④朝帰りですっ!
明け方。地下十三階、休憩室兼仮眠室。
アリアンヌ・フォルモールはソファにひっくり返っていびきをかいていた。
眼を覚ますと、スケルトンとゾンビとレイスに覗きこまれていた。喉をせりあがる悲鳴をなんとか押し殺す。
「サクヤハオタノシミデシタネ」
ズィーがからかってくる。昨晩の醜態を思い出して赤面する。メガネも化粧もそのままだった。どうやら地下十三階まで運んでくれたらしい。
「もうお嫁に行けない……」
行く当てはないが様式美として口にしてみる。アリーは昨晩の記憶をたどり、決定的な秘密を洩らしていないことを確認した。
「だいじょうぶ。ガレスは気づいていない」
「ほっ……えっ!?」
あっさり看破されて驚愕する。
ズィーは捕食者の微笑を浮かべていた。
「ズィーさん、いつから……?」
「最初から。魔眼が視るとき、魔眼もまた視られている」
「そうかあ、屍者には分かっちゃうんですね……」
アリーの秘密、それは彼女がクリス・セレスティアルの中の人だという事実である。
王都で人気沸騰中、新進気鋭、正体不明の数理学者クリス・セレスティアルの正体はアリアンヌ・フォルモールだったのだ。ばばーん。
昨夜のことを思い起こすとあらためて顔から火が出そうである。アリーがクリスだと知らないガレスは、本人の目の前で研究内容を絶賛し、果ては人格まで肯定してきた。
面と向かって褒められた経験に乏しいアリーにとって、その破壊力は凄まじかったのである。恥ずかしいやら嬉しいやらわけが分からなくなってお酒が進んだのである。
(はたから見たら私も同じ穴のムジナなんでしょうか……知らないうちにニューメ様の前で推し活してしまってたりして……ん?)
「もしかして、ズィーさん、ニューメ・ロマンサー様の正体知ってたりとかしません?」
「キンソクジコウデス」
「それ絶対知ってるやつですよね!?」
休憩室兼仮眠室の扉が叩かれた。スケルトンの一体が扉を開けると、コーヒーを盆に乗せてガレスが立っている。
アリーは慌てて居住まいを正すのだった。
「おはようございます、アリーさん」
お盆をローテーブルに置くと、ガレスは流れるように土下座した。
「昨夜はすみませんでしたー!」
「ちょっ、やめてくださいっ!頭をあげてください!昨夜はたのしくお酒をいただいただけですよね?若干やらかしたような気もいたしますが……気のせい、気のせいですわよね?」
「はい。僕はひさしぶりに楽しいお酒でした。ほんのちょっとだけ議論が白熱しすぎたといいますか……アリーさんが推すニューメ・ロマンサーを否定するつもりはなかったんです。気を害されたかもしれませんが、どうか辞めないでください!」
「やめませんわ!それに……その……おたがいさまというか……水に流すということで、ひとつ!」
ガレスが顔をあげる。目が潤んでいるところを見ると泣く寸前だったらしい。
「ありがとうございます……」
ズィーとゾンビたちがぱんっと一発拍手する。
「これで手打ち」
ガレスとアリーは昨晩のゾンビビンタを思い出して身震いしながらこくこくとうなずいた。
「それでですね、アリーさん」
床に正座したまま、ガレスが告げる。
「寮母さんがお怒りとのことです。入寮初日からすっぽかして朝帰りとは太い奴だって……」
「あ……ああっ!忘れてた!」
アリーは独身寮に部屋をもらっているのである。ちなみに寮は酒場や売店に併設している。すぐそこなのだ。
ガレスと連れ立ち、終業からの酒場直行を決めたアリーの徳が低すぎるといえよう。
レイスのレイさんの徳を見習うべきであった。
「すぐ行って謝ってきます!」
慌てて立ち上がり、ローテーブルに脛をぶつけてしまうアリーなのであった。
◇◇◇
朝食をいただきながら寮母にこってりしぼられたアリーは、部屋に届いていた荷物の梱包を解き、当座必要なものを取り出す。
寮の共同浴場は夜しか開いてないので、洗顔して化粧をしなおして、服を着替えた。
「いってきまーす!」
寮の玄関先で声を張り上げるアリーだった。
◇◇◇
王国軍中央技術研究所基盤計算技術開発本部暗号解読課の朝は早い。
というか、昼夜の区別がない。
睡眠をとるのは人間だけだからだ。
地下十三階の会議室に二人の男が座っている。
ひとりは死霊術師ガレス・ベルトランであった。
もうひとりはジュリアン・ルノール、黒に近い粟色の髪と鋭い灰色の目を持つ美丈夫である。情報士官であった。
「おまえのところにも回したけど、帝国の暗号がまた更新された。上はおおわらわだ」
ガレスが天井を指さして言う。
上とは地下七階から十二階に配置された通信傍受課と通信分析課を意味する。今回更新されたのは帝国海軍の戦略暗号であった。
「数学魔人シビュラか……」
火の点いていない紙巻をくわえ、ジュリアンが低い声でつぶやく。『死霊迷宮』は禁煙なのだ。
シビュラ・ブルバチェワとは帝国の暗号開発を一手に担う怪人の名である。
個人ではなく数学秘密結社であるという説もあれば、演算ゴーレムを身体に埋めこんだ魔導サイボーグだという説もある。
会議室の扉がノックされる。湯気の立つコーヒーをお盆に載せてアリーが入室する。
「おはようございます」
ぺこりと頭を下げるアリーである。ガレスが慌てて立ち上がり、お盆を受け取って会議机に載せる。
「アリーさん、お茶汲みとかいいですから……我々はコーヒーが飲みたくなったら勝手に淹れますから。それよりアリーさんも会議に参加してください。こちらは王国軍情報部のジュリアン・ルノール少佐です」
ガレスの紹介を受けて、アリーはあらためてお辞儀する。
「アリアンヌ・フォルモールと申します」
「よろしく、フォルモール女史。ガレスとはずいぶん打ち解けたそうですな」
「ジュリアン、おまえ、そういうのやめろよ!アリーさん、こいつの言うことは無視していいですからね!」
ガレスの顔は真っ赤である。
フリーズ直前である。
「ルノール少佐、違うんですのよ。ガレスさんと私は学問を通じた崇高な友情を育んでおりますの」
「ほうほう。なかむつまじくからあげを食べさせあっていたそうですが」
「どうしてそれを!?あれは私が一方的にからあげをガレスさんのお口につっこんでいただけで……」
(あっ……しまった)という顔をして口を押さえるアリーを見てジュリアンは爆笑するのだった。