3 来世こそは、あなたと結ばれたい
「出ろ。時間だ」
刑吏に背を向けていた慧雪は、袖口からあるものを取り出した。
丸薬であった。
獄吏に気づかれないよう、それを飲み込む。
「何をしている、聞こえなかったのか。さっさと来い!」
刑吏に引きずられ慧雪は牢から出された。裸足で処刑場へ向かう。
足が鉛のように重い。
身体が熱く、目眩がする。
「さっさと歩け」
「っ!」
足を引きずりながら歩く雪貴妃の背を、刑吏が容赦なく鞭で打つ。衣が破れ、皮膚が裂けた。背に一筋の赤い痕が浮きあがり、血が流れる。
「止まるな!」
足をもつれさせ歩みを止めると、容赦なく刑吏の鞭がおろされる。
慧雪は歯を食いしばり、倒れそうになるのを足を踏ん張って堪えた。
後宮の妃が人前で処刑される。それも皇帝陛下の一番の寵妃が。
こんな屈辱があるだろうか。
処刑場に到着すると、強引にひざまずかされた。
慧雪は目の前に座る李鶯陛下を見上げる。
口を開こうとする慧雪の言葉を遮るように、李鶯陛下がさっと右手をあげた。と同時に紅妃の侍女、蝶児が酒杯の乗った盆を手にこちらに歩み寄る。
毒杯だ。
蝶児は無言で杯を差し出してきた。その唇が歪んだ嗤いを刻む。
慧雪は周りを見渡した。
血の気が引く。一瞬、意識が飛びそうになった。
大勢の者がかつての寵妃だった雪貴妃の処刑を見るため、この場に集まっていた。皆、慧雪を指差し笑っている。まるで、最高の見世物を楽しむかのように、彼らの目はギラついていた。
はっと我に返り、慧雪はもう一度李鶯陛下を見る。
この機会を逃すわけにはいかないと、慧雪はまくしたてるように陛下に訴える。
「聞いてください陛下。お腹に陛下の子がおります。三ヶ月です。どうかこの子のためにも、私の話を聞いてください」
辺りがどよめきたった。
それが本当なら一大事だ。お腹に陛下の子がいるとなれば、慧雪の刑も取りやめになるはず。
慧雪の告白に李鶯陛下は目を見開く。その瞳の奥に情が揺らいだのを慧雪は見逃さなかった。
「朕の子……それは誠か?」
はい、と慧雪は頷く。
「それが本当なら、そなたの処刑は……」
「お待ちください陛下」
しかし案の定、即座に紅妃が待ったをかけてきた。
「侍衛と密通した女です。お腹の子が陛下の子だと言い切れますか。いいえ、その前に本当に子がいるのかも疑わしいもの。雪貴妃が懐妊しているか確かめるべきですわ」
確かに、と李鶯陛下はあごに手を添え唸る。
「うむ。太医をここに呼べ」
「馮太医を呼んできなさい」
紅妃に呼ばれ、即座に馮太医が現れた。
まるで示し合わせたかのように。
ひょろりとした風貌にちょび髭。抜け目のない目つきをしたこの男は、紅妃が懇意にしている医師だ。
「雪貴妃が懐妊しているか脈を調べろ」
「かしこまりました」
皇帝陛下に命じられ、馮太医は慧雪の手首に指をあてる。
脈をみる馮太医の顔が次第に難しいものになっていく。首を傾げては眉根を寄せ、指先に集中するかのように目を閉じる。
時間をかけて脈を確かめていた馮太医は、雪貴妃から離れ、皇帝陛下に拱手をする。
「申してみよ」
馮太医は恭しく皇帝陛下に頭を垂れる。
「お答えします。貴妃さまに懐妊はみられません」
再び、辺りがざわついた。
「そんなはずはないわ!」
慧雪は唇を震わせる。
確かに子ができた。三ヶ月だと太医に言われた。月のものはなく、悪阻もある。
慧雪はお腹に手をあてる。
間違いなく、お腹に陛下との子がいるのだ。
紅妃はくつりと唇を歪め、口元に手を当てた。
「雪貴妃、どれだけ罪を重ねるのかしら。懐妊を偽ることも重罪だということは知っているでしょう」
「馮太医、もう一度脈を診て!」
「それは、その……」
馮太医は困った顔でひたいの汗を拭う。その袖口にきらりと光るものが見えた。
銀子であった。
おそらく懐妊は偽りと言え、そう紅妃に命じられ渡されたのだ。そうに違いない。
「私は本当に陛下の子を……そうだわ、他の太医を呼んでもう一度調べて!」
「雪貴妃、見苦しいわよ」
紅妃がさっと手をあげた。
それを合図に毒杯を手にした蝶児が再び詰め寄ってくる。差し出された杯を見て慧雪は首を振る。
「いやよ、この子を殺させはしない!」
助けを請うよう陛下に視線をやる。だが、数日前まで慈しんでいた寵妃を、今やまるで汚物でも見るかのように醒めた目を向け、皇帝陛下は衣の裾をひるがえしこの場を立ち去る。
「陛下、信じてください。私は陛下を裏切ってはおりません!」
「雪貴妃、いつまで寵妃気取りでいるのかしら。いい加減あきらめてそれを飲みなさい」
慧雪は紅妃を睨みつける。
「紅妃、あなたが仕組んだのね」
「いったい何のことかしら」
含み笑いを浮かべた紅妃は、手にした手巾をさっと振る。
「はやく飲ませなさい」
「さあ、口を開けろ」
「やめて、お願いやめて! お腹に子がいるの! ううっ」
蝶児に顎を掴まれた。きつく唇を閉じると今度は鼻をつままれる。息苦しさに耐えきれず口を開くと、無理矢理、酒杯の中の液体を口の中に流し込まれた。
「げほっ、ごほっ!」
熱い。苦しい。息ができない。
流し込まれた毒が、胃の腑に落ちていく。
宮中になど来たくなかった。
皇帝陛下の妃など望んでいなかった。
寵愛なんていらない。
どんなに貧しくても、普通の人生を送りたかった。そして、心から愛する男性と。
――慧雪……。
ふと、自分の名を呼ぶ声を耳にしたような気がした。
慧雪の瞳に一人の男の姿が映る。
「星辰さま……」
慧雪の目から涙が落ちた。
星辰と呼んだその男は、唇を噛みしめ、握った手を震わせていた。
慧雪が心から愛し、将来を誓い合った、ただ一人の男性。
こちらに駆け寄ろうとする星辰を、雪貴妃はだめ、と首を振ってとどめる。愛する人を巻き添えにするわけにはいかない。
本当はあなたの妻になりたかった。
あなたと一生を添い遂げたかった。
どうか悲しまないでください。
星辰さま……来世こそ、あなたと結ばれることを願います。
遠のく意識の中で、紅妃が勝ち誇ったように笑う姿を見た。
私はこの女に嵌められ殺される。
さらに、紅妃の側で唇を歪める侍女の蝶児。
目をそらす馮太医。
それだけではない。
私に敵意を剥き出し嫌がらせをしてきた後宮の女たち。私に仕えていながら裏切った太監。権力で私を排除しようとした公主や皇太子、その友人。
そして、私を信じようとせず処刑を命じた陛下!
望みもしない皇帝陛下との婚姻によって、愛する星辰と引き離された。
後宮に押し込められてからは、常に命の危機に怯えながら暮らす毎日に身も心も疲弊した。
ようやく子ができ、生きる喜びを得た。なのに、ありもしない疑いをかけられて殺され、大切な子さえ守れず失う。
これでいいの?
悔しい。
慧雪は鋭い眼差しを紅妃に向けた。
怒りがふつふつとわき上がる。
絶対に許さない。いいえ、私を陥れた者、全員許さない。
復讐してやる。
深い恨みを抱き、雪妃の意識は途切れた。
地面に倒れた慧雪の髪から、一本の簪が落ちた。
紅妃はそれを手に取る。
雪貴妃の称号にちなんで作られた雪の結晶を模した簪。
陛下から下賜されたものだ。
「いい気味だこと。陛下の寵愛を独り占めするからこうなるの。ふふっ、これで邪魔者はいなくなったわ。ふふ……あはははははははは!」
荷車に乗せられ、運ばれていく雪貴妃の遺体に、紅妃は簪を投げつけた。




