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妹にして婚約者

 スルト皇国の皇都アストラルの北部に位置する、星紅宮(ルビニウム)と呼ばれる広大な宮殿の地下。

 豪奢な建物が立ち並ぶ極めつけの高級住宅街といった様相を呈している皇居区画の歩道を一人歩いている青年の姿があった。


「アーク兄様!」


 水晶の鈴を鳴らしたような高く澄んだ声で呼び止められ、アークと呼ばれた青年は振り返った。

 聞き慣れた声、そして見慣れたシルエットを遠目で確認したアークは僅かに顔を綻ばせて立ち止まる。


「慌てて走るとこけるぞ」

「もう、そんな子供じゃありませっ!?」


 からかうようなアークの台詞に、小走りで駆け寄ってきた少女が不満を口にしたところでいきなり足を縺れさせてつんのめった。清楚な純白のキャミソールワンピースの裾がふわりと翻り、ストレートの長い髪が頭上に広がる。

 言葉ほどにそうなることを予想していたわけではないが、少女の小さな危機に対してアークの反応は早かった。右掌を少女へと突き出すと同時、瞬時に脳内で構成した”念動”の法則術を行使する。

 直後、もはや体勢を整えるのは難しいほどに前のめりに転びかけた少女の体が動画の一時停止の如く静止し、一拍の間をおいて無重力空間に放り込まれたかのようにゆっくりと浮き上がる。

 背後から腰のあたりを掴まれて持ち上げられたような姿勢で宙に浮いた少女は、事態に理解が追いつかず四肢をバタバタと動かしてもがいたものの、前方へと引き寄せられるように宙吊りの体が動き始めたところで状況を察し、大人しくなる。傍から見れば滑稽というか、うら若い淑女にとっては外聞が悪いこと夥しい光景だが、幸いにして当事者以外の目撃者はいなかった。

 アークは少女を目の前まで引き寄せたところで念動の法則術を解除し、同時に少女の体を支えるため両手を差し伸べる。

 服装上素肌がむき出しになっていたためか、両腋に手を差し込まれた少女が感触に驚いて「ひゃ……!」と恥じらいの悲鳴をあげる。しかしながらアークは少女の反応を意に介さず、両腋から持ち上げるように少女の体を支え立たせてから地面へと降ろした。


「あ、ありがとうございます……」


 一連の醜態が恥ずかしかったのか、少女は両手を胸の前で組み、やや俯き加減の気まずそうな表情で礼を言った。

 そんな少女の恥じらう様子に、アークは苦笑しつつ気安い言葉を投げかける。


「粗忽なところはいくつになっても変わらないな、カレン」


 痛い指摘だったのか、カレンと呼ばれた少女は「ひうっ」と息を飲み、肩をぴくりと震わせた。そして恐る恐るといった様子で顔を上げ、頭二つ分は背の高いところにあるアークの表情を上目遣いに窺う。


「あ、アーク兄様の姿を見つけて、嬉しくてつい……」


 健気な台詞と、羞恥に縮こまる様子が微笑ましく思え、アークは破顔してカレンの頭にぽん、と手を載せた。カレンはそれを嫌がるふうでもなく、頬を薄紅色に染めて俯く。

 身内のような、それでいて初々しい恋人同士のような親しさが見て取れるやりとりだが、実際二人は血の繋がった兄妹であったりする。


 兄の名は「ルディアーク・アンサズ・エリオルシュ・ソーマ・スルト=レ・ヴィータ・エーテリオン」。現在29歳でもうすぐ三十路という年齢だが、遺伝子改良や生物的進化、医療技術の進歩等により平均年齢200歳を超える長命種族となった人類の基準ではようやく大人として認められる年齢である(この頃の人類の成人年齢は25歳前後であるが、国家や人種によって多少違いがある)。

 顔は金髪赤眼、やや線が細いながらも鋭い眼差しが精悍な印象を醸し出しており、まともな感性を有する女性なら誰もが美形だと評価するであろう容貌だ。体躯は190センチに届こうかという長身で、均整の取れた見事な体格を有している。総じて男性的魅力に溢れた容姿と言えるだろうが、皇族という身分の高い一族において美男美女はそれほど珍しい存在ではない。

 また、銀河の外辺部に位置し、人類国家の中でも有数の大国であるスルト皇国の第七皇子にして第三位の皇位継承権所持者である。職業は軍人。

 長幼の序列より皇位継承権が高いのは、アークがスルト皇国の決戦兵器であり武力の象徴とも言える光体武装との適性を有し、使いこなすことのできる稀少な存在だからである(適性の有無が全てに優先して継承権を決定するわけではない)。光体武装と意識を繋げられるという適性を有する皇族はそれなりにいるのだが、艦隊戦闘に長時間耐えうるエーテル保有量と秒速で法則術を行使できる力量が必要、という高い水準まで求められるとなると数が途端に少なくなる。人類純血種を謳う様々な名家の中で特にエーテル資質に優れた一族と名高いスルト皇族であっても、実戦レベルで光体武装を使える人材は一世代に一人か二人生まれるかどうか。事実、皇帝の直系のみならず、皇族と認められる近親者は600人以上いるが、そのうち現存する適性者は僅か4人しかいなかった。


 一方、妹の方は「カレン・ゲーボ・ステイシア・ルーナ・スルト」といい、年齢は15歳、未だに稚気が抜け切らない年頃の少女である。

 容姿は薄桃色の艶やかな長い髪と琥珀色の瞳を持つ、ほっそりとした印象の美少女で、器量良しばかりの皇族女性の中でも特に見目麗しいと内外に評判が高い。しかしながら見た目の儚い印象とは裏腹に、性格は活発というかお転婆で、頻繁に後宮から外出しては護衛や世話役を心配させていたりする。

 第十三皇姫であり皇位継承権は十五位以下のため与えられていないが、皇后が生んだ実娘ということと、高位の継承権を持つアークの許婚という立場のため、宮廷や後宮内における潜在的地位は高い。

 なおスルト皇家においては異母兄妹間なら近親婚を是と皇族法で定めているが、実際に成立するケースは稀であり、アークとカレンにそれ(婚約)が許されたのは、極めて高いエーテル資質を持つ両者が配偶することで優秀な次世代の輩出が見込まれたことや、母親同士が姉妹で非常に仲が良く、カレンが誕生した際に共謀して婚約をごり押ししたという家庭内事情があった。


 そうした背景があってカレンはアークを妹背の君として幼少の頃より慕っているが、アークとしては歳が倍も離れていることもあって将来の伴侶というより無邪気に懐いてくる子犬のような妹、という認識である。二年後には正式に婚姻する予定になっているとはいえ、未だに妹を異性として見ることに実感の持てないアークであったし、そういう兄の態度に少なからず不満のあるカレンであった。


「俺を探してたのか?」


 言葉尻から自分に用があったのかと察してアークが尋ねると、気を取り直したカレンは顔を上げて答える。


「あ、はい。アーク兄様が出発前の挨拶にお父様のところへと伺候されていると聞いたので、そのまま皇居の自宅に戻るかもしれないと思って……」

「なるほど、それで後宮を出てきたのか。だが一人で出歩いたら危ないだろ。今頃サユリが青い顔して探してるんじゃないか?」


 回答の内容には納得したアークだったが、カレンが護衛も付けずに単身で後宮の外を出歩いていることに内心で嘆息する。ただの歩道とはいえ皇族の居住空間たるこの場所のセキュリティは高い。人影はなく、閑散としているように見えて目立たないところに監視カメラやら人感センサーやら果ては壁に内蔵された対人対物兵器やらがそこらにごまんと設置してある。なので一人でも安全といえば安全なのだが、問題なのはカレンがもしこの場所でアークと出会わなかったら、おそらく地上の皇府区画まで探しに出ただろうと考えられることだ。目の前の少女にはそれだけの思い切りと行動力がある。アーク個人としてはそうした活発さや自分に対しての素直な好意の発露を好ましく思ってはいるが、皇族の年長者としては妹のいささか軽率なその行為を咎めないわけにはいかなかった。

 ちなみにサユリというのはカレン付の侍女兼護衛(SP)兼家庭教師を務めている若くして優秀な女官であるが、のほほんとした性格をしているためか他人に軽く見られることが多い。


「一応、サユリのPDA(携帯端末)には”出かけてきます”と一言メールを入れておきました。……サユリが所用でいなかったときに、ですけれど」


 やはり後ろめたさはあるのか、カレンはアークから視線を逸らし、語調を弱めて言い訳する。

 まあそんなところだろうと事態を予想していたアークは、責めるような口調にならないよう注意しながら訊ねる。


「こっそり抜け出すような真似をしなくとも、サユリに許可を貰って一緒に探しに来るんじゃ駄目だったのか?」

「それは……」


 何か答え辛い事情でもあるのか、俯いて口ごもるカレンの態度に、あまり詮索して欲しくなさそうだと察したアークは話題を切り上げる。


「まあ何事もなかったし、今後慎んでくれればそれでいいさ」

「……ご心配をおかけしてごめんなさい」


 カレンはあからさまに安堵した表情を浮かべて胸を撫で下ろした。

 相変わらずカレン()に対して俺は甘いな、とアークは内心で自嘲するが、たまにしか会えないのだから甘やかすくらいで丁度いいか、と考えを改めて自分を納得させる。


「で、俺に急ぎの用事でもあったのか?」

「えっと、明日には皇都を出立されると聞いたので、後宮にいらっしゃるお暇はないかもしれないと思って……」


 カレンの言うとおり、アークは今日国境星域にある軍の駐屯地から皇都に戻ってきたばかりだが、ろくに休む間もなく明日にはまた皇都を出発して別の星域の紛争地帯に派遣されるという、実にタイトなスケジュールとなっている。

 アークとしてもせめて1週間くらいは休暇を寄越せと軍の首脳部に文句の一つでも言ってやりたいのはやまやまなのだが、とある星域の所有権を巡って紛争中の敵国が大規模な軍を編成したという、諜報部が手に入れてきた情報が正しければ、近日中に大規模な戦闘、いや戦争が起こるのは間違いない。既に紛争地域にはそれなりの戦力が投入されているとはいえ、敵国が本気を出してくる以上は対抗抑止力として武の要であるアークが出張るのは既定路線であった。


「それで自分から会いに来たと?」

「はい。……ご迷惑、でしたか?」


 カレンの窺うような上目遣いの問いに、アークは苦笑して答える。


「いや、そんなことはない。時間にそれほど余裕がないのは確かだし、こちらから会いに行く手間が省けたのはまあ、良かったよ」


 実際、時間に追われているとはいえ、久しぶりに帰って来たのだから親兄弟や婚約者()の顔くらいは見ておこうと考えてはいたのだ。


「良かった! ……あの、それでアーク兄様、実は一つお願いがあるんですけれど……聞いてくれませんか?」


 ぽん、と両手の平を胸の前で合わせ、露骨過ぎない程度に甘えた声を出すカレン。アークは苦笑しながら「何かな」と続きを促す。


「え、えっとですね……きょ、今日はもう遅い時間ですし、今から後宮に戻るよりはアーク兄様の邸宅に泊めていただけた方が安心かなって……ど、どうでしょう……?」


 どうでしょう、と言われてもな。常識的に考えれば駄目に決まってる。ただの妹であったなら問題はないが、生憎カレンには”婚約者”というある意味余計な肩書きがあるため、淑女的な体面を鑑みれば一人でお泊りはあまりよろしくない行為だ。そうアークは考えたものの、口にした結論は違っていた。


「別にいいぞ」

「――え?」


 即答で了承されと思っていなかったのか、カレンは意外そうな表情で目をぱちくりと瞬かせた。


「今夜泊まっていっても構わないと言っている。ただし、サユリにはその旨きちんと連絡を入れておくように」

「あ……はいっ。ありがとうございます、アーク兄様!」


 苦笑しつつ重ねてアークが許諾を口にすると、カレンはぱあっと顔を輝かせてアークの右腕に抱き着いた。

 カレンの願いを受け容れたのは、常識的に多少問題があろうとも、これくらいの我儘は叶えてやりたいという兄心からだった。婚約者とはいえ歳若い妹に不埒な真似をするつもりなどないし、世間体や風評に傷が付くほどの実害があるわけでもない。せいぜいが後宮に一時の噂話(ゴシップ)を提供する程度だろう。皇都をほとんど留守にしているアークはもとより噂話などとは無縁だし、カレンはカレンで噂が醸成する既成事実をむしろ喜んで迎合しかねない、そういった判断からだった。


 纏わり付く妹をやんわり引き剥がし、アークは腕輪型のPDAを操作してアーシアに連絡を入れる。


「と、いうわけだ。アーシア、今のやりとりは聞いていたな? カレンの宿泊の用意を頼む」

『了解しました。準備に時間はかかりませんが、折角の機会ですしプリンセスと散歩でもされてきてはいかがです? 今回の帰還では休養する間もありませんし、マスターの気晴らしには良いのではないでしょうか』


 アーシアは主人であるアークのバイタルや周囲のセキュリティなどを常にモニターしている。なので当然カレンとの会話もPDA経由で把握しており、立て板に水の如く返答には淀みがなかった。

 一方、カレンはアークとの親密な会話を他人(正確にはAIだが)に聞かれていたことを知って刹那羞恥に顔を赤らめたものの、気の利いたアーシアの提案に表情を一転させてアークの腕に再び縋りついた。


「それは素敵な考えです! アーク兄様、少し遠回りになりますけど皇立公園を経由して帰りましょう?」


 ちなみに皇立公園とは皇居区画のほぼ中央に位置する整備された自然公園で、皇族たちの憩いの場となっている。


「そうだな、そうするか」

「はいっ」


 どうせ残る予定は帰宅以外にないしな、と考えたアークは即断して頷くと、ほの暗く照明の落とされた歩道をカレンの歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。


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