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第九話:ギルドマスターの目

森の奥、凄惨な戦闘の跡地で、中堅冒険者パーティー「蒼き隼」は絶句していた。

「おいおい、嘘だろ……。こいつら、レイジ・ベアを仕留めたのか……?」

リーダーの戦士、バルトが呻く。そこには、巨大なクマの首と、おびただしい量の血痕。だが、あるはずの胴体が、どこにも見当たらない。まるで、大地に飲み込まれたかのように、不自然に消え失せていた。

「リーダー、この子、まだ息があるわ!」

癒し手の女性、セーラが血まみれの少年のそばに駆け寄る。

「……訳が分からねえが、見過ごせねえ。助けるぞ! リック、首を回収しろ! 討伐の証拠だ!」

バルトの指示で、斥候の青年リックがレイジ・ベアの首を担ぎ上げる。彼らは、意識のないルシアンと、泣きじゃくるエリアナを連れ、急いで街へと戻った。



「……厳しいな。傷が深すぎる」

治癒院の医師は、ルシアンの腹部の傷を見て、静かに首を振った。

「内臓までやられている。セーラさんの治癒魔法で応急処置はされているが、あとは本人の生命力次第だ。峠を越せるかどうか……」

医師の言葉に、エリアナとブレンナは顔を青くした。「蒼き隼」のリーダー、バルトは「できるだけのことはしてやってくれ」と言い残し、ギルドへの報告へと向かった。


それから、二日が経過した。

医師が、ルシアンの容態を確認するために病室を訪れる。正直、もう手遅れだろうと思っていた。だが、シーツをめくった医師は、自らの目を疑った。

「な……なんだ、これは……!?」

あれほど深かったはずの傷が、ほとんど塞がっている。人間の治癒能力を、明らかに逸脱していた。

「治癒魔法を使った痕跡はない……。馬鹿な、あり得ん! 私の三十年の経験でも、こんな治癒は見たことがないぞ! まるで、傷口そのものが新しい肉を『創り直し』ているかのようだ……。こいつは、一体……」


医師は、目の前の少年に畏怖の念を抱きながら、呆然と立ち尽くすしかなかった。


その数時間後、ルシアンは静かに目を覚ました。

(……レイジ・ベアの生命力か……)

ネロが喰らった森の主の、圧倒的なまでの生命力が、自身の肉体を内側から創り変え、驚異的な速さで回復させたのだと、彼は直感的に理解した。


「ルシアン!」

隣でうたた寝をしていたエリアナが、彼の動きに気づいて飛び起きた。

「よかった……本当によかった……!」

「エリアナ……」

「ごめんなさい……! 私が、あの時叫んだから……! 私のせいで、ルシアンが……!」

涙ながらに謝罪する彼女の頭を、ルシアンはそっと撫でた。

「お前が火の魔法を使わなければ、俺は死んでた。だから、お前のせいじゃない」

その言葉に、エリアナはさらに涙をこぼした。


ルシアンは、心配そうに見守る母と、泣きじゃくる幼馴染を見て、今こそ全てを話すべきだと決意した。

「母さん、エリアナ。俺の力のことを、話しておく」

彼は、静かに語り始めた。

「俺も、自分の力が何なのか、まだよく分かっていない。でも、どうやら俺は、自分の生命力を使って周囲の生命力を『操る』ことができるらしい。そして、ネロは……」

ルシアンは、足元ですり寄ってくる黒猫を見つめた。

「ネロは、魔物の魂を喰らうようだ。ネロが魔物を喰らうと、その力が俺に流れ込んでくる。身体能力だったり、新しい技だったり……そして、生命力もだ。俺がこんなに早く回復できたのは、ネロがあのレイジ・ベアを喰らったからだと思う」


それは、あまりにも常識から外れた話だった。だが、エリアナは森でネロの起こした現象を思い出し、ブレンナは息子の特異性を静かに受け入れた。二人はその力の全てを理解できたわけではなかったが、ルシアンとネロが、運命を共にする特別な存在であることだけは、痛いほど伝わってきた。


その日の午後、ギルドの職員が日課の見舞いにやってきた。ルシアンが意識を取り戻し、普通に会話しているのを見て、彼は目を丸くした。

「おいおい、マジかよ……。医師の先生は、まだ危ないって言ってたぞ……」

彼は慌てた様子で病室を飛び出すと、「ギルドマスターに報告してくる!」と言い残して走り去っていった。

そして、一時間もしないうちに、同じ職員が戻ってきた。

「ルーキー、ギルドマスターがお呼びだ。すぐ来てもらう」

有無を言わせぬ口調だった。



冒険者ギルドの最奥、ギルドマスターの執務室。

部屋には、カインが一人で待っていた。年は40歳ほど。鋭い眼光を宿し、片方の目には深い傷跡が走っている。短く刈り揃えられた青髪が、彼の厳格な性格を際立たせていた。

「座れ」

カインは、机に置かれたレイジ・ベアの首から目を離さずに、低く言った。その声には何の感情も乗っていない。だが、その無感情さこそが、部屋の空気を氷のように冷たくしていた。

ルシアンが椅子に腰かけると、カインは淡々と事実を並べ始めた。

「『蒼き隼』からの報告、治癒院の医師からの報告、どちらも信じがたい内容だった。そして、この首。間違いない、数年にわたってこの森に君臨し、ギルドの銀ランクパーティーを三つも壊滅させた『森の主』だ」

彼は、一つ言葉を区切るたびに、指で机をトン、と軽く叩く。その無機質な音が、ルシアンの心臓を締め付けた。

「それを、登録初日の、魔力ゼロと判定された小僧が倒した。腹に風穴を開けられながら、二日で完治した。……説明しろ。俺が納得できるように、な」

その目は、ルシアンを見ていなかった。ただ、目の前の「異常事態」という現象を、解剖するように分析している。

ルシアンは、当たり障りなく戦闘の経緯を説明した。だが、カインはそれを遮る。

「……小僧、お前、自分が何を殺したか分かっているのか?」

カインは静かに問う。

「あれはただの熊じゃない。あの森の生態系の頂点に立ち、数多の冒険者を屠ってきた『主』だ。それを、お前は倒した。どうやったか、ではない。お前のその力は、なんだ?」

カインは初めて、その射抜くような視線をルシアンに向けた。

「得体の知れない力は、この街の秩序を乱す。それが制御不能な災厄であるならば、芽のうちに摘み取るのが俺の仕事だ」

その問いは、ただの好奇心ではない。この街の秩序を守る責任者としての、冷徹な査定だった。カインは驚愕していた。そして、それ以上に、未知の力を最大限に警戒していたのだ。


カインは、ルシアンの持つ力の異質さと、その計り知れない潜在能力、そして異常なまでの生命力を見抜いていた。

「小僧、お前の力は未知数だ。放置するには、危険すぎる。俺は、お前が何者なのか、確かめねばならん」

彼は立ち上がると、窓の外に広がるクロスロードの街並みを見下ろした。

「だから、俺が直々に、お前にふさわしい『試練』を与えてやる。もちろん、相応の報酬と、この街で生きていくための後ろ盾もな。その代わり、お前の全てを俺に示せ。その力が、この街にとって益となるのか、それとも、ただの災厄なのか……この目で見極めてやる」



執務室を出ると、エリアナと「蒼き隼」の三人が待っていた。

「よお、無事だったか、坊主」

リーダーのバルトが、気さくに声をかけてくる。

そこへ、カインが部屋から出てきた。

「お前たちの次の任務だ」

カインは、バルトたちに告げる。

「この小僧とパーティーを組み、俺の出す特命を遂行してもらう。こいつの監視役も兼ねてな」

「はあ!? こいつと、俺たちが!?」

バルトが素っ頓狂な声を上げる。


受付カウンターでは、いつもの女性職員が、驚きと少しの畏怖が混じった目でルシアンを見ていた。

「……あんた、とんでもないことしたね。はい、今回の報酬。薬草採取と、レイジ・ベアの討伐報酬、合わせて金貨3枚(30万G)。それと、これ」

ガチャン、とカウンターに置かれたのは、鈍い銀色の輝きを放つプレートだった。

「特例で、あんたのランクを『銀』に引き上げる。ギルドマスター命令だよ」


そのやり取りを見ていたギルド中の冒険者たちが、ざわめき始める。

「おい、マジかよ……」

「魔力ゼロのルーキーが、一日で銀ランクに……?」

「しかも、あの『蒼き隼』とパーティーを……?」

賞賛、嫉妬、疑惑。様々な感情の視線が、ルシアンに突き刺さる。


ルシアンは、手にした銀のプレートと、カインから渡された最初の「試練」の指令書を握りしめた。羊皮紙には、銅ランクの依頼とは比べ物にならない、遥かに危険な任務が記されていた。


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