表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

平井のエッセイ・日常系とか旅行記とか

11月1日は紅茶の日。Why?

作者: 平井敦史

※写真を掲載しています。

 本日(投稿日)11月1日は「紅茶の日」なのだそうです。

 日本紅茶協会様のHPより引用すると、


>海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)の船主、

>大黒屋光太夫他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得なかった。


>帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、

>ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。

>とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、

>茶会にも招かれたと考えられている。


>そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で

>紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。


>このことに基づいて、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に

>11月1日を「紅茶の日」と定めた。


――とのこと。


 まあ、私もこれに乗っかって、「小説家になろう」公式企画「秋の歴史2023」向けに、大黒屋(だいこくや)光太夫(こうだゆう)が女帝エカチェリーナ二世のお茶会に招かれるお話を書いてはみたのですが……。いくつか突っ込みたい点がありまして。


 まず、「大黒屋光太夫他2名」という書き方。

 確かに、最終的に無事日本への帰国を果たしたのは、光太夫他二名なのですが、当初は十七名おり、これが病死したり、キリスト教(ロシア正教)に改宗してかの地に留まったりした結果、最後は光太夫を入れて三人(内一人は根室で死亡)になったということなので、ちょっと誤解を招く書き方かな、と。


 いや、この点はまあいいでしょう。

 何より問題なのは、「1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている」の部分です。

 11月ってどっから出てきたんだ?


 えー、そもそも、大黒屋(だいこくや)光太夫(こうだゆう)という人は、もちろん高等教育を受けてはいないのですが、何と言うか、観察力&記憶力チート持ちみたいなお人でして。

 日本に帰国後、蘭学者(らんがくしゃ)桂川(かつらがわ)甫周(ほしゅう)(1751~1809)という人が、光太夫の口述を『北槎(ほくさ)聞略(ぶんりゃく)』という書物にまとめ上げています。

 これが、何年も後に記憶を辿って口述したとは思えないくらい詳細に渡る代物(しろもの)なんですね。いや、マジでチートとしか言いようがない。

 最初から民俗学とかの研究目的で訪れた人間だって、日々メモを書き残していなければ、記憶だけを頼りに後からこれだけのものを書くのは無理なんじゃないか、というレベルです。


 で、この『北槎(ほくさ)聞略(ぶんりゃく)』には、女帝のお茶会に招かれました、なんて話は書かれていない。

 娼館(しょうかん)に招かれた話なんかまで書いてあるのにね(笑)。


 が、まあ、お茶会に招かれた可能性を完全否定はできないでしょう。書かれなかった理由はともかくとして。

 少なくとも、光太夫がロシアで紅茶に接したことは間違いない。

北槎(ほくさ)聞略(ぶんりゃく)』には、飲食に関する項目の中で、紅茶のことも触れられています。

 岩波文庫版の『北槎(ほくさ)聞略(ぶんりゃく)』から引用すると、


>銀の壺にのみぐちをつけたる器(平井注:サモワールのことでしょう)に入、

>熱湯をさし泡茶(だしちゃ)にしてのむ。

>是にも多く砂糖、牛乳を加ゆるなり。


――と記載されています。いわゆる「ロシアンティー」ではなく、ミルクティーだったようですが、単に見聞きしただけではなく、実際に飲んだのだろうと思われます。


 しかし、それが女帝、あるいは貴族たちのお茶会に招かれてその席で飲んだのかどうかはわかりません。

 可能性が高いのは、女王への嘆願のために首都サンクトペテルブルクを訪れた際に世話になったブシという人物のお宅で振舞われた、というあたりが妥当かな、と思ってみたり。


 そして、問題の「11月」という部分。

 光太夫が最初に女帝に謁見したのは1791年6月28日。『北槎(ほくさ)聞略(ぶんりゃく)』には5月28日と書かれていますが、これは光太夫の記憶違いで、女帝の即位記念日でもある6月28日が正解だろうとされています。


 拙作『女帝のお茶会』でも6月28日説を採用し、その1ヶ月ほど後に、お茶会に招かれたという設定にしています。

 9月28には光太夫たちを日本に送還する正式な勅令(ちょくれい)が出されますので、その前の、まだ帰国が本決まりとは言えない不安定な時期のお話にしてみました。


 まあそれはともかく、光太夫たちがオホーツクの港から日本へ向けて出港するのは、翌1792年の9月。11月ならまだサンクトペテルブルクに留まっていたかとは思われますし、お茶会に招かれることもあったかもしれないのですが……。

 そう記された文献も存在する……らしいですが、出典は確認できませんでした。


 え、何月かはともかく、そしてそれが女帝主催のお茶会だったかどうかもともかく、大黒屋光太夫が紅茶を飲んだ最初の日本人なのは間違いないんだろうって?

 それが、そうとも言えないのです。

 1756年に大枝流芳(生没年不詳)という人物が刊行した『青湾茶話(せいわんさわ)』という書物には、紅茶のことについても書かれているらしく、それ以前に紅茶を飲んだ日本人は存在したようです。

 おそらく、長崎の出島でオランダ人に振舞われたのではないでしょうか。


 まあ、このことを知ってか知らずか、(くだん)のHPでも「外国での正式の茶会で」と予防線を張ってはいるのですが……。光太夫が本当に公式な場で飲んだのかどうかは、確定的とはいえないかと思います。


 とまあ、散々野暮なことを書き散らかしてきましたが、秋の気配が深まるこの時期、紅茶が美味しいのは揺るぎない事実。皆さん、紅茶を楽しみましょう(雑なフォロー)。


 ちなみに、今日はこれを飲みました。

 紅茶〇伝のロイヤルミルクティー。それではまたノシ


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説本編はこちら^^
『女帝のお茶会』
― 新着の感想 ―
[良い点] 11月1日は「紅茶の日」で、しかも、それが大黒屋光太夫とエカチェリーナ2世に関係していたとは……知りませんでした! 「え! それ本当?」と歴史の真相に迫る、作者様による探求も面白かったです…
[一言] 勉強になりました。 きちんと文献をお調べになられたのですね。 確かに、出島で紅茶を飲んだ日本人がいたかもしれませんよね。でも記念日の理由としては、ネームバリューが必要だと思うのです。「誰かが…
[良い点] 昨日は紅茶の日だったのですね。 「歴史上初めて○○したのは××」という逸話は、 「本当にそうだったのか?」と思われることも多いですが、 大黒屋光太夫の件もそういった部分はあるようで…。 昔…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ