第12話「スライムやろう、一歩踏み出す」
ざわつく教室の空気が、いつもと違って感じた。
私は、その空気が、どうにも気に入らなかった。
平民——つい昨日まで、スライムのテイムに失敗して転げ回っていたような連中が、 今日はゴブリンをテイムして、笑い合っている。
失敗した平民はいなかった。
むしろ、次々と成功していく姿に、教室の空気は妙な熱を帯びていた。
(……だから何だというの)
ああ、つまらないものを見てしまった。
私はあからさまにため息をついてから、立ち上がった。
誰にともなく髪を払う仕草を添え、目線は少しだけ斜め上。
教室を出る背中が「まったく、平民なんて退屈ね」と語っているはず。……そう、私は完璧に演じていた。
(だって私は、ミリア・グランセリオ。白銀竜の家系に連なる者) (ゴゴブリンをテイムした程度で騒ぐなんて……)
教室の扉が閉まった瞬間、張りつめていた背中の力が、一気に抜けた。
でも、心の奥にはひっかかりが残っている。
(みんな……あれだけ失敗してたのに、次々と成功してるなんて。) (私は……模擬魂に触れたことすらないというのに)
この授業が終われば、生徒たちはそれぞれのレベルに応じて、好きな模擬魂と向き合う時間が与えられる。
平民は大部屋で、お互いに補助し合いながら模擬魂に挑む。
暴れて怪我をしても、怪我をさせても、自己責任。教師は、平民の怪我なんて誰も気にしない。
でも、貴族はそうはいかない。 各家の面目がある。怪我をさせた相手が貴族なら、家同士の問題にだってなる。
だから、貴族の模擬魂の演習は、基本的に“個室”。 家庭教師や従者を連れて、目立たぬように鍛える。 暴れても、従者しか見ていない。
……わかっていても、足がすくむ。
(家庭教師に、情けない姿は見せたくないし……お父様にも報告されてしまうわ。) (そもそも、失敗して、取り乱したりなんかしたら……私まで、あんなふうに)
頭を振って、考えを追い出す。
個室の扉の前で立ち尽くす。指先が、どうしても動かない。
息を吸っても、胸が重い。
「はぁ……」
そんなときだった。
「お前が行けよ」「いや、お前がだって!」
声がした。
廊下の向こうで、平民たちがもめている。
(なに……また、下らない言い争い?)
「いいから、早く行けって!」「おまえが言い出したんだからな!」
こちらを、ちらちらと見ながら、押し問答を続けている。
(ふふん。さては、私に話しかけたいけど、勇気が出ないのね)
(まぁ、わかるわ。私は美しいし、気品もあるもの)
スカートの裾をひとつ直し、胸元でそっと手を組む。
(どうせまた、くだらない告白ごっこ。誰が平民なんかに——)
そのとき、ひとりの男が、ようやく一歩を踏み出した。
(……あら? あれは……あの、スライムやろう)
(ゴブリンをテイムしたからって、少し調子に乗っているのかしら)
唇に、わずかに冷笑を浮かべる。
(仕方ないわね。華麗に、完膚なきまでに、ふって差し上げましょう)
近づいてきた彼が、私の前で、深くお辞儀をした。
「ミリアさま、俺、その……」
(はいはい、愛の告白ね。さあ来なさい、貴族の壁を感じさせてあげる——)
彼は顔を上げ、まっすぐにこちらを見て、
そして、言った。
「俺に、お金を貸してください!」
(……へ?)
「はぁ?」