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第三話:復讐の翼、母の待つ街へ

人狼の【夜間視力】を得た瞬間、ルシアンの脳裏に、痩せ細り、死の淵をさまよっていたブレンナの姿が、鮮明に蘇った。

(そうだ……母さんには、時間がないんだ……!)

森で力をつけている間にも、彼女の命の灯火は消えかけているかもしれない。一刻の猶予もない。焦燥感が、彼の心を焼き付けた。


彼はすぐさま行動を開始した。だが、その前にやるべきことがある。

(あの戦い……俺は、ほとんど何もできなかった……)

植物の罠は、確かに人狼の動きを鈍らせた。だが、決定打にはならなかった。肩を裂かれ、激痛に耐えながら隙を作り、最後にとどめを刺したのはネロだ。もしネロがいなければ、死んでいたのは自分だった。


その考えに至った時、ルシアンは足を止めた。脳裏に流れ込んできた、もう一つの知識。人狼の、鋭く、命を刈り取るためだけに存在する牙の形状。

(……これだ。俺にも、牙が必要だ)

それは、ただの思いつきではない。死闘の末に得た、生存のための、そして復讐を遂げるための、必然的な結論だった。


ルシアンは、森の一角にある、一際硬いことで知られる黒樫の木に触れる。そして、脳裏に焼き付いた人狼の牙を、強く、強くイメージした。

彼の力を注ぎ込まれた黒樫の木は、ありえない速度で成長し、ねじれ、その先端は、まるで狼の牙のように鋭く尖った、恐ろしい一本の木槍へと姿を変えていった。それは、彼の復讐心そのものが形になったかのような、禍々しいまでの鋭さを放っていた。


完成した木槍を手に、彼は森を駆け抜ける。人狼から得た【夜間視力】と、ゴブリンから得た【地理知識】。この二つが合わさった今、夜の森は彼にとって、もはや障害ではなかった。


夜が明け、朝日が地平線を照らす頃、二人はついに森を脱出した。

だが、目の前に広がっていたのは、なだらかな丘と蛇行する川が延々と続く、見知らぬ土地だった。街は見えるが、あまりにも遠い。

(くそっ……!)

ゴブリンの知識は、森の中だけのもの。森の外の地理は全く分からない。最短ルートに見えても、深い谷や沼地が隠れているかもしれない。無闇に進めば、どれだけ時間がかかるか。焦りが、彼の心を蝕んでいく。


その時、ルシアンは脳裏に焼き付いたゴブリンの地図を、もう一度必死にたどった。森の中だけでなく、その周辺の情報も。そして、思い出した。ゴブリンたちが、決して近づこうとしない場所があったことを。森の境界にそびえ立つ、切り立った断崖絶壁。彼らが恐れていたのは、そこに巣食う、空の魔物。

(そうだ……空から見ればいい!)

ゴブリンの知識の中にあった、鷹に似た凶暴な魔物「ゲイルウィング」。ゴブリンたちが森から出ないのは、この空の捕食者を恐れているからだ。

(あれを倒せば、ネロは空からの視点を手に入れられるかもしれない。そうなれば、街までの道筋が、全て見えるはずだ!)


ルシアンは、森の境界線に沿って、断崖絶壁へと向かった。

彼は植物操作で崖に蔦の足場を作り、ゲイルウィングの巣へと迫っていく。途中、足場が途切れた場所があった。三メートルほどの距離。以前の自分なら、到底飛び越えられない。だが、彼は迷わず跳躍した。

(……軽い!)

体が、まるで羽毛のように軽やかに舞い、楽々と対岸の足場に着地する。奴隷だった頃とは比べ物にならない、驚異的な身体能力。

(これも……ネロの力なのか? あいつが魔物の力を吸収するたびに、俺自身の体も、強化されている……?)

そうだとしたら、この狩りは無駄じゃない。戦えば戦うほど、俺たちは強くなる。その確信が、彼の心をさらに燃え上がらせた。


やがて、甲高い鳴き声と共に、巨大な翼を持つ魔物が空から舞い降りた。

ゲイルウィングは、ルシアンを威嚇するように翼を広げると、凄まじい突風を巻き起こした。

「ぐっ……!」

体が吹き飛ばされそうになる。だが、ルシアンは冷静だった。

(この風……使える!)

彼は、ゲイルウィングが起こす突風に、自らの力を上乗せして「増強」した。ルシアンに向かって吹いていた風が、まるで意思を持ったかのように向きを変え、何倍もの威力となってゲイルウィング自身に襲いかかる。

「ギィッ!?」

予期せぬカウンターに、ゲイルウィングの巨体がバランスを崩し、背後の岩壁に激しく叩きつけられた。


その一瞬の隙を、ネロは見逃さなかった。

蔦の足場を駆け上がり、岩壁に叩きつけられて悶えるゲイルウィングの顔面目掛けて、弾丸のように飛び出す。そして、その鋭い爪で、両の目を正確に切り裂いた。

「ギャアアアアアッ!」

視界を奪われたゲイルウィングが、狂ったように暴れ回る。

(今だ!)

ルシアンは、最後の力を振り絞り、蔦の足場から跳躍した。空中で体を捻り、手にした黒樫の木槍を、暴れるゲイルウィングの心臓目掛けて、渾身の力で突き立てる。


ズブリ、と肉を貫く鈍い感触。

ゲイルウィングの動きが、ピタリと止まった。断末魔の叫びを上げることもなく、その巨体は静かに崖下へと落ちていった。


ゲイルウィングを倒し、ネロがその力を吸収する。人狼に裂かれた肩の傷がまだズキリと痛むが、そんなことは些細な問題だった。ネロの体がひときわ強く発光し、ルシアンの意識が、まるで空高く舞い上がるような浮遊感に包まれた。

脳裏に、森と街を含む周辺一帯の、鮮明な鳥瞰図が描き出される。彼は、新たなスキル【鷹のホークアイ】を手に入れたのだ。


(見える……!)

街までの最短ルート。ヴァレリウスの事務所。そして何より、ブレンナがいるであろう、懐かしい我が家の位置を、彼は正確に把握した。

もう迷いはない。彼は、ただひたすらに走った。地面を蹴る力が、空気を切り裂く。丘を駆け上がり、小川を飛び越え、疲労すら感じない。ネロから得た力が、俺を人間以上の存在に変えつつある。その事実が、復讐への確信をさらに強固なものにした。


そして……夕暮れ時、ついに貧民街にたどり着く。ボロ布で顔を隠し、人目を避けながら、記憶の糸をたどって我が家の扉の前に立った。扉を開けると、そこには、病と貧しさの匂いが充満していた。そして、痩せ細り、死人のように眠るブレンナの姿があった。

「母さん……」

絞り出すような声に、ブレンナがうっすらと目を開ける。

「……ルシアン……? ああ、また、夢を……」

そのか細い声が、ルシアンの胸を締め付けた。彼は、森で創り、非常食としていた生命力に満ちた果実を、彼女の口元へそっと運んだ。

果実を口にしたブレンナの頬に、ほんのわずかに血の気が戻る。だが、根本的な解決にはなっていない。


ルシアンは、ブレンナの冷たい手を握りしめ、窓の外、街の中心にそびえるヴァレリウスの事務所を、冷たい怒りの瞳で見据えた。(まずは、母さんをここから連れ出すための薬と金。そして、あの男に地獄を見せるための、情報と計画……。今夜、全てを手に入れる)


「待ってて、母さん。すぐに全部、終わらせてくるから。」


彼の新たな戦いが、始まろうとしていた。

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