第2話「S級テイマー、スライムになる」
まいどありー。風呂も清掃込みで、一回一枚。
それが、俺とオークの相場だ。
今日もこの公衆浴場のテイマー専用区画で、泡だらけの戦いが始まる——。
公衆浴場のテイマー専用区画。
今日も俺は、泥と汗と食べかすまみれのオークを、ゴシゴシと洗っている。
「ふごふご……ごろろ」
オークは気持ちよさそうに喉を鳴らしながら、湯船の中でくるくる回る。
まるで巨大な芋虫でも洗ってるような気分だ。実際、泥を落とすと肌はほんのりピンクがかっていて、ちょっと芋に似ている。
周囲では、テイマーたちが自慢の魔獣をせっせと磨いている。
オオカミ型の《シルバーウルフ》。
焔の尾を持つ《ヒトカゲ》。
気高き角を湛えた《ユニコーン》。
洗いながら、あちこちから声が飛んでくる。
「こいつ、火吹けるようになったんだぜ」
「まじ? やっべぇ、それじゃB級突破じゃん」
「次の魔獣戦、余裕だな」
湯気の中で交わされるのは、魔獣自慢と武勇伝ばかりだ。
——その輪の外。
ひっそりと、ゴブリンやスライムと暮らす俺たち“底辺”は、泡立てた手で黙々と背中を洗っている。
泡まみれの手で、オークの背中をこする。
背中には無数の傷跡がある。最初に出会った時のものだ。
ふと、浴場の空気が変わった。
どよめき。ざわつき。
石鹸の匂いに混じって、焦げたような、熱の気配。
——来た。
「うわ、見ろよ」
「赤い鱗……あれが……!」
湯気の向こう、石造りの床を振動させながら、赤鱗のドラゴンがゆっくりと現れた。
巨躯に絡みつく熱気、ひと睨みで浴場全体が静まり返る。
その背にまたがるのは、今をときめくS級テイマー。
湯船の列がざわつき、音もなく左右に割れていく。
彼とその竜は、まるで王のように中央を通った。
俺は、オークの身体を洗う手を止めて、そっと頭を下げる。
——目立つな。空気になれ。
(でも……)
ちらりと見上げた視線の先。
赤い鱗の揺らめきに、かつての幻影が重なる。
金色のドラゴン——その背にまたがっていた、はずの“俺”。
(あのときは……模擬魂のスライムにさえ、俺は……)
◇
——あれ、俺……どうしたんだ?
視界がぼやけている。天井が揺れて見える。
のぞき込む顔が二つ。見覚えのある平民の同期たち。
「よかった、目を覚ました……!」
安堵の声のすぐあとに、くすくすと鼻で笑う声が混ざる。
「スライムにはなりたかねぇーよなぁー」
「まったくだ、あれは魔獣っていうより、ただのゼリーだろ」
貴族連中の笑い声が、壁に反響して耳に残る。
「——今日の演習はここまでとする! 各自解散!」
教師の声が教室を裂くように響き、ざわついたまま生徒たちは散っていった。
教室に残されたのは、机と椅子と、俺たちだけだった。 湯気のようにざわめきは消え、静寂だけが染みついている。
「意識が戻ったようだな。名前は言えるか?」
声をかけてきたのは教師だった。
「……シュウ、です」
「よし、大丈夫だな。魔獣に魂を奪われそうになるとは……今後は気を引き締めていけ」
「……はい」
頭がぼんやりして、まだ現実感がない。
「俺……どうなってたんだ?」
「いきなり丸まってさ、なんか無言で転がり始めて、机に突っ込んだり……」
「俺たちで抑えようとしたけど、すげえ力だったぞ」
「そのうち動かなくなって、気を失ったみたいだった」
——そして、今に至る。
スライムに……のっとられかけた? 最弱のスライムに、俺が?
失意の中、俺はふらふらと部屋へ戻った。
今日はもう寝るか。ベッドに横になると、ポケットに違和感を覚えた。
掃除のときに見つけた、あの玉だ。
黒ずんでいて気づかなかったが、この装飾……間違いない。模擬魂だ。
演習で使われていたものは銀色だったから、すぐには分からなかったのか。
さびて黒ずんだ模擬魂。廃棄されたものか……その弱々しい光を、ただ見つめていた。
なぜか、目を逸らせなかった。