第1話
「昨日は60万PVか……。」
目覚まし時計から鳴り響く不快な電子音を止めて、すぐにスマートフォンを確認する。リロードボタンを押すと、昨晩眠りにつく前に見た時から38万PVも増えていた。夜、寝る前にアクセスする人が多いということだろう。こちらとしてもその時間を狙って更新してるのだから、狙い通りでもある。
「しょうもないわね。こんな小説の何が面白いのかしら。」
誰もいない広い部屋で一人呟く。遮るもののない窓の外からは、朝の陽ざしが眩しいくらいに降り注いでいた。立ち上がり、カーテンを閉める。
読者からの投げ銭収入が安定してきたので、都内のタワーマンションに引っ越してみたけれど、実際はそんなに良いものでもないというのが正直な感想だ。たしかに窓の外の景色は綺麗だけれど、1か月もしないうちに慣れた。それ以外は住んでしまえば20階でも2階でもほとんど同じだ。明らかに家賃と見合っていない。まだ1年以上先のことだけれど、次の契約更新は絶対にしないと心に固く誓っている。
私、上野千草はウェブ小説投稿サイト「小説家になりたい」でウェブ小説を書いている兼業小説家だ。小学生の頃に読んだ「走れメロス」をきっかけに純文学にはまり、中学生の頃から10年近く、ずっと純文学カテゴリに投稿を続けてきた。
ウェブ小説において、純文学ほど人気のないカテゴリも珍しい。近年の総合ランキングの上位は、いつもファンタジーや恋愛だ。例外と言えば、たまにSFやミステリー、ホラーなんかが登場するくらいだろうか。純文学がウェブから書籍化したという話を聞いたことがない。
それに、数少ない純文学カテゴリに投稿されているものだって、私に言わせれば到底純文学とは呼べない作品も珍しくない。おそらく、他のカテゴリに当てはまらない雑多なものをとりあえず純文学カテゴリに投稿している作者がいるのだろう。文学の善し悪しがわからないどころか、そもそも純文学の定義を理解していない連中が多すぎることには辟易する。
『申し訳ございません。本日、体調が悪いので休みます。何卒よろしくお願いいたします。』
スマートフォンを取り出して、会社にメールを送る。気分が乗らなくてオフィスに行きたくない日は、このメールをコピペして上司に送ればよいだけだ。要するにサボりである。派遣社員だから何の責任もないし、私がいなくても誰も困らないので、この程度の1行メールだけで簡単に休むことができる。3か月ごとの契約見直しでクビになるリスクはあるけれど、そもそも安い給料なので別にどうなろうが構わない。ウェブ小説の読者からの投げ銭だけで生活してもいいし、まだ20代だから次の派遣先を見つけるのも難しくはないと思う。
「続き、どうしようかなぁ。」
執筆用に買ったデスクトップコンピューターを前に座り、首を大きく後ろへ倒して天井を見上げた。長い髪が椅子に絡まりそうになり、慌てて姿勢を正す。以前、背もたれに巻き込まれて散々な目にあったこともあるのに、また癖でこの姿勢を取ってしまった。ああ、イライラする。
「とりあえずこの辺でリザードマンでも登場させておこうかしら。」
参考資料のために買ってみたライトノベルをペラペラとめくる。あまりにも純文学作品が読まれないので、ヤケクソになって1年前から人気ナンバーワンカテゴリである異世界ファンタジー小説を書き始めたのだ。もっとも、これまで全く読んだことがなかったカテゴリなので、どのような話を書けばよいのかよくわからない。そこで、ネタ探しのために他の複数のライトノベルやウェブ小説から適当に設定をパクって混ぜ合わせることにした。その結果生み出された「アクロディア戦記」は、平凡な男子高校生である主人公が、突然中世ヨーロッパ風RPGの世界に飛ばされ、剣や魔法を駆使する仲間たちと共にモンスターを倒したり、王族や貴族の期待に応えて出世していくというストーリーである。
当初はこんなにもヒットするとは思っていなかったので、10分程度でさくっと固有名詞だけ決めて書き始めた。その結果、連載中に色々と設定を追加することになり、冷静に考えれば矛盾が多い作品となっている。そもそもギリシャ語風のタイトルにもかからず舞台はフランスやドイツがモデルという時点で、読者から違和感のコメントが届かないのが不思議でならない。
こんな小説が毎日何10万PVも読まれているのだから世も末だ。文学がわからない連中がこれほどまでに多い世の中になってしまったのか。芥川先生も埼玉県の墓の下で号泣していることだろう。
ブーッという音がして、スマートフォンが揺れる。先ほど送ったメールに返信が来たのだろうか。どうせ「了解しました。お大事にしてください。」と書かれているだけだろうけれど、念のため内容を確認することにする。
「あら、なにかしら。」
「太郎」という見慣れない送信者からメールが届いたことに気付く。「アクロディア戦記について」というタイトルがついているけれど、このメールはプライベート用だ。こんな恥ずかしい小説を書いていることは家族や友人には言っていないので、やや不信感が募る。まさか、誰かにバレてしまったのだろうか。
From:太郎
To:自分
Subject:アクロディア戦記について
こんにちは。私はアクロディア戦記の読者です。最近のアクロディア戦記は更新頻度が落ちてきているし、一話当たりの文字数が少なくなってるので、続きが読みたくて先生のパソコンをハッキングしました。たった2話分しか書き溜めがないんですね。そりゃあ更新が遅くなるのも無理はないと思いました。とりあえず私の方で今までの分の誤字の訂正は全部やっておいたので、さっさと次の話を書いてください。これ以上更新頻度が遅くなると読者が飽きてしまうと思いますよ。
あと、シュテルンブルクへ向けて旅立ってからの内容は正直マンネリ化してきていて少しつまらなくなってきてると思いました。今はゴブリンとコウモリを倒したところなので、このままいくとそろそろリザードマンあたりが出てくるんじゃないかと思いますが、そういうワンパターンはつまらないので頑張って新しい展開を考えて欲しいです。
それから、SNSで送られてくる変なURLを勝手に開くと危ないですよ。ご存じないかもしれませんので、念のためお伝えしておきますね。とりあえず無料のセキュリティソフトを入れておきましたので、感謝してください。それでは。