君を愛することはないと言い捨てて、初夜の寝室から出て行こうとする夫を呼び止めてみた
「僕には恋人がいる。この結婚は完全な政略だ。君を愛することはないし、ベッドを共にすることもない」
結婚式とそれに続くお披露目のパーティーを終えて、くたくたになった深夜。初めて足を踏み入れた夫婦の寝室で、夫となったばかりの人にそんなことを言われた。
顔合わせのたびに、やけに不機嫌そうな人だなぁとは思っていたけれど……。
そこまで嫌なら何故この縁談を断らなかったのか。それは初夜のベッドで夜着を纏った新妻に、言わなければならないことなのだろうか?
「待ってください。そんなことを言い捨てて、部屋を出て行くなんてあまりに卑怯です!」
私はわざと『卑怯』という言葉を強調して言った。この手の男性は、総じてプライドが高い。
夫となったユリシーズはピクリと肩を震わせて、不機嫌そうに振り向いた。手をドアノブから離さないところを見ると、まだ出てゆく気満々のようだ。
「縁談を断れなかった事情は分かりかねますが……。あなたは、私を『八つ当たりして傷つけても良い存在』だと認識して、それを実行したということでよろしいですか?」
逃してなるものか! 例え白い結婚を貫くにしても、同じ家名を名乗り、一蓮托生の船に乗り込むのが夫婦というものだ。守らなければならない仁義はある。
「被害者ヅラか……さすが面の皮が厚いな!」
口元を歪めて、怒りを露わにする。自分の方こそ被害者だと言いたいのだろう。
「お互い色々な事情があって、今この場にいるのです。床を共にするしないは別にして、これからの生活をどうするのか話し合う必要性を感じます。それにすら応じてくれないのなら、今この瞬間をもって、私は屋敷を出て行きます」
脅しではない。ここで言いたいことを言わずにいたら、この先どんな扱いを受けるかなんて分かりきっている。夫に相手にされない妻として使用人に馬鹿にされて、まともに食事の用意すらしてもらえないかも知れない。冷遇されて、聞こえるように陰口を叩かれる……そんな生活は真っ平ごめんだ。
「この縁談が駄目になったら困るのは君も同じだろう!」
「そうです。『お互い様』なんですよ。なのに何故、あなたは私に怒っているんですか? あなたは恋人がいるから、私とベッドを共にするのが嫌なんですよね? これもお互い様です。私だって初夜というデリケートな晩に、自分の感情だけを一方的にぶつけて憂さ晴らしをするような方と、肌を合わせるなんてゾッとします」
感情を乗せずに、表情を消して夫の顔を仰ぎ見る。ブルブルと震えて、今にも殴り掛かって来そうだ。それならそれで望むところだ。初夜の寝室での暴言と暴力。夫側の有責で充分に離婚が成立する。
ユリシーズの『君を愛するつもりも、抱くつもりもない』という言葉には『俺が好きなんだろう? 俺に抱かれると思ってワクワクして待っていたんだろう? お前になんか欲情するもんか! ざまぁ見ろ!』という気持ちが透けて見える。
彼にとって私は『顔や財産に惹かれてホイホイと縁談を受けた浅ましい女』であり、『自分の身体で男が釣れると思っている傲慢な女』なのだろう。
そして妻とは『自分の感情をぶつけて憂さ晴らしをして良い蔑むべき相手』。この国の男性は、こんなヤツばかりだ。本当にうんざりする。
ユリシーズが何か言いたそうに口を開くが、言葉にならずにまた閉じる。反撃されるなどとは思ってもいなかったのだろう。私のことを無口で大人しく、従順な貴族令嬢だと思っていたのだ。だからこそ、自分の思い通りに出来ると思って、恋人がいるにも関わらず縁談を受けた。
確かにさっきまでの私ならば、ユリシーズの言葉に傷つき、泣き寝入りしただろう。初夜の晩に酷い言葉を浴びせられても、その後、恋人の元から夫が戻って来なくても、泣いたり憤ったりしながらも、日々の生活に流されてしまったかも知れない。
けれど今の私は、ここが正念場だと知っている。
「なぜあなたは、恋人がいるのに、私と結婚したのですか? せめて、事前に説明する責任があったとは、思わないのですか?」
もうその時点でアウトだ。そもそも普通は、恋人がいる男と結婚なんかしない。
「それは……!」
うちの実家の家計が火の車で、この縁を両親が手放さないと目論んだからだろう。それに、離婚は貴族女性にとって大変な醜聞だ。きっと出戻りした私に、世間も両親も良い顔をしない。
でも……!
怯むな私! 負けるな! 言ってやれ!
私は知っているのだ。ここが前世で読んだことのある小説の舞台であり、自分たちが登場人物であることを。
私とユリシーズは、この日を境に十年間冷え切った夫婦生活を送る。私は夫に無視されたまま、十年という長い時間を、屋敷で冷遇されて暮らすのだ。
そして十年後、恋人が自分を捨てて駆け落ちした後、ようやく思い出した妻の元へと帰り、改心して心を通わせる。そうして遅くに授かった息子を二人で大切に育てる。
その息子こそが、小説『柊の森』の男主人公である『クライン』その人なのだ。領地戦争あり、生き別れありのドラマチックな恋愛小説だ。
思い出したのは結婚式の真っ只中。教会の鐘が高らかに鳴り響いた瞬間だ。おかげで誓いの言葉も口づけも、少しも記憶に残っていない。
笑顔を顔に必死で貼り付けて、前世の記憶と知識が今世のそれらと折り合うスッタモンダに耐えている間に、結婚式もお披露目パーティーも終わった。
ようやく冷や汗が引いて我に返ると、私は新婚初夜に相応しい夜着を着て、大きなダブルベッドに腰掛けていた……という訳だ。そうして冒頭の夫のセリフである。
なぜこのタイミングだったのだろう。ギリギリでアウトなんじゃないだろうか? せめて結婚式の前に思い出したかった。
確かに改心した後のユリシーズは、良き父、良き夫となる。だが十年という月日は、決して短くはない。改心して詫びたからといって、失った時間は決して戻らない。
一度口にした言葉も同じだ。『そんなつもりじゃなかった』なんて言わせない。ユリシーズは、明らかに私を傷つける意志をもってして『君を愛することはない』という言葉を口にした。
この男は最低の暴言を吐いた上に、十年もの間妻を放置するのだ。改心しようと心から詫びようと、心が通うとはとても思えない。
例え十年後でも、そんな人と子供を作るような行為はしたくない。当たり前ではないだろうか?
それでは男主人公が生まれて来ない?
そうかも知れない。けれど、それは私が十年もの間、我慢を続けてまで成さなければいけないことなんだろうか?
「明確なお返事が頂けないようなので、私はこれで失礼させて頂きますね。慰謝料はいりませんよ。お飾りの妻が必要なのでしょうから、そのお金で雇うなりして下さい」
「ま、待て! 結婚してたった一日で離婚だなんて……そんなことをしでかして、次にまともな縁談が来ると思っているのか!? 実家に帰ったって針の筵だろう!」
「あなたとのこの結婚が、まともだとでも言うのですか?」
「なっ……なんて生意気なんだ! 女のくせに!」
「あら……。そんなこと言っちゃうんですか? あなたの恋人も、お母さまも女性ですよ」
ああ、この人は駄目だ。こんな人の息子が、どうしてあんなにも素敵な男性に育ったのだろう。『柊の森』の主人公クラインは、人の心を思いやることの出来る良い男だったのに……。
身分社会であり、女性の地位の低いこの世界。現代社会の価値観を思い出してしまった私が、この先恋愛や結婚が出来るだろうか?
それでも……。それでも……この家で打ち捨てられたような十年間を過ごす気には、とてもなれない。
「離婚の手続きは私がします。大変短いご縁でしたが、良い勉強になりましたわ」
私は言いながらガウンを羽織り、手早く手荷物をまとめ立ち尽くすユリシーズの横をすり抜けた。嫁入り道具や身の回りの品は荷解きすらせずに馬車の中だ。着替えは馬車の中でも出来る。
「ふふ……初夜に新妻に逃げられた夫と、逃げ出した妻……。どちらがより酷い醜聞となりますことやら……」
ドアを開けると家令らしき男性が、驚いたように声をかけて来た。
「奥様……このような時間にどこへ……!」
「皆さんに挨拶もしていませんでしたね。ですが、破談になりました。お騒がせして申し訳ありませんが、うちの御者と護衛に声をかけて頂けますか?」
「待て! 出て行くなど許さん! なんて嫉妬深い女なんだ! 貴族が愛人を持つなど普通のことだろうが!」
「あなたに心が一欠片もないのに、嫉妬する筈がないでしょう? この家の女主人の席にも、執着などありません。どうか、その方とお幸せに」
これ以上言いたいこともないので、私はさっさと玄関を目指した。後ろで家令とユリシーズが揉めている声が聞こえたが知ったことではない。
玄関を出て馬車に乗り込む。御者がバタバタと走って来た。
「お嬢さま……いえ、奥様! いったいどうしたんですか?」
「疲れているのにごめんなさいね。近くの宿まで走ってもらえますか? 行き先は朝までに決めておくわ」
目の前には暗く立ち込める柊の森。まるで私の今の気分を象徴しているかのようだ。本当に朝が来るのか、不安にさえ思う。
なんて最悪な夜だろう。最低最悪だ。
けれど……。
自分の決断に後悔はない。
暗い森にも朝が来るように、きっと私の人生にも光が差す日もあるに違いない。何があろうと、少なくともあの屋敷で過ごす十年に比べたらマシだと思える。
それに……。
クラインが生まれないとしたら、私はけっこう忙しくなる。ヒロインを探したり、助けるための手段を見つけなければならない。
私が小説『柊の森』の中で、誰よりも好きだったのは、ヒロインなのだから。
「ふふふ! 私が幸せにしちゃおうっと!」
そしてクラインが生まれない場合、領地戦争を戦い抜くヒーローがいないことを意味する。
まあ、三十年後のことなんて、考えたって仕方ないね! ユリシーズが自分で頑張れば良い。
柊の森を背に、馬車が夜道をひた走る。私が屋敷を振り返り見ることはない。
おしまい
思いのほか、たくさんの人に読んでもらえて驚いています。楽しんで頂けたなら何よりです。
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