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第二話 空を飛ぶ

「やってみたいこと」

 を問われて、真っ先に思いついたのは、

「空を飛ぶこと」

 だった。人体の構造上、現実の世界では、どう転がっても実現不可能だ。しかし、ここに夢というご都合主義がある。それに則り叶えるには、これほどまでに相応しい野望はない。コースケはそう思った。

 見上げると、眩しいまでに空が青い。絶好の飛行日和だった。数羽の鳥が群れとなり、コースケの頭上をはらはらと飛んで行く。

 今から、あの鳥たちと肩を並べる。もはや絵空事ではない。

 期待も高まろうというものだ。

「マジで? 飛んじゃう? 飛んじゃう?」

 と、ダッシュに尋ねる声は上擦っている。

 反面、ダッシュの関心は薄い。

「頑張ってください」

 冷めた態度で形ばかりの激励をしたきり、何も言わないのだ。

「お前はさ、もう少し俺を見習った方がいいと思う」

「馬鹿になれって?」

「冒険心を持つということだよ」

「……もしかして、僕、嫌な奴ですか」

 嫌な奴ではない。と言うより、やたらと冷めている。物事に対する好奇心が極端に薄く、また、たちまちそれを言動に表す。建前という観念が抜け落ちているようであった。いや、むしろ本音しかない。良く言えば正直者、悪く言えば薄情者、といったところか。加えて、余計な一言を口にする。だから相手の感情を逆撫でする。要するに嫌な奴なのだ。

 ということを、面と向かって指摘できるほどの大器ではない。コースケはぐっと堪えた。そして、肯定とも否定とも取れる微妙な表情を浮かべるにとどめた。ダッシュもこれぐらいの慎みを持つべきだろう。

「僕が嫌な奴だということは、あなたにも同じ部分があるというわけです。無関心で、思ったことをすぐ口にする。そういう隠れた一面が。多分、お友達も、あなたに対してときどきムカついてるんじゃないかな」

「はあ?」

「ほら、『四つの窓』ですよ。学校で習いましたよね」

 もちろん覚えている。

 昨日、心理学の授業で勉強をした。自分の性格を分析するために最も分かりやすいとして、担当教師が取り上げた手法がそれだった。

 縦に二列、横に二列の表を作り、各マス目に自分の性格を書き込む。

「自分も他人も知っている領域」

「自分は知っているが、他人には隠している領域」

「自分は知らないが、他人は知っている領域」

「自分も他人も知らない領域」

 このように、それぞれのマス目に項目がある。

 これを作成することで、自分が自分自身に抱いている印象と、他人から抱かれる印象との間に生じるずれを明確にすることが出来る。表の形を窓に見立てて「四つの窓」と呼ぶのである。

 ……が、夢の中でまで自己分析に頭を悩ませたくない。

 考えを本筋に戻そう。ダッシュの言うことを一つ一つ真に受けていたら、きりがない。一を言えば十を言い返す奴なのだから。

 さて。

 空を飛ぶ、とはどうすればいいのだろう。

 漫画などでは身一つで成している。そもそも、架空の世界における事柄を理屈で考えること自体が筋違いなのだが、それでも手本は欲しい。

 ダッシュが助け船を出した。

「ホウキを使ったら?」

 そんなものどこに、と悪態をつこうとして、コースケは言葉を飲み込んだ。目の前に大きなスチールロッカーが現れたからだ。

 ただのロッカーではない。

 コースケの教室の後ろに置かれている掃除用具入れだ。見慣れた落書きがあるので、間違いない。が、こんな物がどうしてここに。

 夢の世界に相応しい幻想的な大草原にいる。だというのに、薄汚れたロッカーが、でんと腰を据えているのである。まるで、初めからここにいるかのように、だ。この景観の違和はどうだ。

「コツを掴むまでは道具に頼るのも手でしょう」

 ロッカーの扉を開く。念入りにも、雑巾、ちり取り、バケツ、それから粉洗剤の容器といった備品が一通り揃っている。その中から一本のホウキを手に取った。

 またがり、無心になる。

 ダッシュはその様子を眺めている。

 ふと、コースケは己の滑稽な姿を客観的に考えた。一体、自分は何をしているのだろう。もう高校二年生だ。来年の春になれば最高学年だ。長男であり、一家の跡取りでもある。それが、魔法少女よろしく、ホウキで空を飛ぼうとしている。恐るべき恥辱に値するのではないか。

「一応、羞恥心はあるんですね」

 とは言いつつも、今回ばかりは、コースケに背中を向けるという優しさを見せたダッシュであった。

 実行せずに後悔するより、実行して後悔する、だ。

 コースケは気を取り直した。

 回想した。今までに目にした、魔法使いを扱うアニメや映画、そして漫画のありとあらゆる飛行シーンを脳裏で思い巡らせた。

 腰を落として柄を握り締める。体裁は、これでよし。次に目を閉じた。暗闇を見つめながら、ひたすらに意識を研ぎ澄ますが、その集中させる先が分からない。とりあえず足元にしよう。それから、爪先が地を離れるイメージを頭の中で繰り返した。

 変化はない。

 つい、この一言が口をついて出た。

「飛べ!」

 そのときだ。

 ふわり、と体が平衡感覚を失った。

 コースケは目を開けた。何と浮いている。草原を見下ろしている。

 視界の端でダッシュをとらえた。目を丸くしている。初めて目にする表情だった。その彼の、背丈よりもやや高いところで浮遊している。

 バランスが取りづらく、もがいているうちに、空中でぐるりと体が回転した。手が、ホウキの柄から離れそうになる。慌ててしがみついた。

 この際、ホウキは邪魔だ。

「やっぱり、いらねぇ!」

 手放すと、

「飛べ!」

 と、今度は天に向けて大きく叫んだ。

 途端、加速した。

 目標は太陽だ。風を切りながら上昇を続けた。しばらくするとバランスの保ち方も覚え、そうなると、次に下方が気がかりになる。

 ふと冷静を取り戻し、空を目指すのをやめた。

 足元を見下ろした。

 一番に目に入るのは鮮やかな緑である。草原が果てしなく続き、彼方の地平線は、地球の形に添って緩やかな曲線を描いている。絶景だ。

 コースケは、次に横への飛行を試みる。

 先の応用だから簡単だった。上昇と下降を繰り返しながら勢いづくと、心地よい風を浴びながら、まるで鳥になった思いがする。

 ズボンのポケットに入った携帯電話が震動した。

 ダッシュから電話だ。

「あまり遠くに行かないでください」

「分かった」

 地上では、景色が一変している。

 高層ビルが所狭しと立ち並ぶ灰色の世界だ。自由の女神のつむじを見下ろしながら、その頭上をぐるりと旋回した。つまり、ここはニューヨークだ。気がつかないうちに、かなり遠くへ辿り着いてしまったらしい。

「俺、今、ニューヨークにいる」

 と、電話のスピーカー越しにダッシュへ告げた。

 我ながら、とんでもない地理感覚だと苦笑が漏れる。

 でもいいのだ。夢なのだから。何だってありなのだ。

 つと顔を上げると、市街地の遥か後方に、一際目を引く高山がそびえている。コースケが注目したのは、その山頂だ。きらり、と輝いている。

 地上に降りると、コンビニエンスストアで小さな望遠鏡を買った。

 再度、空へ上がり、山のある方角へと視線を向けた。

 やはり頂上に何かがある。やたらと巨大で細長く、それ全体が透明であるため、太陽の光を跳ね返して、白い閃光を放っているのだ。

 コースケは、初め、それを何かしらの建造物だと思った。

 だが違った。

 とてつもなく巨大なメスシリンダーだった。

「何で!?」

 思わず突っ込みを入れたことは言うまでもない。

 メスシリンダーとは、液体の体積を量るために用いる容器だ。形は縦に細長く、円筒状で、さらに言えば、その多くがガラス製である。理化学実験で使用する物で、主に目にするのは化学室だ。少なくとも、あれほど大規模なそれが山の頂に突っ立っているはずがない。

 古今東西、聞いたことがない。

 不思議なことに、次の瞬間には、コースケはそのメスシリンダーがこの世界における何であるかを理解した。こういう道理は口で説明できるものではない。深く考えてはいけない。夢とはそういうものだ。

 あれは睡眠満足度メーターである。

 その名のとおり、コースケの睡眠の満足度を計測する装置だ。

 ダッシュにこの発見を伝えなければならない。コースケは身を翻した。

 が、引き返す途中で、彼に小さな不幸が訪れた。

 胃がむかむかとして焼けつくようだ。やがて、突き上げてくる嘔吐感となった。まさか、と思う。だが、事実、そうだろう。

 乗り物酔いならぬ、飛行酔いである。

(あれだけ飛べば仕方ないか)

 確かに自業自得だ。それは認めよう。だが、こんなところで妙に現実味を追究されても、という思いもある。何せ夢の中だ。草原に、突如、掃除用具入れのロッカーが現れる。ニューヨーク州がすぐそこにある。化け物メスシリンダーが山の上に立っている。そんな世界観ではないか。

 ダッシュの元に戻ると、コースケは膝から地について倒れ込んだ。体を丸めて草に顔を埋めた。酷い吐き気がする。唸り声が漏れた。

 ダッシュがコースケの背中をさすった。

「大丈夫ですか」

 大丈夫ではなかった。でも口を開くのさえも煩わしい。コースケは、無言のまま、首を横に振って答えた。深い呼吸を繰り返すのに懸命だ。

「もういい。起きる。夢、終わり。終わりね。それじゃ、また明日」

「いえ、僕に言われても」

「え?」

「どうやったら起きられるんですか?」

2010年6月

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