2.寂しい背中。
薄暗い塀の上を、まるで墨で染められたような、暗闇のような黒い猫が歩いている。すらりとした長身に、血のような真っ赤な瞳。そんな黒猫の後を、塀の下から子犬が追いかけている。まだまだ未熟な、金色の瞳を持った茶色の小さな子犬だ。自分はあの黒猫のように塀の上には登れない。だからそのの子犬は必死に上を眺めながら、コクウの影について行っている。
彼に助けられた日から、ずっとずっとイチはコクウという黒猫の後ろを追いかけていた。彼はとても気まぐれだった。塀の上を歩いていたかと思いきや、ふと止まってそこでぼんやりと景色を見ていたり、眠たげにあくびをしていたり。イチに構わずいきなり屋根の下に行ってしまう事もある。それでも、イチはずっとコクウを追いかけていた。彼を、幸せにするために。その約束を守るために。
「こくう、なにかみえるのか?」
塀の上にいるコクウを見上げながら、イチが聞く。コクウは素っ気無く「何も」と答えた。ずっとずっと、イチはコクウの後を追いかけている。そんなイチが見たのは、他の猫達の冷たい反応だった。小道をコクウが通れば、誰もが目を逸らして道を開ける。時折コクウの姿を見てひそひそと話す猫達の姿も見た。きっと彼の噂を話しているのだろう。同じ猫達からも、コクウは明らかに避けられていた。どうしてなんだろう。コクウは自分を助けてくれた恩人だ。それなのに、みんなはコクウと一緒にいようとはしない。
「こくう…ひとりで、さみしくないか?」
そう、思いきってイチは聞いてみた。コクウ自身も、自分が他の猫から避けられていることは知っているようだ。だから怒るかもしれない。でもどうしても、聞きたかった。ひとりぼっちは寂しい。イチはそう考えていた。自分には両親がいて、今は離れているけれど、会おうと思えばいつでも会える。兄弟だってたくさんいる。友達も。でもコクウにはそれが無かった。少なくとも、イチにはそう見えた。
「他人とつるむのは嫌いでね。一人は慣れた」
塀の上から降りないまま、コクウが答える。その姿がどこか寂しそうだと、イチは正直に思った。誰も話し掛けてくれない。誰も見てくれない。コクウは一人だった。
「………さみしいな」
ぽつりと、イチが呟いた。