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第五十六話:嵐と銀獅子

Bグループの衝撃的な結末の余韻が、まだ闘技場を支配していた。

次にCグループの選手たちが入場してくると、貴賓席の資産家たちは、プログラムに記されたレンのプロフィールを一瞥し、鼻で笑った。

「エルフの魔術師? ふん、Bグループの娘といい、今度はエルフか。まあ、少しは楽しませてくれるだろう」

彼らにとって、それは次の賭けまでの、ただの余興に過ぎなかった。


「Cグループ、試合開始!」


主催者の声が響き渡った、まさにその瞬間だった。


ドォォォンッ!!!


闘技場の中心から、目に見えない風の衝撃波が同心円状に巻き起こった。


レンを除く九人の選手たちが、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、闘技場を囲む魔法障壁に叩きつけられる。数名はその衝撃で壁に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせ、そのまま意識を失い、地面へと崩れ落ちていった。


「はぁ? 何が起きた!!?」

貴賓席の資産家が、持っていたワイングラスを取り落とす。観客も、何が起きたのか理解できず、一瞬の静寂の後、爆発的な喧騒に包まれた。


「おいおい、何が起きたんだよ!」

「あの中央にいたエルフの周りが、一瞬で吹き飛んだぞ!」

「なんだ、今の…魔法か!? いや、詠唱はなかったぞ!」

「あの姉ちゃん、とんでもねえぞ!!」


闘技場には、ただ一人、静かに佇むレンの姿だけがあった。

主催者も、そのあまりに異常な事態に、しばし言葉を失っていたが、やがて、震える声で宣告した。

「し、試合終了! 勝者、レン選手!」

Cグループは、レンのみが勝ち抜けるという、前代未聞の結果となった。


貴賓席は、阿鼻叫喚の渦に叩き込まれていた。「馬鹿な!」「賭け金が!」「あのエルフ、ただ者ではないぞ…!」。一部の者は、既に彼女をこの大会のダークホースとして、その認識を改めていた。


しかし、その当の本人は、ただ呆れたように、小さく溜息をついていた。

(少し、力を入れて、蹴りで空気を薙ぎ払っただけなのですが…。この程度も避けられないとは)


レンは、拍子抜けした様子で、静かに控室へと戻っていく。その背中には、もはや侮蔑の視線を向ける者など、誰一人としていなかった。



レンが控室に戻ると、それまで騒がしかった猛者たちが、まるで石になったかのように静まり返った。彼女が通る道が、モーゼの十戒のように左右に分かれていく。先程までの侮蔑は畏怖に変わり、誰もが怪物を見るような目で、この静かなエルフから視線を逸らしていた。


「レン!!」

ルシアンとエリアナが、駆け寄ってくる。


「なに?」

レンは、何事もなかったかのように、涼しい顔で首を傾げた。


「手加減しないと、死んでしまうぞ!」

ルシアンが、咎めるような、しかしどこか心配そうな声で言う。


「手加減しかしていません」

その、あまりにも平然とした答えに、エリアナは思わず叫んだ。

「もぅ、レンったら!」


ルシアンとエリアナは少し呆れた様子だったが、レンが圧倒的な実力を見せつけたことで、もう彼らに変な声をかけてくる者はいなくなった。


「では、次は俺だな」

ルシアンは、気持ちを切り替えるように立ち上がると、闘技場へと向かう準備を始めた。

その時だった。

「…あの。もしかして、ルシアンさんですか?」

おずおずと、しかし芯の通った声が、背後からかけられた。振り返ると、そこに立っていたのは、屈強な虎の獣人だった。


「そうだが?」

ルシアンは、警戒を解かずに短く答える。


「やっぱり! その銀髪と、ただならぬ存在感…!」

獣人は、その目に懐かしさと、そして深い尊敬の色を浮かべた。「私は、以前、廃鉱山でガルバと共にいた者です。あなたは、我々の命の恩人だ」

彼は、アステリアには行かず、己を磨くために単独で旅に出ることを決めたのだという。「あの時、隠れ住んでいた我々を導いてくれたこと、心から感謝しています。ありがとうございました」


「ああ、あの時の…。そうか。こんなところで会うとはな。この大会に参加しているのか?」

「はい。多少、腕にも自信がありまして。腕試しというか」


「そうか。だが、俺も負ける気はないんだ」

その言葉に、獣人は快活に笑った。「ははっ! ええ、もう優勝は無理そうです。ですが、私もできるところまで、全力で戦おうと思います!」


ルシアンは、その真っ直ぐな瞳を気に入った。

「お互い頑張ろう。そして、聞いてくれ。あの開拓地は、今、『アステリア』という名になり、一国の代表都市にまでなろうとしている。ぜひ、また仲間たちの元に来るといい。俺も、心から歓迎する」


「おお…! そうでしたか!」

獣人は、感動に目を輝かせた。「やはり、あなたは救世主だったのですね。いつか、この旅に納得できたその時は、必ずや、仲間の元へ帰らせていただきます!」


「あなたの名前は?」

「ガリオ、と申します!」

「ガリオか。お互い、頑張ろう」

「はい!」

二人は、固い握手を交わした。新たな、そして懐かしい友との、戦場での再会だった。



レンが引き起こした、あまりにも一方的な蹂躙劇。その余波で、Dグループの試合開始は少し遅れていた。救護班が、魔法障壁に叩きつけられた選手たちを、慌ただしく担架で運び出している。


貴賓席では、もはや誰もが浮き足立っていた。

「次は最後のDグループか。…ふむ、あの獣人ガリオは、なかなか骨がありそうだな」

「それよりも、気になるのは、またしても銀級冒険者だという、あの少年だ。Bグループの幸運な少女といい、先程のエルフといい…あの一党、何かあるぞ」


観客席の熱気も、これまでにないほど高まっている。

「そろそろ始まるぞ!」「このグループは誰が勝つか、全く分からねえ!」「また弱そうなガキもいるが、今日に限っては、何が起きるか分からんぞ!」

会場は、これまでの波乱の結果から、Dグループの勝敗が全く予想できないという、異様な興奮に包まれていた。


「お待たせいたしました! これより、Dグループの試合を開始します!」

主催者の声が響き渡る。

「それでは、試合開始!」


合図と共に、選手たちが一斉に動き出す。しかし、誰もがルシアンの存在を警戒し、迂闊に近づこうとはしない。その、奇妙な均衡を破ったのは、獣人のガリオだった。

彼は、狙いを定めた一人の男に、弾丸のような速度で突進すると、その鳩尾に強烈な掌底を叩き込んだ! 男は、くの字に折れ曲がり、そのまま意識を失う。

(ガリオ…なかなかやるな)

ルシアンは、その見事な一撃に、静かに感心した。


闘技場に残るは、九人。

その中で、二人の男が、目配せを交わしたかと思うと、同時にルシアンへと襲いかかってきた。

「まずは、一番得体の知れねえ、お前からだ!」


しかし、ルシアンは最小限の動きで、二人の間を縫うように、するりと抜けた。

「何!?」「どこへ消えた!?」

二人は、自分たちの攻撃が空を切ったことにも、ルシアンの姿を見失ったことにも、全くついていけていない。


「じゃあ、いくか」

その声は、二人の背後から聞こえた。

シュッ!と、まるで風が通り過ぎるような音だけを残し、ルシアンの姿が残像と共に揺らめく。次の瞬間、二人は、何が起きたのかも分からぬまま、静かにその場に崩れ落ちていた。


「おいおい! まただ! グループBの時みたいに、襲いかかった奴らが勝手に倒れたぞ!」

「いや、違う! 今、あの銀髪のガキの姿が、一瞬だけ消えたんだ!」

会場は、そのあまりに異様な光景に、呆気に取られていた。貴賓席からも、怒号と悲鳴が飛び交う。「オイ! あいつら、本当に銀級冒険者なのか!?」「くそっ! また賭けに負けたではないか!」


残るは、七人。

ガリオは、二人の屈強な傭兵を相手に、苦戦を強いられていた。一対二という状況では、さすがの彼も防戦一方だ。

(くっ…! だが、あそこで三人が潰し合っている。俺がこの二人を抑えきれば、四つの席に滑り込める!)

彼がそう考えた、その時。すっと、その横にルシアンが現れた。


「ガリオ、一緒に戦うか?」

「ルシアンさん! 良いのですか?」

「ああ。目の前の二人を、さっさと片付けよう」

「分かりました! 是非!」


「チッ、数的有利がなくなったか」「仕方ない、各個撃破だ!」

しかし、二人の連携の前に、傭兵たちはなすすべもなかった。ルシアンは、ほとんど力を抜いて相手の攻撃をいなし、ガリオがその隙を突いて、強烈な一撃を叩き込む。

その時、闘技場の反対側で歓声が上がった。三つ巴の戦いを制し、一人の若い格闘家が、二人を同時に打ち倒したのだ。


闘技場に残るは、五人。

(あと一人…!)

ガリオは、目の前の相手の防御が甘くなった一瞬を見逃さなかった。渾身の掌底を、その喉仏へと正確に叩き込む! 男は、呻き声も上げられずに、その場に崩れ落ちた。


「試合終了!!」

主催者の声が響き渡る。

Dグループを勝ち抜いたのは、ルシアン、獣人のガリオ、若き格闘家、そして乱戦を巧みに生き延びた冒険者風の男だった。


「おおおお! あのガキ、また残りやがった!」「獣人、強ぇぇ!」

観客の熱狂とは裏腹に、貴賓席は混沌としていた。「あの少年も、全く相手を寄せ付けていなかった…」「銀級冒険者というのは、一体何なのだ!」


ヴァルガスは、その光景に、苦々しい表情を浮かべていた。

「ふん、何だ、あいつらは。運良く勝ち残りおって。私のところに、情報が虚偽ではないかと、文句を言ってくる客までいる始末だ。…まあ良い。多少実力はあるようだが、グレイには到底及ばん。その現実を、見せてやろう」



大会一日目の予選は、こうして、波乱の内に幕を閉じた。決勝トーナメントの組み合わせは、明日発表されるという。

だが、リベラポリスの夜は、まだ終わらない。


「紳士淑女の皆様! 本日のもう一つのメインイベント! 我らがイーグル商会の新たな番人による、エキシビションマッチの開催です!!」

主催者の、魔力を込められた声が、闘技場全体に響き渡った。その言葉に、観客の興奮は、再び最高潮に達する。

「うおおおお!!」


闘技場に引きずり出されてきたのは、灼熱の炎をその身に纏う、虎型の巨大な魔物だった。太い鎖で繋がれながらも、観客席と、その前に立つ一人の男を、鋭い眼光で威嚇している。

「おい、あれは『ブレイズタイガー』じゃないか! 金級冒険者でも、複数人でなければ狩れないという…!」

「グレイってのは、そんなに強えのか!」

「楽しみだぜ!!」

貴賓席の資産家たちも、固唾を飲んで見守っていた。「ほぉ、あの魔物と戦わせるとは。ヴァルガス会頭の自信は、本物と見えるな」


そこへ、一人の男が、静かに闘技場へと足を踏み入れる。グレイだった。


「それでは、始めましょう! 試合開始!!」


鎖が解かれたブレイズタイガーが、一直線にグレイへと襲いかかる!

しかし、グレイは、その巨大な前足から放たれる重い一撃を、ただ一本のロングソードで、ガキンッ!と、こともなげに受け止めてみせた。


「オイ! 止めたぞ!」「とんでもねえ一撃だったが、あれを剣一本で!?」

観客が、どよめく。


「大したことは、ないか」

グレイは、そう呟くと、今度は逆に、剣でブレイズタイガーを弾き返した。ガキィン!という金属音と共に、体勢を崩した魔物は、一度距離を取ると、その全身に炎の魔力を、さらに激しく纏わせ始めた。必殺の一撃を放つための、予備動作だった。


「いつでも来い」

ブレイズタイガーが、先程とは比べ物にならない速度と威圧感を纏い、再び突撃してくる!

「これで、終わりだ」

グレイは、その動きを冷静に見定め、自らの間合いに入った、まさにその瞬間。


ズシュッ!


彼の剣が、ただ一筋、銀色の残像を残して煌めいた。剣撃そのものを、捉えられた者はいなかった。

ただ、グレイとすれ違った魔物が、襲いかかった勢いのまま彼の横を通り過ぎ、そして、ゆっくりとその巨体を、地面に横たえただけだった。


「試合、終了!!」


「やばい!! 剣撃が全く見えなかったぞ!!」「強すぎる!! 人間のレベルじゃねえ!!」

観客の絶叫。貴賓席の資産家たちもまた、その圧倒的な強さに、ただ戦慄するしかなかった。

「おお、これはすごい…!」「イーグル商会め、こんな逸材をどこで…!?」「普通の人間では、まず勝てまい…」


リベラポリスの夜は、一人の絶対的な強者の誕生を、熱狂と共に讃えていた。

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