墜落
青年にとって体感1秒後、宇宙船がとある宙域に――否、とある惑星の大気圏内に出現した。
コンソールポッドの透明な蓋に仮想ディスプレイが出現し、青と緑と茶色を基調としたディティールの曖昧な光景が青年の目の前いっぱいに映し出される。その途端、ズィーム、ズィーム、と重低音の警告音が船内に響き渡った。
『マスター! 惑星大気圏内にワープアウト! 地表激突まで約58秒!』
一難去ってまた一難。悪い意味でまさかの大当たりを引いてしまったらしい。アーシアの切迫した声で即座に事態を悟った青年は指示を飛ばす。
「下部姿勢制御スラスターで全力制動! 反重力ホバリングエンジンも平行励起させろ!」
『空間跳躍直前の被弾により下部姿勢制御スラスター損壊、使用不能! 現在補助機関で反重力ホバリングエンジンを稼動させてますが出力不足で重力相殺しきれません! オーバーブーストの影響で機関冷却が完了するまで主機関へのコンジット切り替えは危険です!』
「ちぃっ!」
アーシアが悲鳴のような甲高い声で矢継ぎ早に機体の惨状を報告する。その八方塞がりとも言える状況を理解した青年はコンソールポッドに身を横たえたまま、盛大に舌打ちした。
(いくら剛性の高い皇族専用艦でもこの角度と速度で地表に衝突すれば危うい。せめて船体の姿勢だけは立て直さないと……!)
大気摩擦によって赤く染まる仮想ディスプレイの光景を見据えながら、青年はその明晰な頭脳をフル回転させて思考に集中する。そして僅か数秒の思案でプランを纏めると、アーシアに内容を簡潔に伝える。
「コンジットが焼き切れてもかまわん、冷却を止めて主機関に接続しろ! 地表到達までもてばいい! 減速より姿勢制御を優先するんだ! このままだと船の両翼基部がへし折れるぞ!」
『了解! 4秒後に機関接続! 反重力ホバリングエンジン全開! 落下方向への斜角を修正、機関区との隔壁閉鎖! 地表衝突まであと9秒! マスターは衝撃に備えて下さい!』
アーシアが言い終えるやいなや、コンソールポッドの内部に衝撃緩衝用素材が注入されたバッグが展開され、青年を緩やかに包み込むことで安全が図られる。
反重力エンジンが出力を増したことで、ようやく船の落下ベクトルにコントロールを加えることが出来、地表に対して平行姿勢を取り戻す。同時に、それまでの重力落下による加速度もまた鈍るものの、猛烈な落下速度を緩めるには至らない。
衝撃に備え、青年が歯を食いしばった次の瞬間、宇宙船が地表に到達した。
ドズン!! ガガガガガガガガガ……!
衝突の瞬間、猛烈な縦揺れの衝撃が船体を襲った。そしてそのまま地滑りの如く地表の木々や岩を粉砕しながら横滑りしていく。
不幸中の幸いと言うべきか、落下地点は山谷などの凹凸がない平野部であり、約4キロメートルほど地面を削り続けたところで漸く船体が停止する。
「……止まった……か?」
身の毛のよだつ轟音と振動が止んだことで事態の収束を感じた青年が逼塞した暗闇の中でひとりごちる。
直後、青年の声を合図としたかのように周囲を覆っていた衝撃緩衝用バッグがコンソールポッド内部の縁に収納され、続いてシュッという鋭い音と共に強化電子テクタイトの蓋が中央から分かれるように頭上側と足先側に引っ込み、目の前の空間が開かれる。
青年は気だるさを感じさせる仕草で上体を起こし、「はぁーっ」と大きく嘆息し、呟く。
「やれやれ、どうやら墜落死に続いて窒息死も免れたか」
『それは私への皮肉でしょうか? マスター』
青年の台詞を己への揶揄と受け取ったのか、不満げな声で尋ねるアーシア。
危機的状況をやり過ごした直後にしては実にのんきなやり取りである。いや、直後だからこそ、かもしれないが。
「いやいや、素直な感想さ。自分の僥倖を噛み締めているところだよ」
『マスターは悪運だけは強いですから、私はそれほど心配していませんでしたが』
「ふむ。まァ俺はむしろお前が無事で済むか心配だったんだが……」
アーシアの悪態を軽く流しつつコンソールポッドから降りた青年は、「くぅっ!」と声を漏らしながら大きく体を伸ばし、長時間寝そべっていたことによる鬱憤を解消する。
『マスターのお優しい心遣いに涙が出そうです。私には涙腺ありませんけど』
「何、代わりにトイレの水でも流しとけばいいさ」
『乙女の涙がトイレの水洗扱い!? マスター、いくら私相手だといっても女性人格に対してそれはひどすぎです。デリカシー以前の問題です』
「ばっかお前、トイレと美少女の組み合わせは地球時代から人類が連綿と受け継いできた由緒正しい文化の様式美なんだぞ。トイレの花子さんって知ってるか?」
『ニッチなサブカルであれば私が知らないとでも思ったら大間違いですよマスター。それは3000年以上も前に風化したフォークロアが起源でしょう。一体そのどこに”美少女”なんて属性があるんですか?』
「かつて地球のとある国にはアキバ文化というものがあってだな」
『曲がりなりにも自分の娘をいかがわしいサブカルの登場人物と混同しないでください』
アーシアは苦りきった声音でぴしゃりと言い訳を切り捨てたが、青年に堪えた様子は全くなく、むしろ面白がってるような浮ついた表情が窺える。
その顔を確認したアーシアは、日頃のコミュニケーションによる学習効果もあって主が自分をからかっているのだと気付く。
『まったく、先ほどまで生きるか死ぬかの瀬戸際であったというのに、マスターのマイペースぶりにはいつも感心させられます』
「お世辞とわかっていても照れるな」
『褒めてません』
皮肉が一切通じないふてぶてしい青年の態度に、敬愛精神や忠誠心を全力で封印したアーシアが直截に突っ込む。もしアーシアが生身の肉体を持った存在であれば、きっと三白眼のようなジト目を青年に向けていただろうことは想像に難くない。
ちなみに青年が本気でアーシアの心配をしていたのは事実だったりするのだが。
「さて、軽口を叩くのはここまでにして、今後の事を検討しようか。まず船体状況の報告をくれ」
小規模ながらCICの体裁と機能を有したコンソールルームの4つあるシートのうち一つに腰を下ろした青年は、厳しい表情に改めてアーシアへと指示を出した。
青年の雑談と実務の唐突な切り替えに慣れているアーシアは、無駄口を挟むこともなく素直に応じる。
『船体状況ですが、地表との衝突によるダメージもあり下部姿勢制御スラスターが大破。翼部及びメインスラスターは機能残存しています。主機関及び補助機関は無事ですが先ほどの無理な使用によりコンジット接続部付近が融解。幸い内部の露出はありませんが、この状況での航行はエネルギー漏れによる誘爆の危険性があります。推進機、反重力ホバリングエンジン、ディメンジョンシフター、フィールドバリア発生装置には異常ありません。通信機器類及び船体内部機能、生命維持装置はオールグリーン。船体底部装甲の一部に亀裂がありますが、航行には支障ありません』
滔々としたアーシアの報告に耳を傾けながら、青年は内心で別のことを考えていた。
(予想以上に頑丈だったな、この船。一定速度以下であれば隕石との衝突にも耐えるなどと眉唾のカタログスペックだったが、実際にそれが事実だということを証明したわけだ。生きて皇都に戻れたら技術局の連中に礼を言うか……)
「なるほど。実質的なダメージはコンジット接続部のみで、他は問題ないということで間違いはないな?」
『そのとおりです』
「オーケー。それじゃ修理と発進プランは後で考えることにして、船外状況の調査を頼む。センサー類も当然無事なんだろ?」
『問題ありません』
「どの程度時間がかかる?」
『観測用衛星の打ち上げによる惑星地表データの全取得まで含めると数日はかかる見込みです』
「それはまた後でいい。今すぐ調べられる情報だけとりあえず頼む」
『了解しました。まず大気組成ですが、主成分が窒素76.2%、酸素22.5%という有人惑星型で、人体に有害な成分は含まれておりません。データベースに登録されている連合圏の生物環境型惑星全てと照合しましたが、一致したものはありません。データ不足により断定はできませんが、電波・エーテル波等の文明由来波長が探知できないことを踏まえて、未登録もしくは連合圏外の未開惑星である可能性が推測されます。大気に含まれるエーテルは……24.6E、これはまた特筆すべき数値ですね』
エレメントという指数は空間や物質の一定体積内に含まれるエーテル密度を表す単位で、主に大気や海水等をサンプリングして計測し、居住可能惑星のエーテル環境の指標となる。
「マジか。惑星スルトも大概高いが、20Eオーバーとか初耳な数値だぞ? 計測誤りじゃないのか?」
『機器及び採取データは正常です。この数値が局所的な可能性はありますが、偏差を鑑みても17E以上は確実かと』
アーシアの断言を受けて、青年は瞑目して「ふーむ……」としばし考え込む。
ちなみに地球の大気に含まれるエーテル密度=1Eとされているので、24.6Eというのはつまり地球の24.6倍の濃さということになる。連合圏内に約2万個存在する居住可能惑星のうち、10Eを超えるところは数えるほどしかないと言えば青年とアーシアの驚愕が何ゆえか理解できるだろう。
「それが事実ならここはまず間違いなく未発見惑星、か……。だとしたら厄介だな」
『私も同感です』
「まぁいい、とりあえずこの件は後回しだ。他の情報を頼む」
青年は学者肌な気質であったが、理知的で合理的な志向を良しとする性格でもあったため、気になったとしても重要性の低い情報や予断の出来ない物事に関しては据え置いて先に進む柔軟さを備えていた。
真剣な口調とは裏腹に、コンソールユニットの仮想ディスプレイに表示された船外の風景を好奇の眼差しで眺めながら、青年はアーシアに続きを促す。
『はい。――外気温は船体からの放熱の影響で高い数値が検出されてますが、恐らく20℃前後と推定されます。また、地質及び地熱、磁場等の地表データにつきましては……』
まるでサイエンス学会の研究成果発表のような細大漏らさない報告を聞き、気になる点は一つ一つ質問して検証しながら、青年は現状を把握していった。
結果、判明した事実ないし予測について要点を挙げると以下の通りとなる。
・この惑星は連合文明圏外に存在する未発見の星である。
・生物、特に人類が生存可能なレベルの良環境であることから、先住動物どころか知的種族までもが生息している可能性がある。
・自転周期は約26時間、現時刻は17時。
・現状、宇宙船の飛行及び大気圏外への離脱は可能だが、戦闘機動や空間跳躍は不可能。宇宙空間の航行は一応出来るが、速度がほとんど出せない為、星系間以上の長距離移動は現実的ではない。
・敵対勢力圏である可能性から救難信号を出すのは危険を伴う。また、この惑星(が存在する星系)が文明圏に属さない未開宙域だと仮定した場合、文明圏に通信が届くまでどれだけ莫大な時間がかかるかわからない。
・故障箇所の修理は不可能。
「……つまり、八方塞がりの状況、というわけだな」
『……そうなりますね』
青年が苦々しい声音で結論し、アーシアが躊躇いを帯びた口調で同意する。
(――ったく、笑えない事態になったもんだ。あいつはきっと泣くだろうな……)
望ましくない現実を受け止めた青年は、悲壮、というほどではないが、僅かに眉を顰め、難しい顔をして慨嘆する。脳裏に浮かぶのは半月ほど前、青年の所属しているスルト皇国がとある星系の所有権を巡って紛争中の前線に赴く直前の出来事だった。