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第二十五話:虹の誓い

宴の喧騒が嘘のように静まり返った翌朝。アステリアの集会所には、再び評議会のメンバーが集まっていた。議題は、ブレンナが提起した、村の未来を左右する深刻な問題――「労働力不足」についてだった。


「報告の通りだ」と、建築家のコンラッドが腕を組んで口火を切る。「今の倍の人手があれば、冬が来る前に、全ての住居とインフラを完成させられる。だが、今のままでは、良くて半分。下手をすれば、冬の寒さで病人が出始めるだろう」


その言葉に、皆の表情が険しくなる。バルディンも、フィアナも、クララも、それぞれの計画が同じ壁にぶつかっていることを改めて認識していた。


「…やはり、外から人を受け入れるしかないのか」

ガルバが、不安げに呟いた。彼の言葉は、元々はぐれ者として虐げられてきた獣人たちの、心の奥底にある恐れを代弁していた。


「だが、どんな連中が来るか分からんぞ。俺たちみてえなはぐれ者ならまだしも、ただのゴロツキや、この村の富を狙う悪党が紛れ込んでいたらどうする?」

バルトの懸念も、もっともだった。


議論が平行線を辿る中、ルシアンは静かに皆を見回し、そして言った。

「アステリアは、行き場のない者たちが、新たな始まりを迎えられる場所だ。それは、最初に俺が皆に約束したこと。その想いは、今も変わらない」

彼の声には、揺るぎない決意が宿っていた。

「もちろん、誰でもいいわけじゃない。だから、俺が直接クロスロードへ向かう。信頼できる人物に、俺たちの仲間となる者たちを紹介してもらうために」


その、信頼できる人物とは、ギルドマスター・カインに他ならなかった。



数日後。クロスロードの冒険者ギルド、ギルドマスター室。

カインは、扉を開けて入ってきたルシアンの姿を見て、わずかに目を見開いた。

(…ほう)

最後に会ったのは、ほんの数ヶ月前のはずだ。だが、目の前に立つ少年が纏う空気は、あの頃とはまるで違っていた。ただ強いだけの銀級冒険者ではない。その佇まいには、多くの民を背負う者だけが持つ、静かな、しかし圧倒的な存在感が宿っている。

(ルナリアで、一体何があった…? これは、もはやただの『逸材』というだけでは収まらんかもしれんな)


「して、今日の要件は?」

内心の驚きを一切表情に出さず、カインは問いかける。

ルシアンは、アステリアの現状と、労働力不足という問題を包み隠さず話した。そして、深々と頭を下げる。

「カインさん。このクロスロードで、新たな居場所を求めている者はいないだろうか。俺たちの村で、共に未来を築いてくれる仲間を、紹介してほしい」


その言葉を聞き、カインは静かに口の端を吊り上げた。

「…ちょうどいい。このクロスロードにも、力はあっても、居場所のない連中が大勢いる。元兵士、ワケありの冒険者、他の街を追われた者…。貴様に、その荒くれ者どもをまとめ上げる度量があるか、見せてもらおう」


それは、ルシアンの器を試す、ギルドマスターからの新たな「試練」だった。



数日後。カインの紹介を受けた、50名ほどの新たな移民たちがアステリアに到着した。

様々な種族が入り混じり、その目つきは鋭く、誰もがこれまでの過酷な人生をその身に刻み込んでいる。


「ふん、大したことねえな。掘っ建て小屋がいくつかあるだけじゃねえか」

屈強なドワーフの男が、侮るように吐き捨てる。

「おいおい、話が違うじゃねえか。本当にここで暮らせるのかよ」

顔に大きな傷跡を持つ、元傭兵と思しき男が、古参の住民たちを威圧するように睨みつけた。

彼らのあからさまな敵意に、門の前で出迎えたガルバやクララたちの間に、緊張と不安が走る。


その、一触即発の空気を切り裂くように、集会所から一人の少年が静かに姿を現した。

銀髪を風に揺らし、ただそこに立つだけで、荒くれ者たちの喧騒が、まるで潮が引くように静まり返っていく。彼らは本能で感じ取っていた。目の前の少年が、自分たちとは次元の違う、絶対的な存在であることを。


少年――ルシアンは、集まった全ての民を、その静かな瞳で見渡した。

「私が、このアステリアを導く者、ルシアンだ」


彼の声は、大きく張り上げるでもなく、威圧するでもない。だが、その言葉は、不思議なほど全員の耳に、そして魂に直接響き渡った。

「あなたたちが、どのような過去を背負ってきたかは問わない。だが、ここで生きると決めたのなら、私の民として、アステリアの未来を共に築いてもらう」

彼は、そう言うと、踵を返し、村の外に広がる広大な、手つかずの荒野へと歩き出した。

「言葉は不要だろう。私が示す未来を、その目に焼き付けてほしい」


古参の民も、新たな移民も、誰もが困惑しながらも、その圧倒的な存在感に引きずられるように、彼の後を追った。


やがて、ルシアンは荒野の中心で足を止めると、振り返り、全ての民を見渡した。

彼は、静かに大地へと手のひらを触れさせた。


次の瞬間、奇跡が起きた。


ゴゴゴゴゴ…!

大地が、産声を上げるように、低く、しかし力強く脈打った。彼の意志に応え、乾いた土は見る見るうちに生命力に満ちた黒土へと変わり、広大な土地に、まるで巨大な見えざる巨人が鋤を引いたかのように、一瞬にして整然とした畝を持つ大規模な農地が出現した。


次に、彼は何もない地面の一点を指し示す。すると、その場所の土が、まるで生きているかのように盛り上がり、こんこんと清らかな水が、天へと向かって噴き出した。それは、涸れることのない、豊かな泉となった。


最後に、ルシアンがそっと手を天にかざすと、穏やかな風が吹き起こる。その風は、泉の水を優しくすくい上げ、光を反射してきらめく慈雨の霧となって、生まれたばかりの広大な農地全体を、均等に潤していく。

そして、太陽の光を受けたその霧は、荒野に、鮮やかな七色の虹の橋を架けた。


荒くれ者たちは、その光景に言葉を失った。

「……嘘だろ…」

「魔法…? いや、違う…! 魔法じゃ、こんなことはできねえ…!」

「神…なのか…?」


彼らがこれまで信じ、頼ってきた「力」――それは、奪うため、生き残るための、暴力的な力だった。だが、目の前で起きたことは、次元が違う。破壊ではなく、創造。奪うのではなく、与える。目の前の少年が、自分たちに本当の楽園を与えてくれる、絶対的な存在であることを、本能で理解したのだ。


最初に膝をついたのは、あの元傭兵の男だった。彼は、手にしていた無骨な剣を、そっと地面に置くと、ルシアンに向かって、深く、深く頭を垂れた。

その行為を皮切りに、一人、また一人と、その場に膝をついていく。それは、恐怖による服従ではない。希望と、畏敬の念に満ちた、心からの平伏だった。



新たな民が加わったその日から、アステリアの発展は、飛躍的に加速した。


労働力が倍以上に増えたことで、評議会で決定された五つの計画が、驚異的な速度で進み始める。村中に、希望に満ちた槌音が響き渡っていた。

「おい、そっちの梁、もう少し右だ!」「おうよ!」

コンラッドの指揮のもと、元兵士たちの統率された動きと、獣人たちの生まれ持った腕力が組み合わさり、新たな長屋が次々と組み上がっていく。


バルディンの工房からは、昼夜を問わず、カン!カン!という心地よい金属音が響いていた。

「若いの、火力が足りん! もっと風を送れ!」

「へい、親方!」

力自慢のドワーフの移民が、バルディンの弟子として、汗だくでふいごを動かしている。


ルシアンが創り出した広大な農地では、フィアナの指導のもと、大規模な開墾が進んでいた。エリアナは、修練の成果である、制御された炎の魔法で雑草だけを的確に焼き払い、開墾作業に大きく貢献していた。


その喧騒から少し離れた、一本の大きな木の周りで、レンは、真顔のまま、静かに動いていた。

木陰で涼んでいたネロの近くに、彼女はごく自然に回り込む。

(可愛い…)

レンは、誰にも気づかれぬよう、ゆっくりとネロの方へとにじり寄った。しかし、ネロは彼女の内に渦巻く、あまりにも強すぎる思念を感じ取り、すいっと身を翻して、木の幹の反対側へと移動してしまう。レンは、無表情のまま、今度は逆から回り込む。すると、ネロはまた、ひらりと元の場所へ。

(可愛い…)

その、静かすぎる鬼ごっこは、活気に満ちた村の中で、誰に気づかれることもなく、延々と繰り返されていた。


少し離れた木陰。ルシアンは、その活気に満ちた村の光景から、ふと隣のエリアナへと視線を移した。

彼女は、獣人の子供たちと人間の子供たちが、一緒になって泥遊びをしているのを、実に楽しそうに、声を立てて笑いながら見ていた。その屈託のない笑顔は、昔、貧民街で見た時と、何も変わらない。


「…何?」

じっと見つめられていることに気づいたエリアナが、不思議そうに首を傾げる。

ルシアンは、少しだけ照れたように、しかし、まっすぐに彼女の目を見て言った。

「いや…。エリアナの、その笑顔が好きだな、と思って」


「――えっ!?」

エリアナの顔が、一瞬で、熟れた果実のように真っ赤に染まった。

「な、ななな、何を急に言い出すのよ!」

彼女は、わたわたと慌てながら、ルシアンに背を向けてしまう。その背中まで赤くなっているのを、ルシアンは、ただ穏やかな笑みで見つめていた。


少し離れた木の影から、真顔のエルフが見つめていた。

レンだった。追いかけっこに疲れたネロが、すっかり安心しきって、その足にすり寄るように丸まって眠っていたが気づいていない。



その頃、クロスロードの冒険者ギルド、ギルドマスター室。

カインは、部下から「移民団が、何の問題もなくアステリアに受け入れられた」との報告を受けていた。彼は、窓の外を見やり、アステリアのある方角を眺めながら、静かに呟いた。


「…驚くべき速度だ。あの場所は、もはや単なる開拓地ではない。いずれ、このクロスロードすら飲み込みかねん、新たな『星』となるやもしれんな」


「…だが、その前に、か」


カインは、そう言うと、机の上に置かれた一通の手紙に、その鋭い視線を落とした。

そこには、シルベリア王国の公印が、くっきりと押されていた。

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