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第四話:復讐の果て、母との誓い

ブレンナのそばで、ルシアンは冷静に計画を練っていた。

【鷹の目】で得たヴァレリウスの屋敷の構造、警備の配置、侵入経路は、完全に頭に入っている。闇が深まるのを待ち、彼は行動を開始した。


屋敷の高い壁も、彼にとっては障害ではない。壁面に手を触れ、蔦を瞬時に成長させて即席の梯子を創り出す。音もなく壁を乗り越え、敷地内へと侵入した。

【夜間視力】を持つ彼にとって、夜の闇は白日の下を歩くのと変わらない。ネロを斥候として先行させ、その気配を頼りに警備兵の位置を把握する。角を曲がる直前、眠りをもたらす胞子を持つキノコを地面から生やし、警備兵たちを深い眠りへと誘った。森で培った狩人の技術は、人の作った砦など無いにも等しかった。


最上階の執務室。扉を開けると、そこにヴァレリウスがいた。だが、その姿に二年前の余裕はない。窓の外を落ち着きなく眺め、手にしたグラスの酒を何度も煽っている。警備兵からの定期連絡が途絶え、得体の知れない静寂が、彼の心を蝕んでいたのだ。

「……誰だ」

振り向いたヴァレリウスは、闇の中に立つルシアンの姿を認め、驚愕に目を見開いた。

「き、貴様……ルシアン!? どうやってここに……衛兵! 衛兵は何をしている!」

彼の金切り声に応じ、隣室から屈強な私兵たちがなだれ込んでくる。


だが、ルシアンはもはや、ただの少年ではない。

私兵の一人が振り下ろした剣を、彼は紙一重で回避する。その動きは、もはや人間のそれではない。人狼の力を得た彼の身体能力は、常人を遥かに凌駕していた。

剣を避けざま、手にした木槍で兵士の胴を薙ぎ払う。凄まじい衝撃に、鎧ごと吹き飛ばされる兵士。他の者たちが恐怖に怯んだ一瞬の隙を、ルシアンは見逃さない。床を蹴り、瞬く間に距離を詰めると、槍の石突で次々と鳩尾を打ち据え、私兵たちを無力化していく。


「ひぃっ……!」

自慢の私兵が、子供のようにあしらわれる光景を前に、ヴァレリウスは恐怖に顔を引きつらせた。彼は震える手で、執務机の隠し戸から、黒水晶のような禍々しい輝きを放つ水晶球を取り出した。

「化け物が……! だが、それもここまでだ! 貴族様から譲り受けた、この秘宝の力、思い知るがいい!」

ヴァレリウスが水晶球を起動させると、埋め込まれた黒い魔石が脈動し、部屋の温度が急激に低下した。壁や床から、まるで生きているかのように影が伸び、蠢き始める。低い唸りのような音が空間を支配し、闇のエネルギーが禍々しい紫色の触手となって、ルシアンに襲いかかった。


「ぐっ……ああっ……!」

触手に捕らえられたルシアンは、生命力を直接吸い取られるような、凄まじい苦痛に襲われた。彼の得意とする植物操作の力も、この淀んだ闇の前では形を成す前に霧散してしまう。

「ははは! どうだ、化け物め! 貴様のその得体の知れない力も、この闇の前では無力! そのまま干からびて死ぬがいい!」


その勝ち誇った声を聞きながら、ネロがルシアンの足元で、低く唸り声を上げた。その体毛が逆立ち、ルビーのような瞳が、獲物を見据えるように、水晶球の核である黒い魔石を捉えている。

次の瞬間、ネロは弾丸のように飛び出した。

「無駄だ、畜生が!」

ヴァレリウスが嘲笑うが、ネロは水晶球に触れることすらしなかった。その小さな体が、宙でピタリと止まる。そして、ネロの体そのものから、空間が歪むほどの強大な渦が拡散し始めた。

部屋中に満ちていた禍々しい紫の触手が、悲鳴のような音を立てながら、その渦の中へと凄まじい勢いで吸い込まれていく。まるで、夜の闇が、さらに深い深淵に飲み込まれていくかのように。

水晶球は光を失い、カラン、と乾いた音を立てて床に落ちた。


「……あ……あ……」

最後の拠り所であった「力」が、目の前の小さな黒猫に「喰われた」。その理解不能な光景を前に、ヴァレリウスはへなへなと腰を抜かし、その場にへたり込んだ。


ルシアンは、まだ闇の余韻が残る空間で、静かに佇むネロを見つめていた。

(あれは……魔の力そのもの……? 俺の生命の力とは正反対の、淀んだ闇のエネルギー。だから、俺の力は相殺されたのか……。だが、ネロは……防いだだけじゃない。まるで、それが極上のご馳走であるかのように……喰らった? これが、ネロの本当の力……魔を、吸収する力だというのか……?)


「ひぃっ……! た、助けてくれ……!」

ヴァレリウスの命乞いで、ルシアンは我に返った。彼は木槍を突きつけ、冷徹に告げる。

「殺しはしない。だが、お前が奪ったものを、お前自身の力で取り戻せ。母さんのための、最高の医者と薬を、今すぐ手配しろ。できなければ……お前はネロの餌になる」


その言葉は、ヴァレリウスの行動を支配する絶対の呪いとなった。

彼は恐怖に駆られるまま、残った僅かなコネクションを使い、王都から最高の医者と薬を手配することに奔走した。だが、彼の権威は既に失墜していた。主の異常な様子と、私兵たちの無様な敗走。その噂は瞬く間に組織内に広がり、力だけを信奉してきた幹部たちは、沈みゆく船から逃げ出すネズミのように、組織の財産を根こそぎ奪い、それぞれの欲望と共に姿を消した。


医者と薬が貧民街に到着する頃には、ヴァレリウスの組織は、内部から完全に崩壊していた。

全てを失い、抜け殻のようになったヴァレリウスは、医者がブレンナの治療を始めたのを見届けると、ルシアンの前でぽつり、ぽつりと自らの過去を語り始めた。彼もかつては、理不尽な貴族に全てを奪われた被害者だったこと。そして、いつしか奪う側の怪物になっていたこと。特に、どんな苦境でも真っ直ぐな正義感を失わないブレンナの姿は、彼が捨てた過去を想起させ、見ていて不快でならなかったのだ。

「……そんな母親に、ただ真っ直ぐな愛情を向けるお前が……心の底から、羨ましかったのかもしれんな」

それは懺悔ではなく、ただの、惨めな男の独白だった。

そして、彼は誰にも告げず、街から姿を消した。組織の残党や、これまで恨みを買った者たちからの報復が待っている。彼の未来は、永遠に終わらない地獄の逃亡生活だった。


王都から来た医者は、ブレンナを診察すると、首を傾げた。

「不思議だ……。これほど衰弱していれば、命が尽きていてもおかしくない。だが、なぜか最も危険な状態は脱している。まるで、何か強力な生命力によって、かろうじて繋ぎ止められているかのようだ」

その言葉に、ルシアンは確信する。森で創ったあの果実が、母の命を繋いでくれたのだと。

医者は続けた。「原因は不明ですが、幸いにも峠は越えている。この薬を正しく処方すれば、完全な回復が見込めますぞ」

その言葉に、ルシアンは固く拳を握りしめた。


数日後、ブレンナは奇跡的な回復を見せ、ベッドの上で体を起こし、ルシアンと話ができるまでになった。

ルシアンがスープを匙で口元に運ぶと、ブレンナはそれをゆっくりと飲み込み、そして、震える声で言った。

「……ごめんね、ルシアン」

「母さん……?」

「あんたを……あんな目に遭わせて……。母さんは、自分がどんな目に遭うよりも、あんたが不幸になることだけが、怖かった……。毎日、毎日、自分を責めて……後悔して……」

ブレンナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「だからね、あんたが戻ってきたのを見た時、奇跡が起きたと思ったんだ。もう、母さんの命なんてどうでもいい。この子が、どうか幸せになってくれますようにって、それだけを……」

「そんなこと言うなよ!」

ルシアンは、思わず声を荒らげた。

「俺は、母さんに生きててほしくて……!」

「うん……うん……。だから、今、こうしてあんたと話せてることが、何より幸せなんだよ。だから、もう……もう、母さんのために、自分を犠牲にするようなことは、しないで……おくれ……」

ブレンナは、痩せた手でルシアンの手に触れた。

「私の自慢の息子……。私の子供になってくれて、本当に……ありがとう……」

嗚咽と共に、彼女は泣き崩れた。ルシアンも、堪えきれずに涙を流した。二人の失われた時間が、温かい涙で少しずつ溶けていくようだった。



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