第五十二話:二つの使節
アステリアの東門。その前には、新たな旅立ちを迎えようとする一団の姿があった。
ユリウス、そして彼の補佐として同行する数名の元抵抗組織のメンバーと、護衛の「蒼き隼」。彼らは、これから旧ボーモン領、鉱山都市の再興へと向かうのだ。
見送りに来たルシアンは、新たな連邦の代表者として、一枚の羊皮紙を彼に手渡した。
「ユリウス・ボーモン。君を、旧ボーモン領の初代領主代行に任命する。君の目で見た、君が正しいと思うやり方で、あの土地を、民を導いてほしい」
ユリウスは、その辞令を恭しく受け取ると、深く頭を下げた。
「…その御心、必ずや」
彼は、顔を上げ、決意に満ちた瞳で、これからの計画の一端を語り始めた。
「まず為すべきは、あの土地と、そこに住まう民の心を、正しく知ることです。父が遺した傷は、あまりにも深い」
彼の声には、贖罪の念が滲んでいた。
「そして、グレイロック鉱山の現状を、私の目で直接確かめたい。父は、ただ奴隷を酷使し、産出量を上げることしか考えていなかった。ですが、労働環境を改善し、働く者たちの生活を豊かにすることこそが、真の生産性の向上に繋がると、私は信じています。まずは、奴隷労働の見直しから始めましょう」
その、あまりにも革新的な言葉に、バルトたちが息を呑む。
「それに、」と、ユリウスは続けた。「父上の残した地図は、もう古い。あの土地には、まだ我々が知らない、新たな可能性があるやもしれません。この目で、改めて全てを調査するつもりです」
その瞳は、もはや過去に囚われた貴公子のそれではなく、未来を見据える一人の指導者のものだった。
「父が遺した罪を償い、あの土地に新たな光をもたらすことを、ここに誓います」
その時、エリアナが、おずおずと一歩前に出た。
「あの…」
彼女は、少しだけ俯き、そして、意を決したように顔を上げた。
「…気をつけてね。ユリウス、兄さん」
その、か細い、しかし確かな声に、ユリウスは弾かれたように目を見開いた。そして、これまでにないほど、穏やかで、優しい笑みを浮かべた。
「…ああ。ありがとう、エリアナ」
一行は、仲間たちに見送られ、東へと旅立っていった。
連邦の、新たな礎を築くために。
◇
数日後。クロスロードのギルドマスター室は、もはやその名を変え、「連邦共和国臨時議事堂」として、新たな歴史を刻み始めていた。
テーブルを囲むのは、旧アステリア評議会のメンバー10名と、クロスロードの各組織から選任された代表者10名。これが、新たな国の最高意思決定機関「連邦議会」の、最初の姿だった。
議長席には、カインが座っている。彼の進行のもと、新たな政治体制の、より詳細な確認が進められていた。
「――以上が、我が『クロスロード=アステリア連邦共和国』の基本体制となる」
カインは、一枚の羊皮紙に描かれた組織図を指し示した。頂点には執政官、その下に連邦議会、そして議会の決定を実行するための各省が連なる、機能的な組織図。
カインは、その関係性について、改めて皆に説明する。
「議会の役割は、この国の大きな方針を決めることだ。例えば、立法。交易税の導入や治安維持法など、この国の新たな法を制定・改正する。あるいは外交。他国との条約締結や、使節派遣の承認も、この議会で決定する」
彼は、バルトとクララへと視線を移した。
「そして、各省は、議会で決定された方針を実行に移すための、専門家集団となる。例えば、議会が『軍備の増強』を決定すれば、バルト殿が長となるであろう軍務省が、具体的な兵士の訓練や装備の調達を行う。議会が『リベラポリスとの交易開始』を決定すれば、クララ殿が長となる商務院が、実際の交渉や交易路の確保に動く。議会が決定し、各省が実行する。そして、議会はその働きを監督する。これが、我々の国の基本的な形だ」
◇
国の内政に関する大きな方針が定まったところで、ルシアンは広げられた地図へと、皆の視線を集めた。
「次に、生まれたばかりのこの国が、世界とどう向き合っていくか、だ」
彼の指が、まず東のシルベリア王国を指し示す。
「東のシルベリア王国。ここは、我々と血を分けた盟友だ。今後も、帝国への対応を含め、最も緊密な連携を維持していく」
次に、その指は南へと滑った。
「そして、南のルナリア公国。我々が大きな恩を受け、レンさんの故郷でもあるこの国とは、近いうちに正式な国交を結びたい。彼らが持つ古代の知識や魔法体系は、我々の未来にとって計り知れない価値があるはずだ」
そこまで話すと、ルシアンは一度、言葉を切った。
「だが、問題は西だ」
彼の指が、まだ見ぬ国、自由商業圏リベラポリスを指す。「シルベリアとの友好、ルナリアとの敬意。だが、西の彼らは、全く違う相手になる」
その言葉に、カインが深く頷いた。
「奴らが尊重するのは、力と、そして何より利益だけだ。我らが『連邦共和国』という看板を掲げて、正面から使節を送ったところで、赤子の手をひねるように、足元を見られ、買い叩かれるのがオチだろう。今の我々には、彼らと対等に渡り合えるだけの『実績』がない」
その言葉に、クララも同意する。「ええ。リベラポリスの商人たちは、血も涙もないことで有名です。こちらの弱みを見せれば、骨の髄までしゃぶり尽くされます」
では、どうするのか。重い沈黙が流れる中、ルシアンが静かに、しかし、その瞳に確かな光を宿して言った。
「ならば、長としてではなく、一人の冒険者として、まずは彼らの懐に飛び込む」
その、あまりにも大胆な提案に、皆が息を呑んだ。
「目的は、二ヶ月後の俺の執政官就任式への、参加を要請すること。そして、その裏で、リベラポリスという国家の本当の姿を、この目で見極める」
カインは、その言葉に、面白そうに口の端を吊り上げた。
「…リベラポリス、か。そういえば、あの『魂の宝珠』の依頼も、元はと言えば、あの街から出されたものだったな」
彼は、何かを思い出すように、天井を仰いだ。
「依頼主は、リベラポリスの経済を牛耳っていた、大資産家だ。だが、十年ほど前に、原因不明の病で倒れたと聞く。以来、彼の巨大な商会も、後継者争いで揺れているとか…。もし、冒険者として名を上げるなら、その伝説級の依頼を調べるのも、一つの手かもしれん」
その言葉は、まるで、ルシアンたちの運命を予見しているかのようだった。
国の礎、発展への道筋、そして世界との向き合い方。
数時間に及んだ濃厚な会議は、こうして、確かな未来への設計図を描き上げ、その幕を閉じたのだった。
◇
「あなた一人で行かせるわけにはいかないよ!」
ルシアンの大胆な提案に、最初に反対したのは、やはりブレンナだった。
その言葉を待っていたかのように、エリアナがすっと立ち上がる。その瞳には、もはや昔のような不安の色はない。
「私も行くわ。もう、ルシアンを一人にはしないって、決めたから。それに、今の私なら、足手まといにはならないはずよ」
彼女の手のひらの上で、純白の太陽の炎が、静かに、しかし力強く揺らめいた。
続いて、レンが静かに、しかし有無を言わさぬ口調で告げる。
「リベラポリスは、独自の魔道具技術が発展していると聞きます。ルナリアの魔術師として、その技術水準を把握しておくのは、今後の連邦にとっても有益なはずです。私も、同行させていただきます」
「ちょっと、レンさん! 私が先よ!」「いえ、より合理的な判断ができる私が適任です」
二人の間で、バチバチと、見えない火花が散る。
「二人とも。そのくらいに」
「エリアナは俺の行動を客観的に判断してくれるし、頼もしく信頼している人だから一緒に来てくれるのは嬉しいし、心強い。レンさんは冷静さとその場の分析力はいつも頼りにしているし、そして、やはり強い。一緒に来てくれると助かります」
エリアナとレンの表情が一瞬止まり、少しはにかんだように見えた。
と、その時、レンはスッとルシアンへと向き直った。
「ルシアン殿。一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ?」
「私のことは、以後『レン』と。仲間であるあなたたちに、他人行儀な呼ばれ方をするのは好みません」
その、あまりにも真剣な眼差しに、ルシアンは少しだけ驚き、そして、静かに頷いた。
「…わかった、レン」
こうして、リベラポリスへ向かう使節団は、ルシアン、エリアナ、レンの三人(と一匹)に決定した。
それは、表向きはただの冒険者パーティー。
しかし、その実態は、アステリアの最強戦力が集結した、最強の外交団だった。
数日後、三人は、冒険者としての簡素な装備に身を包み、クロスロードの西門の前に立っていた。ここから先は、彼らがまだ見ぬ、全く新しい価値観が支配する国だ。
「リベラポリス…一体、どんな場所なのかしら」
エリアナが、期待と不安が入り混じった表情で、西の地平線を見つめる。
ルシアンは、エリアナとレンに聞こえる優しい声で言った。
「大丈夫だ。何があっても、俺が必ず守る。そして、俺は皆も信頼している」
「背中を任せるよ。エリアナ。レン」
その、まっすぐな言葉にエリアナは頬を赤らめ、幸せそうに、しかし力強く頷いた。
レンは、ふいっとそっぽを向き、小さく「…うん」と聞こえない声で答えた。
ルシアンは、そんな二人の様子に、穏やかな笑みを浮かべると、西の地平線の先を見据えた。
「さあ、行こうか」




