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第17話「SM()×SM()」

 訓練場の片隅から伸びる列は、今日も端まで届いていた。


 整然と並ぶ、平民たち。そして全員、妙に落ち着かない様子で背筋を伸ばしていた。

 表情は真剣そのもの——のはずが、よく見れば、口元はわずかに緩み、目の奥にはどこか期待の色がにじんでいる。


 (……にやけるな、真面目に受けるんだ、これは訓練だ、魂の修練なんだ……)


 自分に言い聞かせるように、ひとりが拳を握りしめる。だが、顔はどこかゆるんでいる。隣も、その隣も、同じだった。


 今日の導き——いや、訓練の一番手は女生徒らしい。


「本日の“魂の導き”、まずは女子からです! 男子は外で待機!」


 シュウの声に従い、男たちは訓練場の外に出される。

 シュウが最後に外に出て扉を閉め、中の様子は見えなくなった。だが——


 ピシィンッ!


 乾いた鞭の音が、わずかに外まで漏れてくる。


「……あぁ……っ」


 少女の、耳に残る、どこか湿った声だった。


「おい、いまの聞いたか……?」

「……あ、ああ……」


 男たちの脳裏に、あらぬ妄想が湧き上がる。


「こ、これは魂の……その、みそぎなんだ……」

「導きだ、そう、これは導き……」


 顔を赤らめ、うつむきながら口を噤む者。

 目をつむり、集中しているふりをして、しっかり音を拾っている者。


 その後、扉を開け、女生徒が出てくる。少し涙目になっているのを、シュウと、早朝から並んでいた生徒は見逃さなかった。女生徒は振り返り、


「お導き、感謝いたします」


 深々とお礼をし、訓練場を去る。ハンカチで目を抑え、鼻をすする音がする。


 おそらく全員が、息をのみ、音を立てず、女生徒をただ眺めていた。

 涙を拭う手元や、揺れる髪の動きすら、何一つ見逃さないように。


 その様子を見て、最後尾にいる教師がつぶやく。


「……これは、修練なのかね? それとも……」



 その日の朝。教師たちの定例会議は、いつもと違う空気に包まれていた。


 普段は形ばかりの報告と予定確認で終わる場だが、この日は違った。


 「ミリア殿の件、平民に対する暴力に当たるのではないかね」


 ひとりの教師が口火を切ると、他の者たちも次々に声を重ねていく。


 「この国では、平民への不当な折檻は表向きには禁止されている……だが、今回ばかりは表向きでも通らんかもしれん」


 「しかし事実、平民のミミックのテイム成功率は跳ね上がっている……。あれを“教育”と呼ぶか、“暴力”と呼ぶか、それが問われる」


 「障害となるミミックを簡単に越えられるようになれば、貴族との差が崩れる。秩序が揺らぎかねない」


 「実際に、貴族のご子息からも『グランセリオ家のえこひいき』『平民優遇』といった不満の声が上がってきている」


 「このままでは、ミリア殿を“犯罪者”と呼ぶ輩も出かねない。貴族からの反感も……学園の品位が問われることになる」


 「ミリア殿に犯罪者のジョブがついてしまったら……グランセリオ家からの寄付が絶たれる」


 誰もが黙り込む中、教師のひとりが静かに立ち上がった。


 「……私が確認してきましょう。本当に、魂の修練に効果があるのかどうか」



 その教師――クローヴェルは、そっと列の最後尾に立った。


 前に並ぶ平民の少年がちらりと振り返りかけたが、視線が教師服に触れた瞬間、ぴしっと前を向いた。


 (あくまで、現場視察だ……あくまで)


 自分にそう言い聞かせながら、クローヴェルは行列の流れに身を委ねた。


 自分の番が近づくにつれ、緊張と期待が入り混じる。列の進む音が心音のように感じられる。


 シュウが、背の高い男に気づいて目を見開く。教師だとわかると、無意識に敬礼のような動きをする。


 「せ、先生!? えっと、これは……」


 「見極めに来た。いわれのない折檻や暴力のたぐいではないかと」


 その声に、ミリアがすっと振り返る。


 「シュウ、あなたはここにいて頂戴。人払いを——」


 「いや、皆と同じで結構だ。余計に変な噂が広まっても困る」


 「……わかりました。では」


 バチン。最初の一撃は、控えめだった。ミリアは気を使ったのだ。


 「こんなものかね。普段、他の生徒にやっているようにしてみたまえ」


 ミリアの目がすっとすわる。


 「……わかりました」


 その瞳から迷いの色が消える。


 バシィンッ!


 強く鋭い音が、空気を裂いた。クローヴェルの体がびくりと跳ねる。


 「……ぐっ……!」


 苦悶するような声を漏らし、額にじんわりと汗がにじむ。


 何度か鞭を受けたあと、ミリアが低く問いかける。


 「あなたの大切なものは、何なの?」


 「……私の……大切な……」


 言葉に詰まる。考えようとすればするほど、何かが喉に詰まり、出てこない。


 「遅いわ!」


 バシィンッ!


 再び、鞭の音が響いた。


 「そんなことでは、ミミックの誘惑に勝てないわよ!」


 その声に、過去の記憶がよみがえる——



——ミミックに、勝てなかった。


 若かりし日の俺は、何度も模擬魂に挑んでは、あの箱の口に惑わされた。


 金貨、宝石、名誉……見え透いた幻影だとわかっていても、心のどこかで手が伸びてしまう。結局、俺はミミックをテイムできなかった。


 だが、そこで終わりにはしなかった。


 俺は、巨大なイノシシ風の魔物——《ワイルドボア》を手なずけた。そして、鍛えに鍛えた。その体格と突進力を生かし、多くの戦闘で活躍した。


 その育成手腕を買われ、俺は学園に招かれた。今では、育成と戦術の両面で生徒を指導している。


 もちろん、ミミックに勝てなかった過去は、今も胸に刺さったままだ。


 家族のために、俺は安全で安定した教師という職を選んだ。平民にしては上々だ。


 しかし、ワイルドボアの食費は馬鹿にならず、給料は頭打ち。


 妻は言う。「また昇給見送り? あの子、飼うだけで赤字よ」


 子どもは笑う。


「パパの魔物、でかいけどぶーぶーしか言わないじゃん」


 学園では、貴族の子弟に気を使う日々だ。


 生徒だけでなく、同僚の教師たちからも、どこか一線を引かれている。


「ワイルドボア……はあ、まあ、安全ですからね」


 そう言われるたびに、クローヴェルは笑顔を浮かべたまま、ぐっと奥歯を噛みしめた。


——あいつを、“楽な相手”と決めつけて、心の中で見下しているのがわかるからだ。


 本当は違う。戦える。鍛えれば応える。


 俺は、あいつと一緒にそれを何度も証明してきた。


 だが貴族たちは、目立つ魔物や、名のある血統しか見ない。


 クローヴェルにも、ワイルドボアにも、そういう“肩書き”はなかった。



 バシィンッ!


 鋭い痛みが、皮膚を通して魂まで響く。


 思考が一瞬、白く塗りつぶされ——


 気づけば、あらゆる鬱屈が吹き飛んでいた。


 ああ、これだ。


 この痛み、そして、それに耐え抜いたときの、身体の奥から湧きあがる感覚。


 わけもなく、叫び出したくなるような、涙がこみ上げるような……


 ——それが、確かに“生きている”という実感だった。


「何が大切か、いってみなさい!!」


 答えは出ている。


 だが、その答えは、あまりにもくだらなく、あまりにも本気だった。


 ——大切なのは、“いま、この瞬間”。


 そんなこと、ミリア嬢の前で? 他の生徒の前で? 言えるはずもない。


 だからこそ——この背徳感。


 見透かされたような羞恥と、そこから生まれる高揚感。


 そして、あとからジワリと、身体の奥にしみてくるような快感。


 鞭を受けるたびに、ずっと沈めていた感情が波紋のように揺れ始める。


 なぜ、こんなにも胸が痛むのか。なぜ、こんなにも心が熱くなるのか。


 それでも、気づいてしまった。


 ——これだ。


 ここに、金や宝石、物欲以上の価値がある。


 この感覚こそ、俺がミミックの誘惑を超えられなかった理由であり——


 今なら、乗り越えられる確信そのものだった。


 ……残念ながら、俺はもう、ワイルドボアをテイムしてしまっている。


 模擬魂に挑戦する資格は、とうに失われた。


 けれど——


 今なら、打ち勝てる気がする。


 あのときとは、もう違う。


 欲に惑わされた過去の自分を、いま、この場で超えられる——


 そんな確信が、胸の奥から湧いてくる。


「先生……そろそろ、どうでしょうか」


 いつまでも続く沈黙に、シュウは恐る恐る声をかけた。


 クローヴェルは、ゆっくりと顔を上げた。


 その頬には、一筋の涙が流れていた。


「……確かに魂の成長を確信した。これは、暴力ではない」


 その声には、迷いがなかった。


 ミリア、シュウ、そして見守っていた生徒たちは、胸をなでおろすように、そっと息を吐いた。


 ——その静けさの中。


 シュウのポケットの奥にある黒い模擬魂が、誰にも届かぬ声でぼやいた。


(お前が勝手に目覚めただけだろ……)


「ありがとう、ミリア嬢、あなたのおかげで、私はようやく大事なものに気づかされた気がする。」


 ミリアの顔が、真っ赤に紅潮している。


「……先生。失礼ですけど、あなた、平民の出でしたわよね?」


「ああ、そうだが」


「だったら……だったら……私を……“嬢”って呼ぶなああああ!!」


 バシィイイイイイイン!


「あひぃ」


 今日一番の、鞭がさく裂し、クローヴェルは前のめりに倒れ込み、気を失っている。


 だがその顔は、幸せそうだった。


※SM(School Management)×SM(Soul Mentoring)──教育制度と魂の導きの狭間で揺れる、とある教師の葛藤回でした。


※なお、ミリア様の“嬢”に対する地雷ポイントについて、詳細は不明です。


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