第三十三話:血の代償と夜明けの盟約
王都、王国騎士団庁舎の応接間。重々しい空気が、ルシアンとエリアナの肩にのしかかっていた。
国王アラルディス陛下が、部屋の奥で静かに腰掛けており、その傍らに騎士団長ガウェインが立つ。
ガウェインは、一歩前に進み出ると、一通の公式な羊皮紙を広げ、厳粛な声で読み上げ始めた。
「国王陛下の御名代として、王命を伝達する」
「クロスロード自治領、アステリア代表ルシアン殿。先日のアルバート・ド・ドゥヴェリューによる襲撃事件、並びに、レジナルド・ボーモン国家反逆事件における、多大なる貢献をここに称える。よって、シルベリア王国は、その功労者であるルシアン殿個人、並びに、ルシアン殿が所属するクロスロードに対し、以下の賠償と報奨を下賜する」
ガウェインは、一度言葉を区切ると、その内容を告げた。
「一つ。ルシアン殿個人への賠償として、金十億ゴールド」
「一つ。その功績を称え、『王国名誉騎士勲章』を授与する」
「一つ。クロスロードへの賠償として、旧ボーモン侯爵領に存在する『グレイロック鉱山』の所有権を、クロスロードへ譲渡する」
「じゅ、十億…!?」
エリアナは、その天文学的な数字に、思わず声を上げた。ルシアンもまた、息を呑んだ。金や名誉には興味はない。だが、グレイロック鉱山――それがクロスロードの物となれば、アステリアの未来にとって、計り知れない価値を持つ。
ガウェインは、呆然とする二人を前に、淡々と続ける。
「この内容は、既にクロスロードの両ギルド長へ、王国の正式な使者を通じて通達済みである。双方の合意が確認され次第、後日、正式な調印式、並びに、ルシアン殿への叙勲式を執り行う」
あまりにも目まぐるしい展開に、ルシアンは珍しく戸惑いを見せていた。
(これは…もう、俺個人の話じゃない。アステリアと、クロスロードと、そしてシルベリア王国。国と国との、やり取りなんだ…)
彼は、自分が、もはや引き返すことのできない、大きな奔流の中心に立たされていることを、改めて痛感していた。
◇
エリアナは、もはや呆然としていた。十億ゴールド、名誉騎士勲章、鉱山の譲渡…。あまりにも現実離れした言葉の数々に、途中からその内容が全く頭に入ってこなかった。
ガウェインによる王命の代読が終わり、堅苦しい儀礼が一段落すると、国王アラルディスが、静かに、しかし有無を言わさぬ響きで口を開いた。
「ガウェイン、少し席を外せ。ここからは、私と彼らだけの話だ」
「はっ」
ガウェインが退出すると、応接間の空気は、公式なものから、より密やかで、重いものへと変わった。
「さて」と、国王は切り出した。「この場を設けた、本当の意味を話そう」
彼の表情から、先程までの穏やかさが消え、一国の王としての、厳しい顔つきに変わっていた。
「レジナルド・ボーモンは、ただの有力貴族ではない。その『太陽の炎』は、我がシルベリア王国における、最強の戦力であり、抑止力であった。今回の彼の喪失は、国家間のパワーバランスを、根底から崩壊させる」
国王は、窓の外、東の方角を睨みつける。
「情報統制は敷いているが、時間の問題だろう。レジナルドという牙を失ったと知れば、宿敵ヴァルカス帝国が、この機を逃すはずがない」
その、あまりにも深刻な言葉に、ルシアンとエリアナは息を呑んだ。
国王は、再び二人に視線を戻すと、今度は、王としてではなく、一人の男として、深々と頭を下げた。
「そこで、頼みがある。レジナルドをも一蹴したルシアン殿、そして、その内に太陽の片鱗を宿すエリアナ殿。君たちのその規格外の力を、どうか、この国のために貸してはくれまいか」
それは、一国の王からの、魂からの願いだった。
ルシアンは、国家間の争いという、これまでとは次元の違う問題の大きさを痛感する。彼は、静かに、しかしはっきりと答えた。
「…陛下。お言葉ですが、即答はできかねます。俺は、アステリアの民の未来を預かる身。この件は、一度村へ持ち帰り、仲間たちと相談させてください」
その、私情や名誉に流されず、民を第一に考える姿勢。国王は、目の前の少年が、ただの強者ではないことを、改めて理解した。
「…うむ。もっともだ。良き返事を、待っている」
◇
国王は、国家間の問題という重い話から、今度は事件に関わった者たちの処遇へと、静かに話題を移した。
「ボーモン家、ドゥヴェリュー家は、今回の国家反逆の罪により、取り潰しとする。貴族位は剥奪、財産は全て王国が没収する」
その決定は、揺るぎない響きを持っていた。
「首謀者であるレジナルドと、その計画に加担した第一夫人エレオノーラは、過去の所業も踏まえ、極刑は免れまい。アルバートは、奴隷として鉱山へ送られることになるだろう」
淡々と語られる、名門貴族の末路。そして、国王は、そこで一度、言葉を止めた。
「…そして、ユリウスのことだが」
その声には、わずかながら苦渋の色が滲んでいた。
「ユリウスは、王国内の一部有力者や騎士団からの評判も良く、本人も誠実で、まさに次期ボーモン家の当主として期待されていた。今回の一件で、法に則れば奴隷落ちは妥当。だが…」
国王は、再び言葉を止めると、今度は、まっすぐにルシアンを見つめた。
「ルシアン殿。ユリウスを、お主のところで面倒を見てはくれまいか」
「…それは、どういう意味でしょうか、陛下」
ルシアンが、静かに問い返す。
「身分は、奴隷としてだ。だが、王国内では、瓦解したボーモン家の影響が大きすぎる。関係する貴族一派からの恨みを買い、ユリウスは生きてはいけまい。しかし、あの若者は惜しい人材だ。その可能性を、どうにか守ってやりたいのだよ」
その言葉を聞き、ルシアンの脳裏に、あの燃え盛る屋敷での光景が蘇った。絶望の中で、それでも王国貴族としての責務を全うしようと、実の父親に剣を向けた、誠実な若者の姿。
彼は、隣に座るエリアナへと、そっと視線を移した。彼女は、複雑な表情で俯いている。ユリウスは、彼女にとって、この世に残された唯一の血縁者なのだ。
ルシアンは、覚悟を決めた。
「…分かりました。あくまで、奴隷としてのユリウスを、この私が引き受けます」
その答えに、国王は、心の底から安堵したような、穏やかな表情を浮かべた。
◇
かくして、一ヶ月後。王都では、シルベリア王国とクロスロードとの賠償内容に関する公式な調印式、並びに、ルシアンへの叙勲式が厳かに執り行われた。
王命の各内容が正式に発表され、辺境の銀級冒険者であった少年が、一夜にして王国を救った英雄へと祭り上げられる。
調印式にクロスロードの代表として訪れていたカインは、王国の要人たちと堂々と渡り合うルシアンの姿を、感慨深げに、そして畏怖の念を込めて見つめていた。
(…もはや、俺の手の内には収まらん。あの少年が、これからの時代を創っていくのだな)
彼は、新たな時代の幕開けを確信していた。
その頃、アステリアでは、評議会のメンバーたちが集会所に集まり、王都から届く怒涛の知らせに、興奮と戸惑いを隠せずにいた。
「まさか、ルシアン殿が、王国騎士団の名誉勲章を…」
「グレイロック鉱山が、我らクロスロードのものに…! バルディン殿、これで鉄には困らんな!」
「ええ、ええ! これで、本格的な工房が建てられますわ!」
クララとコンラッドが、未来の計画に目を輝かせる。
その様子を、ブレンナは温かいお茶を淹れながら、母親のような優しい目で見守っていた。
「あの子は、昔からそうだ。いつも自分のことより、誰かのために無理ばかりする。…でも、今はあの子を支えてくれる、あんた達みたいな頼もしい仲間がいてくれて、母さん、本当に嬉しいよ」
その時、監視塔から、帰還を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
村の門の前に、人々が駆け寄っていく。そこに立っていたのは、数ヶ月前とは比べ物にならないほど、精悍な顔つきになったルシアンと、自信に満ちた笑みを浮かべるエリアナ、そして、なぜか当然のようにその隣にいるレンの姿だった。
「ルシアン!」「エリアナ様!」
仲間たちの歓声に、ルシアンは穏やかに手を挙げて応える。
「ああ、ただいま。みんな、留守をありがとう」
エリアナもまた、嬉しそうに微笑んだ。「すごい…! 私たちがいない間に、こんなに村が大きくなってる!」
出発の時よりも、村はさらに発展し、人々の顔には活気が満ちている。季節は、穏やかな秋から、冬の気配が感じられる頃へと移り変わっていた。
そして、村人たちは気づく。一行の後ろに、もう一人、静かに佇む若者の姿があることに。
奴隷の身分を示す簡素な服を着せられ、しかし、その瞳にまだ光を失っていない、ユリウスだった。
ルシアンは、皆の前に進み出ると、静かに告げた。
「彼が、ユリウスだ。今日から、俺たちの新しい仲間として、このアステリアで暮らすことになった」
その言葉に、村人たちの間に動揺は走らない。また、我らが長が、行き場のない者を救ってきたのだ。ただ、それだけのこと。ガルバが、温かい笑みで一歩前に出た。
「ようこそ、ユリウス殿。アステリアへ」
ルシアンは、ユリウスの隣に立つエリアナへと、そっと視線を送った。
エリアナは、こくりと頷くと、俯いたままのユリウスの前に、ゆっくりと歩み寄った。
「…ユリウス、兄さん」
その、か細い、しかし確かな声に、ユリウスは弾かれたように顔を上げた。彼の瞳が、驚きに見開かれる。
エリアナは、少しだけ頬を赤らめながらも、精一杯の、優しい笑みを向けた。
「おかえりなさい」
その一言が、全てを失い、絶望の淵にいたユリウスの凍てついた心を、ほんの少しだけ、温かく溶かしていくのを感じた。
新たにユリウスを加え、アステリアへと帰還した一行。彼らの心には、自らの大きな成長と、村の発展への希望。そして、これから向き合う国家間の困難という、一抹の不安が同居していた。それでも、彼らはまた一歩、未来へと踏み出す。アステリアの、新たな日常が始まろうとしていた。




