表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/63

第三十二話:王都の夜明け

天を焦がしていたボーモン邸の火災が、徐々に鎮火していく。

夜空は晴れているというのに、どこからともなく現れた煌めく水滴が、屋敷全体に静かに降り注いでいた。それは雨ではない。近くの川から汲み上げられた水が、巧みに操られた風に乗せられ、屋敷全体に降り注いでいる、奇跡のような光景だった。


屋敷の門前には、ユリウスが必死に応急処置を施した、アランをはじめとする負傷者たちが並べられている。幸いにも死者はいないようだが、重傷者も少なくない。

そこへ、一台の豪華な馬車が、救護隊と共に到着した。馬車から現れたのは、シルベリア王国騎士団を束ねる、壮年の騎士団長ガウェイン。そして、その後ろから、心配で駆けつけたエリアナとレン、ネロの姿もあった。


その時、鎮火した屋敷の方から、一人の少年が、意識のないレジナルドをその肩に担ぎ、静かに歩いてきた。ルシアンだった。


「父上!」

負傷者の応急処置をしていたユリウスが、駆け寄ってくる。

ルシアンは、その顔に憐れみの色を浮かべるでもなく、ただ事実だけを告げた。

「死んではいないが、再起は難しいかもしれない。早く手当をする必要がある。救護班に回してくれ」


「……っ、はい」

ユリウスは、無言で涙を溜めながら、父の体を救護班へと運んでいった。


一方、担架で運ばれていたアランが、ガウェインの姿を認め、か細い声で彼を呼んだ。

「団長…報告、が…」

アランは、応急手当てを受けつつも、最後の気力を振り絞り、途切れ途切れに、しかし要点だけを団長に伝えた。その報告を終えると、彼はゆっくりと目を閉じ、救護班によって馬車へと運ばれていった。


ガウェインは、ルシアン、そして呆然と立ち尽くすユリウスとエレオノーラの元へ向かうと、厳粛な、しかし敬意を払った口調で告げた。

「皆様には、詳しい事情をお聞きする必要がある。王城まで、ご同行願いたい」

三人は、その言葉に静かに頷くと、騎士団長の馬車に乗り込み、夜の王都へと出発していった。


「ルシアン…」

エリアナとレンは、声をかけようとしたが、馬車に乗り込む直前の、彼のあまりにも真剣な横顔を見て、その言葉を飲み込んだ。今は、ただ彼の帰りを待つことしかできない。二人は、ネロと共に、静かにその場を後にした。



翌日の昼過ぎ。宿屋の扉が静かに開き、ルシアンが一人で帰ってきた。その顔には深い疲労の色が浮かんでいたが、その瞳は、嵐が過ぎ去った後の空のように、どこか吹っ切れた様子だった。


「ルシアン!」

心配そうに出迎えるエリアナに、彼は優しく、しかし真剣な眼差しで告げた。

「エリアナにとって、とても大事な話がある。明日、一緒に来てほしい場所があるんだ」


そして、彼はふっと表情を和らげると、エリアナとレンに、悪戯っぽく爽やかに笑いかけた。

「ああ、でも、今日はもう疲れた!」


その、年相応の屈託のない笑顔に、エリアナとレンの胸が、思わず高鳴った、次の瞬間。

ルシアンの体は、糸が切れた人形のように、その場にあったベッドへと倒れ込み、そのまま深い、深い眠りに落ちてしまった。


「「ええっ!?」」


エリアナとレンは、そのあまりの唐突さに驚きつつも、彼がどれほどの重圧と戦ってきたのかを理解し、その健やかな寝顔を見ながら、表情を和らげ、安堵のため息をついた。ネロが、主人の胸の上にそっと飛び乗り、寄り添うように丸くなる。


翌朝。

何とも言えない寝苦しさに、ルシアンはゆっくりと目を開けた。

視界に飛び込んできたのは、自分の両脇で、すやすやと寝息を立てているエリアナとレンの顔。そして、お腹の上には、温かい毛玉の感触。ネロが、気持ちよさそうに丸まっていた。

(……なんだ、この状況は…?)

ルシアンは、全く状況が理解できず、固まった。


すると、レンがすっと静かに目を覚ました。彼女は、ゆっくりと起き上がると、ルシアンのお腹の上で眠るネロを、壊れ物を扱うかのように、そっと持ち上げる。

(可愛い…このまま、すりすりしたい…)

一瞬、その動きを止めて葛藤したが、ゆっくりとベッドの空いている場所にネロを降ろすと、今度は、そのままルシアンの胸の上に、改めて顔を乗せて寝転がった。


そして、真顔のまま、ルシアンの顔を至近距離から覗き込み、静かに告げる。

「おはよう」


ルシアンが、その一連の謎の行動に呆気に取られていると、隣で寝ていたエリアナが、身じろぎしながら目を覚ました。

「ふぁぁ…おは、よ…」

そして、目の前の光景を認識した瞬間、彼女は飛び起きた。

「って! 何やってるのよ、レン!」

エリアナが、慌ててレンをルシアンの胸から引き剥がす。レンは、少しも悪びれる様子なく、淡々と告げた。

「生存確認(心音確認)だ」


朝食の席で、ルシアンが二人に事情を聞くと、こうだった。

ルシアンがあまりに深い眠りに入っていたので、心配になったエリアナが、そばで見守るために一緒に寝ると言い出した。すると、決闘からまだ日の浅いエリアナを一人にはできないと、レンが護衛として一緒に寝ると言い出した。押し問答の末、なし崩し的に、三人(と一匹)で寝ることになったのだという。

「でも!」と、エリアナは頬を膨らませる。「朝のあれは、完全にレンの個人的な行動よ! 約束違反なんだから!」

ルシアンは、よく分からないまま、その騒がしい朝食を終えることにした。



昼過ぎ、ルシアンはエリアナを連れて、王都の中央にそびえる王国騎士団庁舎に来ていた。

通された重厚な応接間には、既に二人の人影があった。一人は、騎士団長ガウェイン。そしてもう一人は、深いケープで顔と体つきを完全に隠した、謎の男性だった。


ガウェインが扉を閉め、部屋に四人だけが残されると、その男性はゆっくりとケープを外した。

現れたのは、高貴な雰囲気を纏う、50歳ほどのロマンスグレーの髪の男性だった。その顔には深い威厳が刻まれ、瞳は、この国の全てを見通しているかのように、静かで、そして力強い。


ガウェインが、その場で厳かに膝をついた。

「こちらは、シルベリア国王、アラルディス陛下にございます」


「――えっ!?」

あまりの驚きに、エリアナは息を呑み、ルシアンもまた、目を見開いた。二人は、慌ててその場に膝をつき、深く頭を下げる。

しかし、国王は穏やかな声で、それを制した。

「面を上げよ。堅苦しいのは抜きだ。皆、椅子にかけてくれ」


国王自らもゆっくりと椅子に腰掛けると、彼は、ルシアンとエリアナをまっすぐに見つめ、静かに、しかしはっきりと告げた。

「この度のこと、シルベリア国王として、まずは謝罪と、そして心からの感謝を伝えたい」


王からの、あまりにも予期せぬ言葉に、二人は再び驚き、言葉を失う。国王は、続けた。

「そして、エリアナ殿。貴殿にも、我らは大きな苦労をかけた」

名指しでかけられた言葉に、エリアナの頭はさらに混乱する。


その様子を見て、ガウェインが事の次第を説明し始めた。

「昨夜、ルシアン殿たちから当日の状況を確認した後、救護班に運ばれたレジナルドは、意識を取り戻した。しかし、なぜか、あれほど強大だった魔法の力は完全に消え失せ、その事実に憔悴しきった彼は、全ての罪を淡々と白状した」


「レジナルド侯爵は、長年に渡り、東のヴァルカス帝国と裏で繋がっていた。帝国から禁制品や違法な魔道具の供与を受ける見返りに、国境付近での密偵活動を黙認し、その裏取引で得た品を、一部の弱小貴族を仲介役として、貧民街のヴァレリウスや、クロスロードのギデオンといった者たちに捌かせ、私腹を肥やしていたのだ」


「そういえば…」と、ルシアンは呟いた。「ヴァレリウスも、ギデオンも、アルバートも、みんな怪しい魔道具を持っていた。全て、帝国から…!」


「その通り」と、ガウェインは頷く。「今回は、アルバートが使った魔道具から、その繋がりが露見した格好だ」


その事実に、ルシアンは驚愕しながらも、改めて怒りを覚えた。王国の有力貴族の腐敗。それによって、ブレンナが、エリアナが、そして名も知らぬ多くの人々が、どれほどの苦しみを味わってきたことか。



「加えて…」

ガウェインは、それまで黙っていたエリアナの方へと、静かに向き直った。

「レジナルド侯爵は、全てを話した。…エリアナ殿、君の父君が、彼であることも」


その言葉に、室内の空気が凍りついた。

貧民街での老夫婦の話から、半ば覚悟はしていた。だが、事実として突きつけられたその言葉は、改めて、重い衝撃となって二人を襲う。


エリアナは、震える声で、絞り出すように尋ねた。

「…もしかしたら、ってのは思っていました。私が拾われた時の経緯を聞きましたから…。それで、本当の、お母さんは…」


ガウェインは、痛ましげに、しかし事実を告げた。

「…ああ。記録上、16年前に第二夫人とその娘が、不慮の事故で亡くなっている。おそらく、それは…」


「私と、お母さん、ね…」

エリアナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。重い、重い空気が、室内を満たす。


しかし、彼女はすぐにその涙を拭うと、顔を上げた。その瞳には、悲しみではなく、強い光が宿っていた。

「でも、もうどうでもいいことです。私には、ルシアンがいる。アステリアで待ってくれている、大切な人たちがいる。今は、目の前の大事な人たちを守ること、それが一番なのです」


その、あまりにも気丈な姿に、国王とガウェインは、静かに感銘を受けていた。

「…分かった」と、ガウェインが切り出す。「ここまでは、この事件の話だ。ここからは、今後の話をしよう。君たちアステリアと、我らシルベリア王国との、未来の話をな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ