地獄の業火で灼かれろ事案
「いやッ!!!」
殿下の手を払い、反射的に後ろに飛び退いた。
身を低くして、ダダダダダンッと、防御結界を出せるだけ出す。
分厚い結界を射出した勢いを使い、大理石の床の上を片膝を突いたまま後ろに滑って、さらに距離を取った。
「ミナ!?」
アルベルト様が、驚いて私の方に駆け寄ってくる。
「今、私の記憶、覗いてましたよね!?」
「え」
結界をびゃっと消し、私はエクトル殿下を睨みつけながら立ち上がった。
ヤバかった。
あのままぼーっとしてたら、エルスタルの絵をヨハンナが解くとこまで見られるとこだった。
ていうか、皇家の秘密とか関係なくこんなことされちゃ困る!
「ダメですよ、あんなこと!
私のことだけならとにかく、まわりの人のことだってまるっと見えちゃうじゃないですか!
私、貴族学院で女子寮に入ってたし、シャワーとか共同だったんですよ!
乙女の裸を赤の他人のおっさんが勝手に見るとか、地獄の業火で灼かれろ事案ですよ!?」
「「お、おっさん!?」」
おっさん呼ばわりされた殿下と、謎の女性はぶったまげた。
「ていうか! 今、うちの母さんのおっぱい、どさくさに紛れて見ちゃったでしょう!?」
「え。かかかか母さんの!?
叔父上、どういうことですかこれは!?」
アルベルト様が、エクトル殿下に食って掛かる。
「い、いや。そんな場面を見ようとしたわけでは」
眼を閉じたエクトル殿下は、違う違うと首を横に振る。
「そんなつもりがあったとかなかったとか、関係ないです!
勝手に人の記憶を覗いて、見てほしくないものまで勝手に見ちゃうとか、どんなに偉くても人としてダメダメじゃんって話です!
絶対絶対、そんなの却下です!」
ブチ切れて叫ぶと、エクトル殿下は、口をぱくぱくさせた。
ややあって、謎の女性が殿下にそっと近づいて、その肩に手をかける。
「……父上。こうなっては、やむをえません。
尋常に、お話しいただきましょう」
え。この方、エクトル殿下の娘なの!?
びっくりしている私達に、女性は「サヴィーナ」だと名乗った。
エクトル殿下の実の娘というわけではなく、ここで育った者──つまり、皇家から送られてきた子ども達は、皆、「湖の宮」の守護者を「父」と呼んで育つものなんだそうだ。
ならば、皇女か、皇族の誰かのお子様ということなのか。
でも、サヴィーナという名は『皇族譜』で見た覚えがないんだけれど……
アルベルト様は「ミナの記憶を覗くとか、話が違う」と私よりぷんすかしてたけど、まぁまぁまぁってなだめた。
エクトル殿下は、「読み出しは一瞬なのになぜ気付いた」とかぶつくさ言ってる。
ちなみに、アルベルト様の記憶は覗いてないそうだ。
ま、魅了持ちだったわけだし、うっかり覗いたらなにがどうなるかわからない感がアルベルト様にはある。
なにはともあれ、この広間は座るところもないから、別の部屋に移ることになった。
ここは皇家からの使者を迎えるための広間で、手紙を受け取るだけだから、なにもないんだって言われて、はるばるやってきた使者にお茶も出さないの!?ってびっくりした。
広間を出て、脇の人目につかない使用人用階段を降りて、案内されたのは小さな部屋。
真ん中に大きな6人掛けのテーブルがあって、クッションを結びつけた木の椅子が並んでいる。
床はモルタル塗りだし、ぱっと見、平民用パブの一角みたいな感じだ。
壁には作り付けの棚がたくさんあり、カゴとか木箱も並んでいて、生活感がある。
広間との位置関係からして、本来は侍女や従僕が待機する場所みたいだけど、上階とのギャップが凄い。
エクトル殿下と私達を適当に座らせると、サヴィーナ様は奥のドアからどこかに行き、すぐに大きなやかんと、ホーローのマグカップを載せたカートを押してきた。
サヴィーナ様がエクトル殿下にやかんを渡すと、殿下は仏頂面で呪文を唱える。
「あ? え?
わ、私、お茶なら淹れますけど」
慌てて腰を浮かせたけど、席を立つ前にお茶のいい香りが広がった。
魔法で直接お茶を沸かす、デ・シーカ先生方式だ。
サヴィーナ様はエクトル殿下からやかんを受け取り、右手だけでマグカップに注ぎ分けて配ってくれた。
見ていると、左手はローブの中からずっと出てこない。
左手が不自由なんだろうか。
殿下と私達の分だけカップを置くと、自分のは用意せずに、浅く椅子に腰掛けた。
「ここでは、落とせば割れる磁器も、こまめに磨かねばならん銀器も、無用の長物にすぎん。
宮廷風の作法を押し付けてくる側仕え一人を雇う金で、優秀な看護人を三人雇えるしな」
苦い口調で、エクトル殿下はおっしゃった。
ソファとか絨毯がないのも、掃除が大変だからってことなのかも。
「なるほど……いただきます」
アルベルト様が頷き、私も軽く頭を下げて、お茶を頂いた。
普通に美味しい。
「エクトル殿下。
ノルド枢機卿の最期を知りたいとおっしゃるのは、なぜなんでしょう。
子どもの頃は仲が良かったとか、そういうことですか?」
落ち着いたところで、うかがってみた。
ヤバいところは除いて、なるべく本当のところをお話するつもりではあるけれど、「大事な弟だった」とかなら、やっぱりちょっと表現に配慮したい。
ふむ、と殿下は首を傾げた。




