4 肥桶洗いの侍女
ふと、誰かの視線を感じ、常夜は顔をあげた。視線の先に美しく着飾った少女たちが歩く姿を見る。
皇帝陛下の妃として選ばれ、この後宮にやって来た若い娘。
「懐かしい……」
試験によって妃に選ばれた慧雪とともに、常夜もここへやって来た。
忘れられない過去の思い出。
栄華を極めていた慧雪の側に仕えていた自分も、他の侍女たちから羨ましがられた。ところが主は普通の罪で殺され、自分もこのありさまとなった。あらためて後宮の恐ろしさを痛感した。
冷たい水で洗濯をし、あかぎれで血だらけの指先に息をふきかける。
「なにサボってんだい!」
つかつかと歩み寄ってきた女官長が鞭を振り上げた。
「ひっ!」
手を温めるために仕事の手をとめただけで、女官長に叱られ鞭を打たれた。
「申し訳ございません。水が冷たくて」
「水が冷たいだって! だからって、仕事をさぼっていい理由にはならないだろ?」
女官長の鞭が再び常夜の手の甲に落ちる。
あかぎれに爛れた常夜の手から、さらに鞭によって皮膚が裂け血が流れる。
「ふん! 貴妃の侍女だったからっていい気になるんじゃないよ。おまえの主は罪人。つまり、おまえもそうなんだよ!」
常夜が悔しそうな顔で奥歯を噛む。
「それが終わったら、次は糞桶の掃除だよ。サボった罰として食事は抜きだからね」
常夜は無言で立ち上がり、糞尿の桶に手を伸ばす。
「ふ、かつては栄華を極めた雪貴妃の侍女も、今は落ちぶれた肥だめ桶洗い。みじめね」
「罪人の侍女だもの、お似合いよ」
「そうね。雪貴妃も死んだことだし、常夜は一生、辛者庫で惨めにこき使われ死ぬだけ。哀れよね」
常夜は陰口を無視し、桶を洗い始める。
桶にこびりついた糞が飛び散り、顔にはねた。衣の袖にも汚れがつく。
「泣いて許しを請うかと思えば、なによあの生意気な態度!」
常夜の態度が気に入らなかったのか、宮女たちは顔を見合わせ眉をひそめた
「気に入らないわ。ほんと、雪貴妃も陛下の寵愛をいいことに、我が儘言い放題でいい気になっていたそうじゃない」
常夜は手を止め、主を悪く言う女官を睨みつけた。
「その目はなに!」
宮女の一人が常夜の頬を叩く。即座に常夜は、叩いてきた相手の頬を仕返しとばかりに張り倒す。
常夜の気の強さはここに追いやられても変わっていなかった。もっとも、そうでなければ、ここまでどん底に落とされても、生きてなどいられないだろう。
「なにするのよ! 実際、おまえの主はとんでもない女だったじゃない。そんな主に仕えていたおまえも同類よ」
叩かれた宮女は頬を押さえ涙ぐむ。常夜はかつて仕えていた主の悪口を言う宮女の胸ぐらを掴んだ。
「私のことは何を言われてもかまわない。けれど、雪貴妃さまのことを悪く言うのは絶対に許さない。それに、雪貴妃さまは無実。陛下を裏切るような真似はしていない!」
「は! 聞いた? 許さないだってさ」
「肥桶洗いのくせに、なにさまのつもりなんだろうね」
そこで数名の宮女たちと常夜はとっくみあいの喧嘩を始めた。宮女たちはよってたかって常夜を叩き蹴り飛ばす。
「おまえたち、何をしているんだい!」
騒ぎを聞きつけ、女官長が再び駆け寄ってくる。
「女官長さま! 常夜がさぼっていたので注意をしたら、反対に怒りだして叩いてきたんです」
「嘘言わないで! あなたたちがちょっかいをかけてきたのでしょ!」
「ひどい……」
常夜に叩かれた宮女は、頬を手にあて涙目で女官長に訴える。
「私は注意しただけなんです……本当です!」
涙ながらの宮女の声に、女官長は常夜を睨みつけた。
「罪人に仕えていたおまえを、ここで引き取り働かせてやっているんだ。それだけでも感謝するべきなのに、なんて生意気な態度をとるんだい! 桶掃除が終わるまで休むことは許さないからね」
そう言って女官長は去って行った。
「いい気味ね」
宮女たちはざまあみろとあざ笑い、常夜の足を踏みつけた。
「ほんと、いつまでも侍女気取りでいるのかしらね」
「さっさといなくなればいいのに」
「ふん、どうせそのうち首でも吊って死ぬかもね」
「それは勘弁よ。私たちに迷惑がかかるじゃない」
「相手にするのはやめましょう。それよりも夕餉の時間よ」
そんなやりとりを交わし、宮女たちはこの場を去って行った。
常夜は足元に残された大量の肥桶を見渡し息を吐く。
「今夜中に終わるかしら」
思わず独り言がもれる。




