第五十四話:黄金の都、最初の洗礼
一行の目の前に、巨大な城壁が姿を現した。シルベリアの王都とも、クロスロードとも違う。壁そのものが、磨き上げられた白い大理石と、所々に埋め込まれた黄金の装飾でできている。商業都市の名に違わぬその威容に、エリアナは思わず息を呑んだ。
門をくぐると、その喧騒はアステリアの比ではなかった。石畳で舗装された道を、多種多様な人々や、荷を満載した馬車が縦横無尽に行き交っている。建ち並ぶ石造りの建物はどれも高く、その窓ガラスは西日を浴びてきらきらと輝いていた。
一行は、まず身分を証明するため、門の衛兵に近づいた。ルシアンが、銀級冒険者であることを示すギルドカードを提示し、静かに告げる。
「クロスロードからの使者だ。リベラポリスの代表の方に取り次ぎを願いたい」
しかし、衛兵はギルドカードを一瞥すると、鼻で笑った。
「銀級? クロスロード? フッ…」
彼は、一行を値踏みするように見回すと、侮蔑を隠そうともせずに言った。
「ここは実力と金だけがものを言う街だ。中途半端なやつが一番バカを見る。気をつけな」
「なっ…!」
そのあまりの物言いに、エリアナが思わず一歩前に出ようとするのを、ルシアンが片手で静かに制した。
(これが…リベラポリスのやり方か)
ルシアンは、怒りではなく、冷静な分析の目で、目の前の男を見つめていた。
その時だった。
「邪魔だ、どけぇ!」
背後から怒声と共に、鷲の見事な装飾が施された、ひときわ豪華な馬車が猛スピードで突っ込んできた。
「危ない!」
ルシアンは、咄嗟にエリアナの体を抱き寄せ、馬車を回避する。馬車は、一行を気にも留めず、衛兵が慌てて開けた専用の通路を通って、街の中へと消えていった。
衛兵は、その光景を見て、さらに嘲笑を浮かべた。
「見たか? 何もないやつなんて、道端の石ころと同じ扱いなんだよ。よく肝に銘じておけ! ハハッ!」
彼は、通行許可証を叩きつけるように渡すと、手で払うように、ルシアンたちを中へと促した。
(許せない…! 人を、なんだと思ってるの!)
エリアナは、怒りに唇を噛みしめる。レンもまた、その冷たい瞳の奥に、静かな怒りの炎を宿していた。
しかし、二人は何も言わず、冷静にルシアンの後ろについて入国する。今は、感情を露わにすべき時ではない。
一行が通り過ぎた後、別の衛兵が、不思議そうに同僚に尋ねた。
「おい、さっきのやつ、クロスロードの使者とか言ってなかったか?」
「あ? そんなこと言ってたか。まあいいだろ。どうせ大した実力もねえ自由都市だ。門前払いじゃないだけ、マシってもんさ
◇
一行は、まず街での行動予定を立てるべく、宿を探すことにした。しかし、ここでもリベラポリスの洗礼を受けることになる。
銀級冒険者であることを示すギルドカードを見た宿の主人は、あからさまに面倒くさそうな顔をすると、相場の倍以上はするであろう宿泊費をふっかけてきた。
「嫌なら泊まらなくていいんだぜ? 代わりはいくらでもいるんでね」
その言葉に、エリアナとレンの表情が再び凍りつく。しかし、ルシアンは黙って金貨を支払った。ここで言い争っても、時間の無駄だ。今はまず、この街での確かな足場を確保することの方が重要だった。
通されたのは、安宿の中でも、特に日当たりの悪い、埃と安酒の匂いが混じった薄暗い一室だった。
重い扉が閉まると同時に、エリアナが堰を切ったように不満を爆発させた。
「なんなのよ、あの人たち! 人のこと、なんだと思ってるの!」
レンもまた、静かだが、その瞳には明らかな怒りの色が宿っていた。「非合理的で、無礼極まりないですね」
ルシアンは、そんな二人をなだめながら、冷静に現状を分析する。
「どうやら、この街では、俺たちの『銀級冒険者』という肩書は、何の信用にもならないらしい。このままでは、都市の長はおろか、その取次にさえ会わせてもらえないだろう」
「では、どうするのですか?」
レンの問いに、ルシアンは答えた。
「俺たちの価値を、この街のやり方で、分かりやすい形で証明する必要がある」
◇
話を一旦終え、一行は食事のために、宿の一階にある、騒がしい食堂へと向かった。
そこで、隣のテーブルに座る、いかにも手練れといった風体の傭兵たちの会話が、何気なく耳に入ってきた。
「おい、聞いたか? イーグル商会がやってる地下闘技場に、スゲェ腕利きの戦士が入ったらしいぜ」
「ああ、会頭の肝いりらしくてな。賞金総額を上げて、でかい催しにするって話だ」
「やめとけって。あそこは何でもありだ。金持ち共の賭けの対象になって、半端なやつは死ぬのがオチだぞ」
その言葉に、ルシアンのスープを飲む手が、ぴたりと止まった。
(イーグル商会…地下闘技場か…)
彼は、仲間たちに向き直ると、静かに、しかしその口元に、わずかな笑みを浮かべて言った。
「…実績と、有力者との関係づくり。その両方が、手に入るかもしれないな」
◇
ルシアンの、静かな、しかし確信に満ちた声に、エリアナとレンの視線が集まる。
彼は、仲間たちに向き直ると、自らの考えを説明し始めた。
「この街で、俺たちの価値を証明する一番手っ取り早い方法は、圧倒的な『力』を見せつけることだ。あの闘技場で優勝すれば、俺たちの名は、嫌でもこの街中に知れ渡るだろう」
そして、彼は続ける。
「それに、あの傭兵たちは言っていた。『イーグル商会』の会頭の肝いり、と。優勝すれば、その有力者と直接会う機会も得られるはずだ」
「でも、危険なんじゃないの!?」
エリアナが、心配そうに声を上げた。「命の保証はないって、言ってたじゃない!」
しかし、レンは冷静だった。
「エリアナ。私たちが、ただの人間に負ける想像ができますか?」
その言葉は、あの竜との死闘を経て手に入れた、圧倒的な力への絶対的な自信に裏打ちされていた。
ルシアンもまた、静かに頷いた。
「ああ。相手の実力も、切り札も分からない。油断はしないし、安全を最優先する。だが、負ける気はない」
彼は、ふっと、不敵な笑みを浮かべた。
「レン、全員で出るぞ」
「…! 面白くなってきましたね」
「…ちょうど良い。少し、三人で暴れて、この街で溜まった鬱憤を晴らすとしよう」
その言葉に、エリアナとレンの瞳にも、闘志の火が灯った。
◇
一行は、宿の主人に地下闘技場の場所を尋ねた。主人は、呆れたように「やめておけ。死ぬぞ」とだけ言い残し、ため息をつきながら、埃っぽい地図に場所を書き殴った。
教えられた場所は、街の最も治安の悪い地区にあった。そこだけ、黄金の都の華やかさから切り離されたかのように、薄暗く、鉄と血の匂いが漂っている。
闘技場の受付で、派手な化粧をした女が、一行を値踏みするように見つめ、面倒くさそうに告げた。
「参加金は一人百万ゴールド。身分証は?」
ルシアンは、カウンターに金貨の入った袋を三つ置くと、三人のギルドカードを提示した。
受付の女は、カードを一瞥すると、あからさまに鼻で笑った。
「銀級二人に、自称エルフの魔術師、ね…。はいはい。ルールは、戦闘不能か降伏で決着。命の保証は一切なし。いいわね?」
「問題ない」
ルシアンが短く答えると、女は参加証を叩きつけるように渡した。
一行が、踵を返した、その直後だった。
受付の奥から、わざと聞こえよがしな、甲高い嘲笑が響いてきた。
「バッカみたい! また弱いのが参加だって! 銀級と自称魔術師! ハハッ! 最高! どうせ死ぬのにねー!」
その言葉に、エリアナとレンの肩が、ぴくりと震えた。
ルシアンは、何も言わずに、ただ静かに空を見上げていた。そして、ぽつりと、呟いた。
「…少し、ストレスが溜まってきたな」
◇
闘技場を出て、薄暗い路地裏を歩きながら、三人はしばらく無言だった。
遠くに見える、ガラスと金属でできた煌びやかな塔の光が、この地区の淀んだ空気と、あまりにも不釣り合いに映る。
「…本当に、嫌な街ね」
最初に沈黙を破ったのは、エリアナだった。その声には、怒りと、侮辱されたことへの純粋な悲しみが滲んでいた。
「ええ」と、レンも静かに同意する。「力と金、それ以外の価値を認めない。…ある意味、獣や魔物よりも、よほど野蛮です」
ルシアンの肩の上で、ネロが低く喉を鳴らした。まるで、二人の怒りに同調しているかのようだ。
ルシアンは、黙って空を見上げていた。
この街のやり方は、確かに気に食わない。だが、感情で動いては、カインに顔向けできない。自分たちは、この街と友好関係を築くために来たのだ。
「…だが、これで目的がはっきりした」
ルシアンは、仲間たちに向き直った。その瞳には、もう怒りの色はない。ただ、全てを見据える、長の光だけが宿っていた。
「あの闘技場で、俺たちの力を証明する。そして、イーグル商会の会頭と接触し、この街の長との会見に漕ぎ着ける。これが、俺たちの最初の戦いだ」
その、揺るぎない言葉。エリアナとレンは、顔を見合わせると、力強く頷いた。
彼らの鬱憤は、もはやただの怒りではない。この理不尽な都に、自分たちの価値を認めさせるための、静かで、しかし熱い闘志へと変わっていた。




