夢から覚めてしまったら
おなかいっぱいになって、ごちそうさま!ってことになり、殿下方が退出されたところで、食器を下げる。
食器洗いが終わると、レダさん達はパンを捏ね始めた。
サヴィーナ様が迎えに来てくださって、「泉」に連れて行っていただいた。
今日は、アマーリア様のお姿が見当たらない。
サヴィーナ様にこそっと聞くと、午前中に入浴?したとのことだ。
よく見ると、他の方々も入れ替わっているようだ。
でも、ヒルデガルト様は、一昨日とまったく変わらないご様子で、浴槽に浸かったまま、ほんのりと微笑んでいらっしゃった。
「ヒルデガルト様……」
淡い薔薇色の頬は、ただうとうとされているだけのようにしか見えない。
ファビアン殿下がヒルデガルト様の手を取って呼びかけたら、ふっと目を開いて、お目覚めになるんじゃないかって思ってしまう。
ああでも、今、目覚めてしまったら、お命が危ないんだった。
それに、殿下はローデオン公国にいらしたきり。
仮に殿下が帝国にお戻りになっても、ヒルデガルト様に会うことはたぶんできない。
もしかしたら、ヒルデガルト様は、ずっと夢を見ていらっしゃるのかもしれない。
恋人として、陛下とメリッサ夫人に紹介されて、晴れて婚約して。
デビュタント・ボールは、もちろんファビアン殿下のエスコートで参加して。
きっと、ごちゃごちゃ言う人もいるだろうし、色んなことがあるだろうけれど、そんなの二人には全然関係なくて。
いつの日もいつの日も、ファビアン殿下と手を取りあい、笑いあって幸せに時が過ぎていく。
でも、夢から覚めてしまったら、恋しい人と引き裂かれてしまった現実に向き合うしかない。
だから、こうして眠り続けていらっしゃるのかも──
「レディ・ウィルヘルミナ」
サヴィーナ様に声をかけられて、はっとした。
思いのほか、時間が経ってしまったようだ。
「……どうか、お健やかに」
叔母と甥であることが明らかになった以上、ヒルデガルト様とファビアン殿下が一緒に歩める道はない。
けれど、お命がつながっていれば、いつかまた会える時も来るかもしれない。
ヒルデガルト様の額に、髪が一筋かかっているのをそっと払い、私は立ち上がった。
厨房へ戻ると、パン捏ねの作業が一段落ついたところだった。
なにはともあれ、すみっこの作業台を借りて、村祭りのクッキーを作りはじめる。
ネリーさんという、私よりちょっと年上かな?てくらいの人が分量や手順を書き留めながら手伝ってくれた。
お菓子作りが好きで、よくおやつを担当しているとか。
サヴィーナ様は例によって壁にもたれて、見学だ。
まずは、オーツ麦とアーモンドを荒く挽き、小麦粉とベーキングパウダーを合わせておく。
バターをへらで捏ねて柔らかくし、砂糖を加えて白っぽくなるまで泡だて器で混ぜていく。
作業しているうちに、沈んでいた気持ちがだんだん解れていった。
そこに溶き卵を少しずつ入れ、てろろんとしたところで、粉ものを加えてゆき、ほんのちょっぴり塩も振って、あまり捏ねないようになじませたら、生地は完成!
生地をスプーンで掬い、ツルツルの焼き紙を敷いた天板にぼてっと落とし、スプーンの背で撫でて、丸くなるように均していく。
途中で、カルロ殿下に連れられたジャン=リュック様がいらして、僕もやりたい僕もやりたい!ってなったので、「クッキー隊長」をお願いした。
お星さま作るー!と張り切るジャン=リュック様は、べとべと系の生地に大苦戦。
カルロ殿下がちょこちょこ口を挟んで、とりあえずもにゃもにゃっとした形を作って、「これは三日月」とか「これは雲」とか見立てる方向に切り替えた。
カルロ殿下、初めてお会いしたときは、皮肉屋さんっぽかったけど、ジャン=リュック様をかわいがっていらっしゃる様子は微笑ましい。
大きな天板5枚分、お祭りクッキーの用意ができたので、ネリーさんと相談して温度計とにらめっこしながら焼いていく。
しばらくすると甘い香りがめっちゃしてきて、そろそろかな?そろそろかな?ってなったところで天板を引き出す。
ん! 見るからにカリッカリに焼けて、香ばしそう!
端っこのあたり、ちょっと焦げかかってるのもあるけど、私が食べちゃえば大丈夫!
「おいしそー!」
ネリーさんと作業台の上に天板を並べていると、ジャン=リュック様が手を伸ばしてきて、思わずペシッと軽く叩いてしまった。
「駄目ですよ! 今食べたら、口の中めっちゃ火傷しちゃいます!」
「ふぁーい……」
クッキーを足つき網の上に移し、冷めるのを待つ間に、今日の夕食と明日の朝食の仕込みのお手伝いをする。
小一時間ほど経ったところで、いつの間にか消えていたサヴィーナ様が、移動用ベッドに丸まっているアマーリア様と看護人といらっしゃった。
「いい匂い」
アマーリア様は、身を少し乗り出すようにして、鼻をくんくんさせている。
「いいところにいらっしゃいましたね。
もうちょっとしたら、クッキーが食べられますよ」
「クッキー……食べる」
こくっと、アマーリア様は頷いた。
というか、アマーリア様、クッキーとか召し上がってもいいんだろうか?
あわあわしながら、看護人さんに使った食材を説明すると、大丈夫とのことで、ほっとした。
「お祭りクッキー」のレシピは、モデルである「からす麦の焼き立てクッキー」(バッケン・モーツァルト)を参考にしています。
https://www.b-mozart.co.jp/?mode=f1
口当たりが軽く、なんぼでも食べられる魔性のクッキーですが、よく見るとカロリーヤバいので、お気をつけください!
オススメは「アーモンド」です。




