30 試験を受けるのは私
それから着々と慈桂の選抜試験の準備が整えられた。
慈桂には新しい衣が用意され、装飾品も整えられた。そして、いよいよ試験前日を迎えたその夜、突然、慈桂が高熱を出したのだ。
「明日は試験だというのになんてことなの。おまえたち! 大切な時期に慈桂の体調管理をおろそかにするなんて! このまま熱が下がらなかったら、おまえたち全員売り飛ばしてやるから!」
「申し訳……」
「いいから、はやく医者を呼んできなさい! この町一番の名医を呼ぶのよ!」
如琳は奴婢たちを叱り飛ばし、医者を呼べと命令する。
程なくして、医者が屋敷に駆けつけ、慈桂の診察が行われた。
「熱はさがるのか?」
事態を聞きつけ、黄渓も部屋にやって来た。
医者は分からないと首を振る。
「なぜ分からない!」
黄渓は声を荒らげた。
「お、おそらく緊張のせいではないでしょうか」
「たかが緊張でこんなに熱が出るというの! 誰か、他に医者を呼んできなさい。こんなやぶ医者ではなく、腕のいい医者を!」
腕のいい医者を連れてこいと言われ、慈桂を診た医者は肩身の狭い思いで縮こまる。
苦しそうに息をする慈桂を見つめ、黄渓は頭を抱える。
「これはまずいぞ。このまま慈桂の熱が下がらず、試験を受けられなければ、私は罰せられる。どうしたらいい!」
相変わらず、熱で苦しむ娘の体調よりも、黄渓は己の身の保全を気にしている。
「ち、父上……私は大丈夫です。必ず試験には行きます。だから、安心してください」
寝台から起き上がろうとした慈桂だが、すぐにその場に崩れ落ちる。
「しっかりしなさい、慈桂! こんなことで弱音を吐くのではありません!」
如琳は、具合の悪い慈桂の肩を掴んで揺する。
「うう……っ」
「どうしたらいい! どうしたらいいのだ!」
黄渓は頭をかかえたまま、部屋を歩き回った。
「ご心配なさらず。私が試験を受けます」
その声を聞き、その場にいた全員が振り返った。
戸口に立っていたのは雪蘭であった。
「予定通り、私が選抜試験を受けます」
「何を勝手なことを。試験に行くのはあたしだって決まっているの」
雪蘭は半眼で慈桂を見下ろす。
この娘が雪蘭を殺そうとした人物。
雪蘭の思いが胸のそこから込み上げてくる。
「そうは言っても、今のお義姉さまに試験を受けられるの?」
「できるわ! 皇帝陛下の妃になるのは、あたししかいないの!」
慈桂はあくまで強気だ。
雪蘭はくすりと笑う。
「皇帝の妃になる? お義姉さま、それ本気でおっしゃっているの?」
「なんですって!」
「宮廷はお義姉さまが思っているほど甘くはないのよ」
慈桂は唇を歪めて嗤う。
「まるで知ったふうな口を利いて、おまえこそ何が分かるって……っ」
慈桂はお腹を押さえた。
「お義様、大丈夫? 隠れて何か悪いものでも食べたのかしら。庶子とはいえ、徐家の令嬢。意地汚いのね」
意地汚いと言われ、慈桂は顔を険しくさせた。が、腹の痛みには我慢できず、真っ青な顔でこの場から立ち去って行く。この状態では試験を受けるのは難しいだろう。そう思った黄渓はぎりぎりと唇を噛んだ。
「しかたがない」
体調の悪い慈桂を試験に行かせるわけにはいかない。失態をすれば恥をかくのは目に見えている。こんなつまらないことで、笑いものになるわけにはいかなき。
黄渓は雪蘭を見る。
そもそも、最初は雪蘭が試験を受ける予定だったのだから問題ないはず。
再び慈桂が部屋に戻って来た。
腹の痛みにこらえきれず顔を歪めている。おまけに吐き気もあるのか、口元を押さえていた。顔色は悪く、ひたいには脂汗が滲んでいた。
「邪魔しないで! 試験を受けるのはあたしよ!」
「お義姉さま、そんな状態では試験会場に行くことさえ困難でしょう。仮に試験会場についたとしても、試験を受けられるか。失態して徐家に迷惑をかけるのは目に見えているわ」
「な!」
声を上げた瞬間、慈桂はうっと嘔吐く。
慌てて側にいる慈桂の侍女が主の背中をさすった。
「慈桂さま、部屋に戻られたほうが。お医者さまも安静にしたほうがいいとおっしゃっていました」
「はあ? うるさいわね! 誰にものを言っているの!」
侍女の手を慈桂は振り払う。慈桂の爪が侍女の右目を傷つけた。悲鳴をあげ侍女は目を押さえその場にうずくまる。
「ううう……っ!」
呻く侍女を慈桂は蹴り飛ばした。
「そんなところにいたら邪魔よ。あっちに行きなさい。誰か、この女を連れ出しなさい! 板打ちの刑50回よ!」
「ひいい! お許しください慈桂さま。50回も叩かれたら死んでしまいます」
侍女は泣きながら懇願する。
「ええ、死ななかったら、おまえの罪を許してあげるわ」
「慈桂さま!」
侍女は、やってきた奴婢たちに引きずられ部屋を退出する。
「雪蘭!」
慈桂が指を突きつけてきた。
「試験を受けるのはあたしよ。邪魔をしないで」
「ですが、それを決めるのは父上よ」
「父上ぇ」
慈桂は甘えた声で黄渓にすり寄る。
「ううむ」
黄渓は唸った。
「父上ぇ~後宮に行くのは、試験を受けるのはあたしだと言いましたよね」
黄渓は苦い顔で慈桂から視線をそらす。
「雪蘭」
「はい」
「試験に行くのはおまえだ。おまえは徐家の長女、必ず陛下の目にとまるよう努力するのだ。いいな」
雪蘭は頭を下げた。
「もちろんです」
「父上!」
「慈桂、おまえは部屋に戻り養生しなさい。誰か、慈桂を連れて行け」
黄渓の有無を言わせぬ口調に、慈桂もそれ以上何も言えなくなったようだ。慈桂は悔しそうに雪蘭を睨みつける。
「さあ、慈桂さま」
奴婢が慈桂を促す。
「部屋になんか戻らない!」
「黄渓さまのご命令ですよ」
父の命令と言われてはこれ以上ごねるわけにはいかない。慈桂は渋々部屋から出て行った。
雪蘭、否慧雪の胸が高鳴る。
あり得ないくらい心臓の音が鳴っていた。
後宮に行ける。
私を殺した者たちに復讐できる。
試験を受けるのが慈桂だと決まっているのなら、行かせなければいい。
慈桂、私は薬草に詳しいの。あなたがいつも飲むお茶に薬を混ぜたわ。しばらく熱が下がらず、下痢が続くけれど、身体に異常はないから安心しなさい。
そう、簡単には殺さない。
雪蘭のためにも、慈桂には屈辱的な死を与えなければいけないから。
黄渓が厳しい目でこちらを見据える。
「雪蘭、必ず後宮に入り、徐家のために尽くすのだ」
雪蘭は心得ていますと、黄渓にお辞儀をする。
後宮に行けないのなら、この身を雪蘭に返すつもりだ。
そのくらいの覚悟で、慧雪は試験に挑むのだ。
慧雪は徐家の廟堂で、亡くなった雪蘭の母に手を合わせた。
雪蘭の母はどんなに辛い思いをしても、周りの者たちを恨んでいけないと言っていた。だがその結果、彼女は毒を盛られ殺された。そして雪蘭も殺された。
「必ず、あなたたちを虐げた者たちに復讐をします」
慧雪は立ち上がり廟堂を出ようとする。
『雪蘭に親切にしてくれて感謝しています。けれど、復讐などおやめなさい。あなた自身のためにも』
ふと、そんな声を聞き慧雪は振り返った。
人などいない。
「気のせいね」




