18 草原の民
それから3年の月日が経ち、雪蘭は15歳になった。
母を亡くしてからの雪蘭の屋敷での立場は、最悪なものであった。
屋敷はすべて側女である瑛如琳が差配し、何もかも彼女の思い通りだった。
今日も如琳の指示で、雪蘭は薬草を探すため呂景山に出かけていた。
その薬草とは仙星花といい、名前の通り、開いた花は星の形をしていて仙人のように高い崖の上に咲く花で、婦人系に効く薬草であった。
その薬草を、生理痛で苦しむ慈桂のために探してこいと命じられたのだ。
「やっぱり、見つからない」
雪蘭は額に浮かぶ汗を手の甲で拭い、空を見上げた。
夜明けとともに山に入り、すでに夕刻を迎えようとしている。それでも、薬草を見つけられないでいた。
見つけられないのは当たり前だ。
仙星花は稀少な花ゆえ、そう簡単には見つからない。さらに、高い崖の石の隙間に根付いて花を咲かせるため、たとえ見つけたとしても手に入れにくい。
だが、この日の雪蘭は幸運であった。
ふと視線をあげると、崖の上で、吹く風に揺れる白い花を見つけた。
「あれは!」
雪蘭は走って崖の上を見上げる。
「見つけた!」
幸運なことに花はそれほど高い位置に咲いていなく、雪蘭でも簡単に手に入れられる。もし、薬草を見つけられず屋敷に戻ったら、如琳に何を言われたことか。だが、これで堂々と帰れる。罰せられずに済む。
ほっと息をつき、背負っている篭に薬草をいれた雪蘭はふと、崖下の草むらに誰かが倒れているのを見た。
人?
走り寄ると男が倒れていた。その側に、まるでその男を心配するかのように一頭の黒馬が男の顔に鼻先をつけている。
雪蘭は急いで男のかたわらに膝をつく。
「大丈夫ですか!」
景安の町の者ではない。顔立ちも格好も西域の者。草原の民だ。
男の鼻先に雪蘭は指を近づける。
息はしている。
もしかしたらと、雪蘭は頭上を見上げる。
視線の先、崖上の高い場所に仙星花が咲いていた。おそらく男は花を摘もうとして足を滑らせ崖から落ちたのかも。岩肌にぶつかり切ったのか腕から血が流れていた。頭を打っていたら大変だ。
「大丈夫ですか?」
もう一度雪蘭は男に呼びかける。返事はない。軽く肩に手をかけ揺すってみるが、やはり反応はない。
どうしよう。
すぐそばに、岩のくぼみを見つけそこまで男を引きずっていく。
なんとか日陰になるところに男をつれていくと、黒場もついてきた。
雪蘭は自分の衣服の裾を裂き、男の腕に巻き付ける。それから自分の飲み水を大きな草の葉で器をつくり黒場に飲ませた。
「おまえの主は大丈夫よ。怪我をして気を失っているだけ。だから安心して」
と言って黒馬の背を撫でた。
よく訓練された馬なのだろう。おとなしく主である男を見つめている。
「うう……」
男の口から呻き声がもれた。
「目を覚ましたね」
雪蘭は男の側に膝をつく。
「気分はどうですか?」
「俺は……」
身じろいだ途端、男は呻き声を上げる。
「薬草を採ろうとして崖から落ちたのね」
すでに日も暮れ、辺りに闇が落ちようとしていた。
男は半身を起こし、岩壁に背をつけてもたれる。
「水、飲めますか?」
雪蘭は男に水の入った竹筒を差し出した。男は竹筒を受け取り、飲み干した。
「お腹は空いていませんか? よかったらどうぞ」
雪蘭は腰にぶら下げていた巾着から、平餅を取り出し男に差し出した。
「お腹が減っているでしょう? どうぞ」
男は包みを受け取り平餅を食べた。そして、ふうと息をつく。
身体を動かした男は、苦渋に顔を歪め腕を押さえる。
「崖から落ちた時に痛めたようだ」
「腕を出してください」
言われるまま男は上着を脱ぎ、怪我をしている右腕をあらわにする。
男の人の腕。
筋肉の盛り上がった逞しい腕に、雪蘭はどきりとする。
はだけた上半身も鍛え抜かれた身体をしていた。
雪蘭は頬を赤く染めながら、男の傷に切り傷に効く薬を塗り布を巻いた。
「仙星花を採りに来たのですね」
「ああ、妹が女性特有の病で倒れ、この地方に咲く花が効果があると聞き探しにきたのだが……」
男は上空を見上げる。
「この腕ではあの崖を登るのは難しい。だが、それでもやるしかないか」
男は顔を歪めた。
「あの」
「なんだ?」
「この花を持っていってください」
男は目を見開く。
「これは仙星花ではないか。いや、貴重な薬草だ。せっかくそなたが手に入れたのだから受け取れない」
雪蘭は首を振る。
「この花を本当に必要とする人が手に入れた方がいいから」
如琳はただ欲しいだけ。いや、自分に嫌がらせをしたいから無茶を言ったのだ。
雪蘭は男の手に花を押しつける。
「妹さんに煎じて飲ませてあげてください」
男は手にした仙星花に視線を落とす。
「本当にいいのか?」
はい、と雪蘭は頷いた。
「ありがとう。感謝する」
「感謝だなんて、気にしないでください」
「いや、いつか必ずこの恩は返す。そうだ、名を聞いてもいいか、俺は華岩だ」
「雪蘭です」
「雪蘭か」
男は雪蘭の名を噛みしめるよう口の中で呟く。
「この恩は一生忘れない。雪蘭」
男は拝礼をして深く頭を下げる。
「や、やめてください。私なんかにそんなこと」
雪蘭は慌てて華岩の腕に手をかけ頭をあげるように言う。
「俺たち草原の民は受けた恩は絶対に忘れない。たとえ何があっても」
やはり、この男は草原の民だったのだ。
「だが、申し訳ないが、今の俺には何も礼をできるものはない」
「お礼なんていらないです。それよりも妹さんが早く元気になることを祈っています」
「ありがとう。雪蘭は優しいのだな」
優しいと言われ、雪蘭は顔を赤くする。
「日も暮れた。家まで送ろう。さあ、乗って」
しかし雪蘭は勢いよく首を振る。
「い、いいです」
「家の者が心配する」
家の者という言葉に、雪蘭は苦笑いを浮かべる。
「心配してくれる人は……」
そこまで言い、雪蘭は言葉を閉ざす。しばし間を置いてから雪蘭は顔をあげ華岩を見上げる。
「私、馬に乗ったことがないので怖いのです。だから歩いて帰ります」
慌てる雪蘭の顔に華岩は豪快に笑った。が、次の瞬間、思いっきり腕を引かれ馬に乗せられた。
「わあ……」
雪蘭は感嘆の声をあげた。
「高い」
「馬に乗るのは初めてか?」
「はい。こんなにも見える景色が違うのですね」
華岩は豪快に笑った。
「雪蘭、俺にさらわれないか」
「え?」




