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ソング・オブ・プレイ/南へ渡る鷲の歌

 南へ向かい、一台のコンバーチブルがパシフィックコーストハイウェイを走る。曇天の下、車体の黄色すらくすんでいる。右手の太平洋から吹き付ける風がひどく乾いて感じられるのは、速度ゆえか。あるいは、世界と、ノアの心の荒廃ゆえか。


 地の果てまで続くかと思われる道路の先、珍しく動くものがあった。

 背中とキャリーカートに荷物を載せた旅人。ジーンズの傷みはデザインによるものか、旅路によるものか。

 車を近付け手ぶりで誘うと、旅人は笑顔を見せた。


 旅人のカートに載せられていたものはリュックで、背負われていたものはブームボックスだった。

 リュックを後部座席へ放り、ブームボックスを抱えて、旅人はノアの隣へ乗り込む。

「助かったよ。おれはカイル。バンクーバーから歩きでさ」

「ノアだ。……ずっと徒歩なのか」

「ああ。何を急ぐわけでもないしな。ノアはどこから?」

「シアトルだ」

「そっちもなかなかだな。どこへ?」

「南へ。北は寒くなってきた」

「南。それはいいな。ところで、カセットはかけられる?」

「そこまで古い車じゃない」

「じゃあ、こいつの出番だ」


 カイルはブームボックスのボタンを押した。

 カコン、と軽い音に続き、星が瞬いた。それはギターの奏でる嘆きだった。少なくともノアはそう聞いた。

 ノアの心は、曇天よりもなお暗い夜へと誘われる。やがて、失われたものへの哀愁を感じさせる、沈鬱な歌声が流れ始めた。

 心地よかった。隣人の存在も、音楽も、ノアの生活から絶えて久しかったものだ。

 かつては世界にも、ノアの生活にも、音が溢れていた。今は静寂が支配している。


 五年前、人類史上最大の太陽嵐が引き起こした電磁パルスは、地球へ降り注いだ際に多くのものを破壊した。

 例えば、生命。

 人類の数は激減し、今や偶然にも曝露を避けられた僅かな者が残るだけだ。

 同時に、電子機器の多くも壊滅した。

 今の世で音楽を聴きたければ、カイルのようにカセットテープに頼るしかない。


 テープの沈鬱な歌声は、いつしか晴れ渡っていた。それは天気とも、ノアの心とも、全く合ってはいなかったが、ハンドルを握る力を僅かに軽くする効果はあった。

 音楽はドライブに似ている。ノアは初めてそう感じた。世界の事情とも、こちらの心情とも関係なく、ただ走り続け、走った分だけ、景色が変わる。


「どこまで乗って行くんだ?」

 ノアはカイルに尋ねた。

「任せるよ。ただ、ビバリーヒルズのホテルまで行ってくれたら、都合がいいな」

 そこに何があるのか。互いに多くは尋ねず、答えない。


 カセットは「気楽にやれ」と無責任に歌い上げる。

 実際のところ、気楽にやるしかないのだ。今のノアたちは。


 道中、何度かガソリンスタンドへ立ち寄った。同時に、ロードサイドストアで飲み物や食料、雑誌や地図も手に入れる。

 当然ながら店員はいない。並んだ商品を好きなだけ取ってよい状況に爽快さがないわけではなかったが、落ち着かない気持ちにもさせられた。残った良心による後ろめたさと、意味を失くした法と秩序への郷愁だった。それらをごまかすため、ノアは殊更おどけてみせた。

 バッグと大量の商品をレジに置いたノアは、店員に扮したカイルへ指鉄砲を突き付けた。

「ここに全部詰めろ。有り金もな」

「へ、へい! ダンナ、何でも言うこと聞きますから、どうか命だけは!」

「いい子だ。……バン!」

 白目をむいて倒れるカイル。一瞬後、自らの熱演を誇るかのように、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。

 ノアにも微笑が生まれていた。車へ戻りながら、カイルへ言う。

「まるでボニーとクライドだな」

「どっちかって言うとゲッコー兄弟だろ。『フロム・ダスク・ティル・ドーン』の」

「それは知らない」


 ドライブ中、カイルはよく歌った。なかなかにうまかった。ノアは歌が苦手で、これまでも進んで歌ったことはなかったが、カイルはあまりにしつこく、時折一緒に歌わされた。


 セントラルバレーの農地では夕日をみた。並んでシートを倒し、「店で拾った」ビールを飲んだ。世界がどれだけ変わっても、夕日は変わらず美しかった。


 テハチャピ山地を仰ぐ荒野ではキャンプファイヤーをした。カイルは服を脱いで踊り出した。とうとうどうかしてしまったかと思われたが、その踊りが様になっていたので、ノアは素直に感心した。案の定、ノアも付き合わされた。


 道中、空き家や宿でシャワーを借りたが、夜は必ず屋外か車中で明かした。二人とも、羽を休めれば旅が終わってしまう気がしていた。

 

 二人の旅は、寄り道や回り道が多く、まるで一月にも一年にも思われた。

 しかし、どれほど歩みが遅くとも、走り続けている以上、目的地にはたどり着く。

 ノアとカイルにとって、今朝がその時だった。


 ビバリーヒルズのホテル。淡いピンクの外観。カイルのテープのジャケットに写る場所。

 ホテルの前には、何年も前に乗り捨てられたようなSUVがあった。車内には、大量のカセットテープと、一台のブームボックス。


 車を見つけたカイルは、寂しそうな、満足そうな顔をしていた。

 ノアはためいながら、言葉を発した。

「……深い仲だったんだろ」

「まあな」

「……探さないのか」

「どこへ行ったにせよ、どうせおれには見つけられんさ」


 カイルは、SUVのブームボックスへ、自分のカセットを差した。

 カコン、とボタンが押されると、夜に星が瞬く。

 カイルの手には、タバコとライターが握られていた。SUVのダッシュボードに残されていたものだ。慣れた手つきで火をつける。

「タバコ、吸うんだな」

「昔な。……やっぱまずいわ」

 言葉とは裏腹に、カイルはむせることもなく煙を吐く。

 タバコを差し出す手ぶりを、ノアは断った。


 二人は思い思いに車やホテルの周りを歩き、壁にもたれ、路上に座り、寝転んだ。

 宿泊はしない。ここは二人の止まり木ではない。


 沈黙のあわいを、テープの歌声だけが流れていた。遠い昔、磁気に刻まれた熱と叫びが。

 いくつかのテープが再生を終え、夜が近付く頃、どちらからともなく切り出した。


「次はどこへ行く?」

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