7.マサトとの出会い。
ざあざあと、激しい雨が降っている。濡れた道路の片隅で、明るい金色の猫が倒れていた。その足元からは血が流れ、雨水と共にあたりに流れていく。車に跳ねられてしまったその身体は、無惨にも道路の片隅にまで飛ばされてしまっていた。大丈夫よ。そう金色の猫が呟く。だがその呟きも、雨に交じってしまい、微かな音にしかならなかった。そんな金色の猫の隣で、小さな小さな黒い子猫が泣きじゃくりながら立ち尽くしていた。
『おかあさん、おかあさん』
一生懸命呼びかけても、倒れ込んでいる母親はぴくりとも動かない。ただただ、足元から血が流れるだけ。どうすれば、どうすればいいんだろう。周りには誰もいない。ヒトも、猫も、犬も、何も。助けを求めることも出来ない。何も出来ずにいる黒い子猫の綺麗な赤い瞳から、ぼろぼろと涙が零れる。金色の猫の瞳が、静かに閉じていく。どうすることも出来なかった。
『…おかあさん…』
頭を垂れる黒い子猫の身体を、激しい雨が打ちつけていた。
『お前が殺したんだ』
『お前はやっぱり不幸を招く猫だったんだ』
『―――お前が、母親を殺したんだ』
鳥の鳴き声が聞こえる。瞼に当たる温かい光を感じて、イチはゆっくりと目を開いた。さっきまで悲しい夢を見ていたような気がするが、何も思い出す事が出来なかった。そういえば、自分はコクウと秘密の空き地に行って、さやかと会って、そして些細なことで喧嘩をして、夢中で走り出して。そうだ、その後、自分は車にぶつかったんだった。ようやく思い出した。でも車とぶつかったのに、自分は生きている。どうしてだろう。車にぶつかれば死んでしまう。大人は自分たち子犬に良くそう言い聞かせていた。それなのに。
ふと足元に違和感を感じて見てみれば、白い布が丁寧に巻かれている。ここは自分が怪我をしたところだ。これは自分でやったことじゃない。つまり誰かがこうしてくれた。ここはどこだろう。自分は車にはねられて、それから。
「あ、気がついたんだね」
ぼんやりと今までの事を思い出していると、聞いた事の無い声が頭上から降ってきた。もう身体は痛くない。ゆっくりと身体を起こして見上げてみると、そこにはヒトの子供が嬉しそうに笑っていた。自分はこの子供を知らない。でも、向こうは知っているみたいだ。誰だろう。どうしていいのか分からないので、イチはじっとヒトの子供を見つめていた。
「良かった。ずっと眠っていたんだよ」
そう言われたが、イチは何が起こったのか全く理解出来なかった。身体の周りには暖かい毛布がある。もう少し遠くを見てみると、見慣れない景色が広がっている。自分はこれを知っている。見たことがある。これはヒトの住処だって。どうやらここは、このヒトの子供の家のようだった。つまり、この子供が、怪我を治してくれたんだろう。そうとしか思えなかった。そうでなければ、この暖かい毛布も、足首の白い布も、説明がつかないから。
「僕は正人って言うんだ。雨の日に僕の家の車とぶつかっちゃって、そのまま病院へ行ったんだよ。でも傷は深く無いってお医者さんが言ってたから、心配ないよ」
マサトと名乗ったヒトの子供が、微笑みながらそう言ってイチの頭を撫でる。その優しい手付きに、思わずイチはくぅ、と鳴いた。マサトの言っていることは少し難しかったけれど、とにかく、自分を助けてくれたということだけは分かった。だから、マサトは悪いヤツじゃない。
「怪我が治るまでここにいていいからね」
マサトのそんな優しい声に、イチはありがとうという気持ちを込めてわん、と鳴いた。