笑顔を見せれば、キャンディが周りの空気も気にせず豪快に笑う。アーリーはクールに笑みを浮かべ、そして鏡夜は本当に子どものように目を輝かせて口の端をゆがめた。
ようやくブラウンのトリノFCはスタートを切った。だが、最初の試練は強い、凄まじく強いライバルとの一戦だった。