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黒猫と子犬。  作者: フツキ
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1.黒猫と子犬の出会い。

 小さな悲鳴が聞こえた。この少し暗い路地裏ではたまにある事だ。夕暮れに身体を染めながら、コクウは塀の上でぼんやりと悲鳴の聞こえる方を向いた。

 少し暗い奥まった場所に、子犬が二匹いる。威嚇を続ける子犬の近くには、それより幼い子犬がいる。その周りには、大人の犬が数匹。喧嘩か。コクウは目を細めてそう呟いた。だが喧嘩と言うには、この状況は余りにもおかしかった。

 威嚇をしている子犬は大人達の攻撃を、ただひたすら耐えているだけだった。おそらく、近くにいる小さな子犬を守ろうとしているのだろう。反撃に転じれば、子犬が危ない。

「……まったく、見ちゃいられねえ」

 吐き捨てるように呟くと、コクウは華麗な動きで塀を降りていった。

「おいおい、いい大人が何やってるんだい?」

 すとんと地に下りてすぐ、コクウがそう集団に声をかける。すると周りにいた大人たちがこちらに気付き、ざわざわと騒ぎ始めた。

「黒猫が何の用だ」

「こう煩いとおちおち寝てられないんでね。それに…この状況は、見ていて気分のいいもんじゃない」

 ちらりと子犬を見やりながら、コクウがそう言い放つ。視線の先にいる子犬は、警戒しながらじっとコクウを見つめている。周りの大人たちの仲間だと思われているのだろうか。こんなのと一緒にされたくはない。いい迷惑だ。

「こちらのいざこざに口を挟まないでもらおうか」

 リーダーらしき大人の犬がそう言ってコクウを牽制する。するとその大声に幼い子犬が、怯えるようにびくりと震えた。何ともちっぽけな悪党らしいやり方だ。きっとこの子犬たちは何もしていない。ただ不運にも、奴らの標的になってしまった。それだけだろう。数の暴力で押し切ろうとする奴らの実力など、たかが知れている。喧嘩をするつもりは無いが、とりあえず、啖呵を切ってみるか。

「邪魔だって言ってるんだ。何なら、このオレが相手をしようか?久しぶりに軽く運動したいんでね」

 にやりと不敵にコクウがリーダーに笑いかける。低い態勢を取り軽く唸ってやると、不利を自覚したのか、「…仕方ない」と呟いて、大人達は散り散りに去って行った。

 完全に大人達が去ったのを確認して、コクウはふうと溜息をついた。集団を相手にするのは苦ではない。それなりの実力は持ち合わせているつもりだ。だがこの路地裏で生きて行くために、コクウとしてはあまり喧嘩をしたくは無かった。自分の存在は、この路地裏では、ただでさえ特殊な類なのだから。

「…あ、ありがとな!」

 去っていく大人達をぽかんとした表情でしばらく眺めてから、ようやく自分が助かったのだと気付いた子犬が、コクウにそう礼を言った。ゆっくりと後ろを向くと、言葉は無いものの、嬉しそうに笑っている幼い子犬の姿があった。ああ、らしくもない行為をしてしまった。でもあのまま見捨てている方が、気分が悪い。

「そこの坊主は無事かい?兄ちゃん」

「ああ。…ほら、もうかあちゃんからはなれるんじゃないぞ」

 子犬はそう言ってから、幼い子犬に頬ずりをしてやった。その幼い子犬は一言「ありがとう」と礼を言ってから、路地裏を走っていった。その後姿を見ながら、子犬はまた嬉しそうに笑った。

 そんなやりとりと見ていたコクウは、子犬に気付かれないようそっと背を向けて歩き出した。これ以上いざこざに巻き込まれるのは嫌だし、下手に関わりすぎて子犬に付き纏われるのも面倒だ。だが、どうやら子犬は去って行く自分に気付かれてしまったらしい。自分の足音とは違う、もう一つの小さな足音が聞こえてきた。

「なんで…だまっていくんだよ」

「オレはもう兄ちゃんとはもう無関係だからな」

 子犬の方を向かないまま、コクウはそう答える。このまま素っ気無い返事をし続けていれば、いずれ飽きてきて着いて来なくなるだろう。だがその小さな足音は、コクウの背後からずっと聞こえてきている。

「おれ、いちっていうんだ。おまえはなんてなまえだ?」

 ちょろちょろとコクウの後ろを着いて歩きながら、イチと名乗った子犬が一人話し掛ける。だが、コクウは答えない。答えれば次の話題が出て来る。そうなると、それは会話となり、面倒なことになる。

「おまえはひとりなのか?むれに、はいらないのか?」

 飽きずに良く話し掛けるものだ。コクウはそう思いながら、ずっと路地裏を歩いて行く。その後ろを、一方的ではあるが、嬉しそうにイチが話し掛けつつ着いて歩いて行く。このままじゃ埒が明かない。こうなったら最後の手段だ。とうとう耐え切れなくなったのか、コクウは近くにあった塀の上へと飛んだ。華麗な動きで、コクウは塀へと着地する。犬は自分たち猫とは違い、あまり高く跳躍が出来ない。こうすればあの子犬は着いてこれないはずだ。

「あー、ずるいぞ!」

「………兄ちゃん、悪い事は言わねえ。オレとは関わらない方がいい」

 イチを見下ろしながら、そうコクウが忠告した。茶色の身体をぴょこぴょこと必死に跳ねさせながら、イチが塀の上のコクウを見つめる。

「いやだ。ちゃんと、れいをいってないぞ!」

「礼を言われるような事なんかしてねえよ。兄ちゃんも群れに帰りな」

 コクウはそう言うと、あくびをひとつして腰を下ろした。もうすぐ暗くなる。イチという子犬も、暗くなれば群れに帰るだろう。暗くなればこの路地裏は一人でいるには危険な場所になる。暗闇はただでさえ危ない。どこからともなくヒトが現れるし、それより危険な存在が飛び出してくる可能性もある。だからその子犬が危険にさらされる前に、コクウとしては出来れば帰ってもらいたかった。

 あれからどれくらい経っただろうか。辺りはもう薄暗い。それでも、イチはその場を離れなかった。ちかちかと音を立てながら街灯が着いていくが、イチはじっと自分がいる塀の下にいる。どうして群れに戻らないんだ。ああもう。面倒だと心で愚痴りながら、コクウは仕方なくイチに声をかけた。

「…………何で帰らないんだ?」

「おれのこと、たすけてくれたから。おとなはだれも、たすけてくれなかった。…でも、おまえはちがった」

 ふるふると震えながら、イチが答える。暗くなってきたせいか、少し寒くなってきたのだろう。コクウは塀の上から動かないまま、じっとイチを見つめる。

「オレは不幸を呼ぶ黒猫だ。もう関わるな」

「ふこう…?」

「そうだ。オレと関われば、誰もが不幸になる」

 そう言って、コクウはイチから視線をそらす。自分の姿はこれから訪れる夜の闇を纏ったような、黒い猫の姿だ。この姿を見たモノは、皆自分を不幸の象徴だと言って蔑んだ。自分は何もしていない。何もしていないはずなのに。でも。そこまで考えて、それを振り払うようにコクウは首を振る。誰かと関わるなんて面倒でしかない。だからずっと一人でコクウは生きてきた。きっとこれからも、ずっと一人で生きて行くのだろう。自分に関われば、みんな不幸になってしまうから。

「おまえ、ふこうなのか?…なら、おれがおまえをしあわせにする」

「何を言ってるんだ。関わるなって言っているじゃねえか」

「おれがおまえといっしょにいて、しあわせになれば、だれもそんなこといわなくなる」

 おれいがしたいんだ。イチはそう続けてから、じっとコクウを見つめた。強い意志を秘めた、綺麗な金色の瞳だった。何もかもが自分と違うと、コクウは思った。こいつは小さな子犬を守るために、その身体を張って大人達の攻撃に耐え続けた。そして自分と関われば不幸になると言ったのに、自分は幸せになって、絶対に不幸にならないと言った。そして揺らぎの無い綺麗な金の瞳が、じっとじっと自分を見つめている。だがそれも、いずれ自分と関われば崩れてしまうだろう。

 それまでは子供の幻想に付き合ってやっても良いか。珍しくコクウはそう思った。これ以上話すのが嫌になってきたというのもある。何より面倒になれば、今回のようにするりと塀に行って、煙に巻いてやれば良い。コクウはそっと塀から降りて、イチの元へ着地した。途端に嬉しそうにイチが鳴く。コクウの赤い瞳が、街灯に照らされてきらりと光った。

「……コクウ」

「え?」

「オレの名前はコクウ。さんも何もいらねえ、ただのコクウだ」

 そう言ってにやりと笑うと、それを見たイチも嬉しそうににこりと笑った。

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