6 宮中に優しさは必要ない
その日の夜遅く、慧雪は侍女の小鈴を伴い再び辛者庫にやって来た。
小鈴が言った通り、あの後夕方から雨が降り始めた。雨は激しさを増し、いっこうにやむ気配はない。
常夜……。
雨に打たれ、ずぶ濡れになりながら、常夜は肥桶を洗っていた。食事も水も与えられず、ただひたすら、与えられた仕事をこなしている。
辛いであろうに。
けれど常夜は泣き言一つ言わず、もくもくと手を動かしていた。
「小鈴」
慧雪は小鈴に合図をする。けれど、小鈴は不服そうに眉を寄せた。
「本当にあの者にこれを渡すのですか?」
小鈴は手にした提盆に視線を落とす。中には温かい食事と桂花糕。桂花糕は常夜の好物である。そして、傷によく効く軟膏も入っている。
「行って」
小鈴は唇を尖らせた。
「分かりました。ですが、あんな落ちぶれた下女、親切にする必要があるんですか? だって、縁もゆかりもない他人なのに。同情ですか? それだったら……」
そこまで言い、小鈴は言葉を飲み込む。それだったら自分に褒美を寄こせと言いたいのだろう。
「雪答応さま」
「なに?」
「宮中に不慣れな雪答応さまに一つ忠告です。この宮中に優しさは必要ありません。優しさは他人に隙をつけ込まれます」
思わず慧雪は苦笑いを浮かべる。
たかが侍女に、貴妃として後宮を知り尽くした自分に宮中のなんたるかを教えられるとは。
だが、自分は雪貴妃だった慧雪ではなく、雪蘭として振る舞わなければならない。
「そうね、忠告ありがとう。よく覚えておくわ」
小鈴は肩をすくめ、渋々といった様子で常夜に近づいていく。近寄ってくる小鈴の気配に気づいた常夜は、作業の手を止め、顔をあげた。
「これ」
ぶっきらぼうに言い、小鈴は手にした提盆を常夜に突きつける。
「どんなつもりなのか知らないけど、雪答応さまからの差し入れ。ありがたく受け取りなさい」
提盆に手を伸ばす常夜を、小鈴は見下すように嗤う。
「これは、桂花糕……」
蓋をあけ、桂花糕を手に取る常夜の手を小鈴は叩いた。
常夜の手から菓子が落ちる。
「あらら~、せっかく差し入れを持ってきたのに落とすなんて、どういうつもり? 嬉しくないの?」
落ちた桂花糕を拾おうとした常夜の手を、小鈴は足で踏み潰す。
主から離れた場所にいるから、こちらの様子は見えないと思った小鈴はやりたい放題であった。
手を踏まれ、指の関節が軋む。痛みに常夜は顔を歪めた。
小鈴は肥桶にこびりついた糞尿を桂花糕になすりつけ、常夜の口元に持っていく。
「ほら、お腹が空いているんでしょ。私の主からのほどこしなんだからありがたく食べなさい!」
小鈴は無理矢理、常夜の口に桂花糕を捻じ込んだ。
「うっ、ぐ!」
「ほら、食べるのよ! 飲み込んで!」
常夜の口を手でふさぎ鼻をつまむ。常夜は苦しさに耐えきれず、口の中の桂花糕をごくりと飲み込んだ。
口元を手で拭い、常夜は睨みつけるように小鈴を見上げる。
「なによ、その目は! 卑しい下女のくせに!」
小鈴は常夜の頬を叩いた。
ふと、常夜は離れた場所に佇むひとりの女の姿を見る。
傘をさす慧雪と、雨に打たれる常夜の視線が絡んだ。




