22 愛する人と結ばれたい
雪蘭はあ! と声を落とす。
確かにそうだ。
妃に選ばれるには容姿はもちろんのこと、聡明で歌や踊り、教養のある者だ。
どうしてそんなことに気づかなかったのだろう。そもそも、自分程度の器量で試験に合格するはずがないのに。
「ふ……」
雪蘭は思わず笑いをこぼす。
心の中にかかっていた黒い霧が、いっきに晴れた気分だ。
美しくもなく何も取り柄がない、そんな自分が皇帝陛下の妃に選ばれるはずがない。
雪蘭はごしごしと涙を拭う。
いったい、私は何を悩んでいたのだろう。
「ありがとう、黎飛。どうしてそんなことに気づかなかったのかしら。私なんか、妃に選ばれるわけがないのに」
黎飛は首を振る。
「何言ってる! 雪蘭は可愛いぞ、雪花草みたいに清らかで可憐で健気で、それに優しい。だから、雪蘭が妃に選ばれやしないかと心配なんだ」
一気に言い、黎飛は顔を赤くする。
「ありがとう……」
照れたように頬を赤く染め、雪蘭は黎飛から視線をそらす。恥ずかしくて相手の顔をまともに見られない。
「黎飛にそんな風に言ってもらえて嬉しい」
黎飛は視線を斜めに落とし、小声で言う。
「俺は、雪蘭のことが好きだから」
「え? 今なんて言ったの?」
「……ずっと、好きだった」
「聞こえないわ」
「雪蘭」
黎飛の真剣な目に見つめられ、雪蘭は息を飲む。トクンと胸が波打つ。
「どうした……の?」
ふいに黎飛に肩を掴まれ引き寄せられた。倒れ込むように相手の胸に身を預ける。そのまま黎飛の腕に抱きしめられた。
見上げると、黎飛の顔が間近にあり、雪蘭は頬を赤く染める。
「雪蘭を娶りたい」
「黎飛……」
「雪蘭の思いを聞かせて欲しい」
雪蘭は頷いた。
「私も黎飛と一緒になりたい。それが私の願い」
満面の笑みを浮かべた黎飛に、さらに強く抱きしめられる。
「よかった! 本当によかった!」
力一杯抱きしめられ、雪蘭は目を見開く。
「ちょ、そんなに強く……痛いわ」
黎飛の腕の中で雪蘭は身じろいだ。
「ご、ごめん」
ぱっと黎飛の手が身体から離れる。
「ううん、大丈夫……」
伸びてきた黎飛の手が頬に触れた。
互いに言葉もなく見つめ合う。目を合わせたまま、黎飛が顔を寄せてきた。
ひたいにそっと振れる黎飛の唇。
ドキドキと、胸があり得ない音をたてて鳴った。頬が熱く息が苦しい。
頬にあった黎飛の手が、すべるように落ち唇をなぞる。くすぐったさに雪蘭は肩をすくめた。そのまま黎飛の指があごにかけられ上向かされる。
黎飛が顔を傾ける。雪蘭はゆっくりと目を閉じた。
唇にかかる黎飛の吐息。
重なる唇。
雪蘭は身体を震わせた。ドキドキと鳴る心臓の鼓動。息苦しくて、でも幸福に満ちた思い。知らず知らず雪蘭の芽に涙が浮かぶ。
雪蘭はあらためて決心する。
宮廷になんて行かない。
私は黎飛に嫁ぐ。
愛する人と結ばれたい。
黎飛の唇が離れる。雪蘭は長い吐息をもらした。地に足がついていないような、ふわふわとした感覚。まるで身体中に熱がこもったようだ。
「何度でも言う雪蘭、愛してる。一生、大切にすると誓う」
「私も黎飛と一緒になりたい」
「ありがとう雪蘭」
「私、黎飛の言う通り、試験に落ちるように頑張るから、ううん、そもそも私が試験に受かるなんてあり得ないものね」
黎飛は微笑みながら雪蘭の涙を拭う。
「試験が終わったら一緒に暮らそう。正式に求婚を申し込みに行く」
黎飛の言葉に父の姿が浮かんだ。
父上は黎飛との婚姻を認めてくれるだろうか。まるで、雪蘭の心配を読み取ったかのように黎飛は続けて言う。
「もし反対されたら、雪蘭をさらっていく。それでもいいか?」
「はい」
雪蘭は頷いた。黎飛は満面の笑みを浮かべる。
「屋敷まで送る」
「うん、ありがとう」
「行こう」
差し出してきた黎飛の手を、雪蘭は見つめる。ためらうと黎飛が手を取り握りしめてきた。
あらためて黎飛の存在が頼もしく感じられた。
言葉もなく二人は歩いた。
このまま時が止まればいいのにと願ったことか。
「黎飛!」
町に入ると、呼び止められ黎飛は振り返った。離れた場所から一人の男が慌てた様子で駆け寄ってくる。黎飛と同じ鏢局で働く若者だ。
「黎飛! 今夜、宗家の荷を運ぶ者が急病で倒れたんだ。代わりに黎飛に頼みたいと鏢頭が言って、探していた」
「分かった。彼女を屋敷に送ってからすぐに行く」
「それが、今すぐ発たなければ間に合わないって、鏢頭が……」
「だが……」
雪蘭は黎飛を見上げた。
「ひとりで帰れるから大丈夫よ。黎飛は仕事に行って」
しばし悩んだ後、黎飛は頷く。
「分かった。雪蘭、気をつけて」
「ありがとう」
「鏢頭が待っている。黎飛、急いでくれ」
急かす男の肩を黎飛は叩く。
「ああ、行こう」
遠ざかる黎飛の姿が人混みにまぎれるまで見送った。そして、雪蘭は歩き出す。
何も言わず屋敷を抜け出したことが父に知られたら、叱責を食らう。だが、その心配はいらないだろう。何故なら、今まで父に心配されたことはないから。父は自分が何をしていようが、何をされていようが無関心だ。
試験の日まで黎飛と一緒になることを思いながら、おとなしく部屋で過ごそう。
ふと、雪蘭は足を止め、後ろを振り返る。
人の気配を感じたのだ。
誰かに見られているような感覚。
黎飛が戻ってきたのかと最初は思った。だが違う。
雪蘭は周りを見渡した。行き交う人の中に怪しい者はなさそうだ。
気のせいね。
ほっと息をつき、前を向き直ろうとした雪蘭の目に黒い装束を着た三人の男の姿を確認する。
雪蘭と目が合うと、男たちはさっと物陰に隠れてしまった。
身の危険を感じ、雪蘭はごくりと唾を飲み込む。
私のことをつけている?
まさかね。
だいいち、私をつける意味などないもの。
雪蘭は再び歩き出す。だが、おのずと歩みが速くなる。
気のせいだと思いつつも背後を振り返ると、先程の男たちも動き出したのが目の端に映った。




