第18話「覚醒!Sを導くもの」
訓練場の片隅——少女の前で、貴族の少年が、とげ付きの鞭が振り下ろそうとしていた。
平民の女生徒は、しゃがみ込み、身を縮めている。
その前に立つのは、にやけた顔の貴族の少年だった。
彼は黒い鞭をゆっくりとしならせながら、さらに口角を吊り上げる。
「お前ら平民は、鞭でぶたれないとテイムできないんだって?俺が手伝ってやるよ。」
女生徒は唇を噛み、肩をすくめながら頭を抱えるようにしていた。
足元には力が入らず、小刻みに震えている。
顔は紙のように白く、恐怖の色しか浮かんでいない。
訓練場の空気は張り詰め、冷えた静寂が辺りを覆っていた。
息を飲む音すら響きそうな——そんな緊張を破ったのは、ミリアの足音だった。
「ちょっと、何をしているのかしら」
その一声で、張り詰めていた空気が変わる。
銀糸の髪を揺らして現れた少女に、誰もが息を呑む。ミリア・グランセリオだった。
「見てわからねぇのか? こいつを“強くしてやろう”ってんだよ」
貴族は鞭を勢いよく振ると、空を裂くような音が走った。その顔には、ぞっとするような嗜虐の色がにじんでいた。
その姿に、周囲の生徒たちがざわつく。 「……あれ、東の名門……家の次男じゃない?」 「グランセリオ家と同格って話……」
貴族も平民も、誰もが見守る中、ミリアは一歩前に出る。
「そんな粗悪なもので叩いたら、彼女を傷つけてしまうじゃない」
「は? お前だってやってんだろ、平民に鞭ぶってよ」
ミリアは静かに鞭を持ち直しながら言った。
「何もわかっていないのね」
「私の鞭は、導くためのものよ。あなたのは、ただの暴力」
「ふざけんな……!」
バチィィッ!
ミリアが一閃、鞭を走らせた。
その軌道はしなやかにうねり、空を裂いて貴族の顔に巻きつく。
その音に、生徒たちの息が止まる。
「ぶぐっ……いってぇぇぇっ!? な、何すんだよ!」
怒鳴り声とともに、貴族がつかみかからん勢いで迫ってくる。
シュウたちが慌てて駆け寄る。
だが——
「——動かないで」
ミリアが片手を挙げると、シュウたちは反射的に足を止めた。
彼女の視線が、じっと貴族の少年に向けられる。
「あなたの顔に……傷なんて、ついていないはずよ?」
「な……っ」
顔をぺたぺたと触る貴族。だが、傷はない。
「くそっ、お前……こんなことして、タダで済むと思うなよ」
不穏な空気が、訓練場を包む。
そのとき、やじ馬の一人がぽつりと呟いた。
「下手すりゃ……家同士の問題になるぞ」
その言葉に、生徒たちの空気がざわりと揺れた。緊張が、一段深く沈む。
沈黙を破ったのは、貴族の少年の怒声だった。
「そもそも、お前はこの女の何なんだよ」
投げつけられた問いに、ミリアは一瞬だけ目を泳がせ——そして、胸を張った。
「彼女は……わ、私の、下僕よ」
「え……?」
場が静まり返る。
「はっはっは、本性を現したな。平民を奴隷のように扱ってたんだろ? 奴隷は違法だぞ」
「奴隷じゃないわ。自ら進んで、導きを求めた“下僕”よ。奴隷とは違うわ」
その言葉が、女生徒の中で何かを溶かしたようだった。
彼女は一瞬、貴族の顔を見たあと、視線を落として震えた唇を噛んだ。
でも次の瞬間、ぐっと目を閉じてから、決意を宿した瞳で顔を上げた。
そして、小さく、けれどはっきりと声をあげる。
「そうです……私、自ら進んで、ミリア様に導いていただいてます」
「なんだよお前ら……おかしいだろ……っ! 気が狂ってる……」
「おかしいのはどっちかしら?」
ミリアが一歩踏み出し、鞭を肩にかけながら言い放つ。
「今後も覚えておきなさい。私の下僕に、指一本触れさせはしないわ!」
バチィン!
空気を裂いた音が、訓練場の隅々まで突き刺さる。
その音に、貴族はたじろぎ、一歩退く。
「くそっ……女王様気取りかよ、気持ち悪ぃ……!」
捨て台詞を吐き、貴族は踵を返す。
「なんとでも言いなさい」
ミリアは静かに背筋を伸ばす。その背中には、揺らぎも迷いもなかった。
ミリアは一歩、女生徒のもとへ歩み寄ると、しゃがみこんで目線を合わせた。
「……もう大丈夫よ。あなたは、ちゃんと自分で声を出せたわ」
その言葉に、女生徒の目が揺れた。驚き、戸惑い、そして——熱を帯びた光がそこに宿る。
周囲がざわつきはじめる。
「……女王様……なんか、妙に似合ってるな……」と貴族の誰かがぽつりと漏らす。
「違いない……」「おい、不敬だぞ!」とざわつく貴族たち。
一方、平民たちは興奮を抑えきれず、口々に声を上げる。
「俺も下僕になりたい!」
「すでに下僕ですよね、ミリア様!」
歓声の波が、まるで祝福のようにミリアを包み込む。
その時だった。ミリアの中で、なにかが—— 静かに、確かに、目覚めた気がした。
「ミリア様、大丈夫ですか?」
シュウが声をかける。
ミリアは振り返る。
その瞳に宿るのは——誇りと、かすかな悦びだった。
◇
(私……女王様のジョブを得てしまったわ)
この世界には、大きく分けて二種類のジョブがある。
一つは、知識を学び、修練の果てにたどり着く——努力のジョブ。テイマー、戦士、魔法使いなどがそれにあたる。
もう一つが、“認識ジョブ”。
自覚と他者の認識が重なったとき、自ずと発現する特別なジョブだ。
たとえば〈勇者〉。その時代にひとり現れるとされる、象徴のような存在だ。
(そして〈女王様〉……これは、まさか王族系?)
王族系のジョブは、強力だ。
一部には、国家すら動かすような力を持つものもある。
だが、その分——危険も大きい。
発動した瞬間から、命を狙われることさえある。
王族の力を、王族でない者が持つというだけで、脅威とみなされるからだ。
実際、発現しても決して口にせず、一生を終える者もいるという。
家を守るため。自分を守るために。
とはいえ、王族系ジョブはユニークではない。
複数人が同時に持つことも、理屈の上ではありえる。
……ただし、油断はできない。
昔、王族以外の少女に〈姫〉のジョブが発現したことがあった。
数日後、その子は——さらわれて、行方不明になった。
対して〈勇者〉は別格だ。
発現するのは、その時代にひとり。
そう言われるほどの、特別な存在。
そして、ミリアが取得した〈女王様〉——
(……私、踏み入れてはいけない領域に足を突っ込んでしまったのかもしれない)
(王家の血を引かぬ私が、このジョブを発現するなんて)
(これが知られたら……王族派から命を狙われることすらある)
(けれど、もし逆に——王族との縁談が舞い込んだら? 私の家柄なら、ありえなくもない……)
(でも……いちばん恐ろしいのは、女王陛下自身が、このジョブを発現していなかった場合)
(そのとき私は、“国より先に女王様になった存在”として見なされる……)
(平民を導く、美しく、強く、優しい女王様——ふふっ)
(……なんて、私にぴったり。いえ、違う。違うわ)
(そんなことを思うなんて、不敬よ。不遜で、愚かで……)
(……でも、言いたい。誰かに聞いてほしい)
(私、“女王様”になったの)
(……落ち着きなさい、ミリア。今の私は——)
《ミリア現在のジョブ》
・〈女王様〉(認識ジョブ)
・〈テイマー見習い〉(通常ジョブ)
(……そうだった。私、まだ“見習い”だったんだ……)
(それも——一匹も、テイムしていない……!)