第14話「刺激的な宝物」
石畳は湿っていて、ひんやりとした冷たさが膝を刺していた。
ワンが小さくうめくように、「また、ダメだった……」とつぶやいた。
その隣で、ヴァイが額を押さえたままうなだれている。
模擬魂――ミミック。
幻影に金貨、夢、家族――目が覚めた今も、その残像が頭から離れない。
空気はじっとりと湿っていて、息をするだけで胸の奥が重くなるようだった。
「やる気だけじゃ、ダメ……なのか」
シュウの呟きに、ミリアが鼻を鳴らした。
「あのような誘惑に何度も惑わされるなんて。情けないわね」
そして、くるりと背を向けると、ふと立ち止まる。
(言葉で、鼓舞してもだめだった。私の時は、そう、怒りの感情で乗り越えた気がする。あとは、白銀の紀章というシンボル、それが怒りを爆発させた……)
「いいことを思いついたわ」
おもむろに、髪を結んでいたリボンをほどく。
ミリアが髪を結んでいたリボンをするりとほどくと、束ねられていた銀糸のような髪が肩に流れ落ちた。
それだけで、まるで別人のように見えた。普段のきつい印象がやわらぎ、光の角度によっては頬がほんのり色づいて見える。
「……かわいい」
誰が言ったのか、はっきりしなかった。けれど、3人とも同時に息をのんでいた。
ミリアはそんな反応を一瞥すると、ひとことだけ。
「当たり前でしょ」
そのまま、ミリアは何事もなかったように視線を外し、その指先は迷いなく、リボンを滑らせるように手に巻きつけていく。
光をはねる髪と同じように、その動きにはどこか熱を秘めた優雅さがあった。
見てはいけないとわかっていても、視線が吸い寄せられてしまう。
そのまま息を呑んでいたシュウは、名前を呼ばれてハッと我に返った。
「シュウ、ここに立ちなさい」
模擬魂を挟んで向かい合う形でミリアと向き合う。
緊張のせいか、それとも髪をほどいたせいか。いつもの刺すような目つきが、今は少しだけ、柔らかく見えた。
近くで見ると、透き通るような肌と、揺れる髪の隙間からのぞく表情が、思わず息を飲むほどきれいだった。
「……なによ」
見すぎたと悟った瞬間、睨まれて、シュウは思わず視線をそらした。
「目をつぶりなさい」
シュウはごくりと唾をのんで、目を閉じた。
心臓の鼓動が一つ、二つ、大きく響く。
顔のすぐ近くから、ミリアの気配が伝わってくる。甘い香りと、ひやりとした気配。
その全てに、なぜか妙に緊張していた。
バチィン!
乾いた音が響き、瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
反射的に目を開けると、目の前にはリボンを巻いたミリアの手が宙にあった。
「いったぁい、私の手が痛いじゃないの!!」
「いってぇ!なにするんですか!!」
「それよ!」
ミリアが痛みで手を振りながら、左手でシュウを指さす。
「その気持ち、大事になさい」
「は?」
そして、手に巻き付けていた、リボンをほどき、シュウに押し付ける。
「これ、ほしかったわよね?」
「ええっ?」
「ほしかったわよね!」
「あ、はい」
「でもあげないわ」
「ええっ?」
「貸してあげる、その代わり、必ず、ミミックに勝って返しなさい!」
まだ、状況が読み込めていないシュウに畳みかける。
「じゃあ、今すぐ、ミミックをテイムしてきなさい」
「わ、わかりました!」
シュウはリボンを握りしめたまま、模擬魂の前に立った。
深く息を吸い、手をかざす。
目を閉じると、音が消えた。空気が沈んでいく。
世界が灰色に染まり、魂だけが浮かび上がる感覚。
その中心に、にやりと笑うミミックが待っていた。
ミミックの口がゆっくりと開くと、真っ黒な闇の奥から、じゃらじゃらと金貨や宝石があふれ出た。
煌めく財宝の雨。金属音が空間に反響する。
その中から、ひとつ、小さな箱が弾かれるように飛び出してきた。
他と違って、淡い光をまとっている。
赤いリボンが結ばれた、まるで誰かが「贈り物」として用意したかのような箱だった。
「……これが欲しいのか?」
ミミックがくっくっくと笑う。金と欲望にまみれた世界の中心で、その箱だけが異質に感じられた。
その時だった。
頬に、じんわりとした熱を感じた。
現実ではすでに消えているはずの痛みが、なぜかこの魂の空間にまで滲みこんでくる。
——さっき叩かれたときの感触。ミリアの手のひらの重み。
言葉もなく振り下ろされたあの一撃。戸惑いと、否応なくこみ上げてきたもの。
それは痛み、怒り、悔しさ、それとも、感謝?
整理のつかないごちゃごちゃの感情が、胸を締めつける。
負けたくない。
馬鹿にされたくない。
——そして、あの手のひらに応えたい。
その全部が混ざったような、熱いものが背中を押した。
シュウは歯を食いしばり、手を伸ばした。
リボンのついた箱を掴むと、そのまま力任せにミミックの口へ叩き返す。
クッと笑った。
「こんなもん、こっちから願い下げだ!」
ミミックがびくりと震えた。口の奥で幻影が歪み、金貨のきらめきがしゅうっと溶けていく。
幻影の世界は、その瞬間に色を失った。
——そして、その口の奥に、かすかに光る何かがあった。
その光をつかんだ瞬間——
視界が、ぱんと弾けた。
灰色の空間がひび割れ、まるで夢から覚めるように、重たい意識が現実へと引き戻されていく。
耳の奥で、誰かの声と、自分の心臓の鼓動が重なった。
「バシィ!」
次の瞬間、頬にふたたび衝撃が走る。
「バシッ!バシッ!」
「いだい、いだい」
「あら、帰ってきたわね」
「で、どうだったの?」
シュウはリボンをつかんだ手を掲げる。
「おお、やったのか」
「すげえ!でも、すげえ顔だ、、、」
シュウのほっぺたも、ミリアの手のひらも、どちらも真っ赤。
「ふん、あれだけ叩いてあげたんだから、ありがたく思いなさい」
手を振りながら、ミリアはなぜかちょっとだけ得意そうだった。
「ありがとう、ミリア様、これ、お返しします」
シュウはぎこちなく笑いながら、リボンを両手で差し出した。
「はああああ? 何その返し方!」
バゴォン!
ぐーぱん一閃。
シュウは吹き飛びそうになりながら、なんとか踏みとどまった。
「その態度、貴族に返す礼儀じゃないでしょ!やり直し!」
「まずは、ひざまずいて!」
「……理不尽だ……」
「なにか言ったかしら?」
「……なんでもありません!」
「ふん、まぁいいわ」
「次は、あなたたちね」
ワンとヴァイは、直立不動で目もそらさず、息をひそめるように背筋を伸ばし、その場で静止していた。
「でも、これ以上は手が痛いのよね……。いいわ、“アレ”を使ってあげる」
ワンとヴァイは、同時にガクブルと肩をふるわせ、そっとお互いを見た。