28 あの時、死んだ私は
徐雪蘭。
それが、今の私の名前だ。
数日前、後宮を支配する紅妃の罠に嵌められ、毒酒を飲まされた。
だが、尸門に捨てられた慧雪には、まだ息があった。そこで怪我を負った雪蘭と出会う。
医者に診せれば雪蘭はまだ助かる。彼女の手を握り、生きる希望を持つよう語りかけた。が、雪蘭は死を望んだ。
瀕死の状態の慧雪は生きることを願い、一方、生きる希望を失った雪蘭は死を選ぶ。
ならば、その身体を私に預けて欲しいと慧雪は言う。
そして、奇跡が起きた。
死んだ慧雪の魂が、雪蘭の魂の抜けた身体に乗り移ったのだ。生きることに執着する慧雪の思いが、生と死の理を覆した。
したがって、今ここにいる雪蘭は今までの彼女ではない。
雪蘭の身体は慧雪のものとなった。
目を吊りあげ、黄渓は大股で雪蘭に近づき手を振り上げた。次の瞬間、雪蘭はその場に崩れる。
激しく頬を叩かれ、耳の奥がじんと痛んだ。
雪蘭はゆっくりと立ち上がり、視線をあげ目の前に立つ父を見上げる。
この男が雪蘭の父、徐黄渓。
「この大事な時に今までどこに行っていた! おまえという奴はどこまで徐家に迷惑をかければすむ。一族の恥さらしめ!」
黄渓は、姿を消し屋敷に戻らない娘のことを心配するどころか、徐家の恥さらしだと罵る。
クスリと嗤う声が聞こえた。
如琳と慈桂が嗤ったのだ。
屋敷の対面ばかりを気にする、徐家の当主。
最低な父親。
今までの雪蘭なら泣いて父に詫びたでしょう。けれど、私は雪蘭ではない。
雪蘭はその場にひざまずいた。
「父上、申し訳ございません。五日前、突然何者かに命を狙われ怪我を負いました。その後、河に落ち流されたのですが、とある親切な方に助けられ奇跡的に命拾いをしました。今までその方の家で養生していたため、すぐに帰ってこられなかったのです」
これは本当だ。
黄渓は怒りで顔を真っ赤にする。
「命を狙われただと? 嘘をつくならもっとまともな嘘をつけ! 本当は黎飛とかいう男と一緒にいたのだろう! 汚らわしい娘だ!」
「雪蘭さん、好きな殿方と一緒にいたい気持ちは分かるわ。けれど嘘はだめ。さあ、旦那さまに謝り許しを請いなさい。罰を軽くしてもらうのよ」
物わかりのよい義母を演じ、如琳は優しい口調で雪蘭を諭す。
「いいえ、嘘は申しておりません」
雪蘭は着ていた衣の襟口に手をかけ、脱いで背中を見せた。そこには剣で斬られた痕が残っている。まだ癒えていない傷口が生々しい。
「そ、その傷は……いったい」
黄渓は驚きに言葉をつまらせた。
まさか娘が、そんな大変な事態に陥っていたとは思いもしなかったから。
雪蘭はちらりと慈桂に視線を走らせる。青ざめた義理の姉の顔を見やり、雪蘭は薄く笑い衣服を着直す。
「けれど父上、ご迷惑をかけたことにはかわりません。このお詫びは宮廷に行き、徐家の繁栄のために尽くすことでお返ししたいと思います」
傷のことには答えず、雪蘭はまぶたを伏せた。
黄渓は眉根を寄せる。
「あれほど、選抜試験を受けに行くことを嫌がっていたおまえが急にどうした」
「はい、これまで我が儘を言い申しわけございませんでした。父上が決めたことに従い家のために尽くすことが、嫡女たる役目であることにようやく気づいたのです」
秀女試験を受けられるのは都合がいい。
再び後宮へ行けるのだから。
必ず私はあの魔宮へ戻る。
以前の雪蘭は試験を受けたくないと言っていた。だが、雪蘭の身体になった慧雪は復讐するために宮殿に行くことを願っている。そのためにも、秀女選びに合格しなければならない。
しかし、黄渓は首を横に振る。
「分かればいい。だが、試験を受けるのは慈桂に決まった。慈桂は花憐の養女となり、徐家の正妻の娘となった。行く先も分からず消えたお前にもう用はない。だが、おまえには徐家のために役立つ縁談を用意してやろう」
「そうよ雪蘭。あなたの役目は私がしっかりと受け継ぎ、果たしてくるわ」
黄渓はうむと頷く。
「慈桂や、必ず陛下のお心を掴み妃として選ばれるのだ。おまえならやれる。分かったな」
「はい」
慈桂は胸を張って言う。
今まで、庶子として皆から侮られてきた。
だから、後宮に行ってのし上がり、これまでの屈辱を晴らし、周りを見返してやる。
黄渓はゴミくずを見るように雪蘭を見る。
「下がれ」
黄渓の言葉に、雪蘭は頭を下げ部屋を出る。
慧雪の心を持った雪蘭の身体。
だが、不思議なことに雪蘭の記憶は残っている。
雪蘭の母はどんなに辛い思いをしても、旦那さまや如琳を恨んではいけないと言っていた。だが、その結果、花憐は如琳の企みで毒を飲まされ続けてきた。身体が弱った花憐は子を身ごもっても産むこともできず死んだ。
この屋敷の者に殺されたのだ。
性悪の如琳と慈桂。
父親として最低の黄渓。
雪蘭、必ずこの三人にも復讐をすると約束するから。




