幕間 塔の研究室
そんなこんなで学院に着いたのは夕方だったけど、晩ごはんの前にぴゃっと魔導研究所に向かった。
どうせ土日もアルベルト様は研究室にいるし。
「というわけで、ヨハンナはクラリッサ様と企画会議するって街に残ったんで、オーギュスト様とエミーリア様と戻ってきたんですけどおおおおおお……
いやー、学院まで遠かったです! 後半は寝たふりしてました!」
「それは大変だったね……
それにしてもレディ・エミーリア、ちょっとちょろくないか?」
ちょうど休憩のタイミングだったとのことで、お茶を飲みながら私の長話につきあわされたアルベルト様は、少々引き気味におっしゃった。
私もそこはそう思います、と目をそらした。
ゲルトルート様の時も思ったけど、お姉さま方素直すぎ!
「それでお土産買って来たんで……良かったら」
薄紙の包みを、私はアルベルト様に差し出した。
ちょっと、もじもじしてしまう。
お世話になっている研究員の方へのお土産にしたいと、皆さんにも見ていただいて決めたものだけど、アルベルト様を困らせてしまったらどうしよう……
「え?俺に?」
アルベルト様はびっくりして受け取り、開けていい?と確認してから包みを開いた。
お土産に選んだのは男性用の髪紐だ。
群青の紐に金糸を編みこんだもので、端に小さなラピスラズリのビーズと金糸のタッセルがついている。
「あー……ありがとう!!
いや、これはびっくりした!
本当にありがとう!!」
アルベルト様は感嘆しながら笑顔になって、何度も頷く。
良かった!喜んでいただけた!
「ちょうど、アルベルト様の目の色みたいだなーって思って、つい……」
もそもそ説明を足す。
さっそく、今つけているグレーの髪紐を解いて、私のお土産を結び、整えようとしていたアルベルト様の手が止まった。
「俺の目……え、見たの!?」
アルベルト様は瓶底眼鏡を今更押さえた。
「はい、こないだ魔力巡らせしてる時にちらっと。
群青に金色っぽい模様がある?感じですよね」
「ちょっとちょっとちょっと……!!
本当に見たのか! でも、おかしくは……なってないな……?
なってたらこんな風には……」
アルベルト様はがたっと立ち上がると、ぶつぶつ言いながら座ったままの私のまわりをうろうろして様子を観察した。
「おかしいって失礼な!
……いや、もともとおかしい人間かなとは思ってますけどおおおお」
ぷんすか見上げると、アルベルト様は腕組みをしたまま考えこんでいる。
やおら机に向かうと、「手紙鳥」をどこかに飛ばした。
「……ええと、なんですか?」
なにか良くないことでも起きたのかと心配になってきた。
「ミナに問題があるとかそういうことじゃないから。
ただちょっと、確かめたいことがあるんだ」
すぐに「手紙鳥」の返事が来て、アルベルト様は慌ててあたりを見回した。
なるべく距離を取らないと、とかぶつぶつ言ってる。
円形のこの部屋、直径20m近くあると思うけど、背の高い書棚でいくつかに区切られているし、大きなテーブルもある。
距離を取ってなにかするなら外に出た方が?って思ってると、背もたれのない椅子を出してきて、扉に近いところに置いた。
「ちょっとここに座ってくれるかな」
「はーい…?」
わけがわからないまま私が言われた通り椅子に座ると、入れ替わるようにアルベルト様が研究室の真ん中に向かう。
深呼吸をすると眼鏡を外して、テーブルに置こうとし、思い直して手に持つ。
なんぞ??
「なにか変だな、おかしいなと思ったら、どんな些細なことでも言うんだ」
「ええと、どんなことですか?」
「動悸、手の震え、身体が熱くなる、逆に冷える、視界が歪むとか光の加減がおかしくなるとか……
とにかく、普段の自分と違う感覚があったら全部だ」
アルベルト様は早口に言い、もう一度深呼吸すると、意を決したように、7,8メートルほどの距離を私の方へゆっくりと近づいて来た。
というか、瓶底眼鏡外したアルベルト様の顔って初めて見た。
優しそうな整った顔立ちに、群青色の瞳。
素敵な人なんだなーと、ぼけーと見上げていると、互いに手を伸ばせば届く距離に入る。
「……なんとも、ない?」
じいっと観察しているような眼を見上げる。
「はい。
アルベルト様、今更ですけどイケメン貴公子なんですね!」
ぶっと、せっかくのイケメン貴公子が噴いた。
笑いながらアルベルト様はしゃがんで目線の高さを合わせられた。
「これでも、なんともない?」
手を伸ばせば身体に触れる距離まで詰める。
この距離だと、瞳はただの群青色ではなく、金の粒が散りばめられていることがわかる。
髪紐についたラピスラズリを見た瞬間、この眼を思い出したのだ。
どうでもいいけど、いくらアルベルト様とはいえ、じいっと見られると!乙女の!心臓が!!
ふぐぐぐ……!
「……はい。
ちょっとドキドキしますけど、これはえっとその……乙女の通常営業だと思います!」
「通常営業か。これでも?」
アルベルト様はさらに間近、数十センチほどの距離に顔を寄せられた。
反射的に身を引きかけたら、肘のあたりをぐっと握られて逃げられなくなってしまった。
「近い近い近い近すぎです!!」
「……これでも大丈夫か……」
呟きながら、顔をさらに寄せられる。
距離数センチ。
アルベルト様の綺麗な瞳に、私の顔が映っているのが見えるほどで、思わず固まってしまった。
「……これでも?」
ゆっくり首を傾げて私の眼を見ながら、いつも嵌めっぱなしの分厚い手袋を外す。
瓶底眼鏡ごと手袋を床に置いた手が私の頬に伸び、曲げた指の背でそっと触れる。
なんかもう、ほっぺ真っ赤になっちゃってる予感しかしないんですけど!!
指の長い、大きな両手が私の両頬を包む。
あったかいな、とアルベルト様はつぶやいた。
「とととというか、アルベルト様はいったいどうしちゃったんですか!?」
「俺? 俺は、…… 俺は……」
アルベルト様はなにか言いかけて止め、またなにか言いかけて、泣き笑いのように顔をくしゃくしゃっとさせて止めた。
アルベルト様は、ごまかすように戸惑う私の頬をぷにっとつまみ、首や肩も、肉とその下の骨の感触を確かめるように掴んだ。
やわらかい、と困ったような顔で笑う。
ちょっと痛い。本気で痛いほどじゃないけど痛いのは痛い。
なんなのなんなのなんなの!?
「……ミナ、君は……一体なんなんだ」
こっちが聞きたいんですけど!と全力で突っ込む前に、私の肩を掴んだまま、耐えきれなくなったようにアルベルト様は顔を伏せて泣き始めた。
抑えようとしてるのに、抑えきれない、とても苦しそうな泣き方だった。
なにこれなんなの!?
……よくわかんないけど、すごく辛そうなのはわかる。
なんとか、してあげたい。
なんにもできないかもしれないけど、でも、なにか。
手を伸ばした。
そっと、頭を抱き寄せる。
アルベルト様は、びっくりして身を離そうとして、でも私は逃すまいとして、ちょっと綱引き状態になったけど、そのうち諦めたのか力を抜き、ためらいながら私の背に腕を回してきた。
互いにぎゅっと抱き合う。
あったかくて気持ちいい。
どくどくと、どっかで脈打ってるけど、私の鼓動なのか、アルベルト様の鼓動なのかよくわからない。
荒く乱れていたアルベルト様の吐息が次第に落ち着いて、呼吸のリズムが自然に一緒になってていく。
「あの、よくわかんないけど、大丈夫ですから……
私も、アルベルト様も、大丈夫なので……
えっと、だから、泣いちゃっても大丈夫だし、えええと………」
自分でもわけがわからないことを口走りながら、私はすすり泣くアルベルト様の頭を撫で、背を撫で続けた。
しばらくそうしていると、アルベルト様は、なんとか落ち着いた。
真っ赤になって、物凄い勢いで瓶底眼鏡をかけて、あれこれ謝ろうとしてたけど、色々恥ずかしすぎて死ぬ!!
夢中だったとはいえ、これでも令嬢なのに、婚約者でも恋人でもない男の人に自分から抱きついちゃったし……
とにかく後日!ってことにしてぴゃーっと逃げた。
研究室から出ると、階段の下に護衛騎士や他の研究員がたくさんいてびっくりした。
そのまま別の研究室に連れていかれ、よくわかんない検査をたくさん受けたけれど、とりあえず今日は帰ってよしということになる。
「今から帰っても晩ごはん食いっぱぐれですよ」と恨めしげに言うと、夜食のサンドイッチを分けてくれた。
優しい。
でも、なんでこんな検査を受けるのかは、後日説明があるだろうとしか言ってもらえなかった。
評価、ブクマありがとうございます!




