母上に抱きしめられたまま
一瞬、セルト大公は視線を泳がせ、唐突に手を上げると私をターンさせた。
くるって回りながら、ワルツって、こんな風に話を誤魔化すこともできるんだな!?ってなる。
会話が途切れたところで、お訊ねしておかないといけないことを思い出した。
「私、ガラテア様のティアラやドレスを受け継がせていただくことになっているのですが。
よろしいでしょうか?」
大公閣下が、ガラテア様のドレスを着ている私を見て、お怒りになったりしたらマズいので、お会いできたら先に話を通しておこうと思っていたのだ。
「ティアラはとにかく、ドレスも?
20年も前のものではないか」
大公閣下はちょっとびっくりされている。
「バルフォア公爵家で、大切に保管されていたんです。
素敵なドレスばかりですし、死蔵したままいつか処分されるよりはと、ディアドラ皇妃殿下もおっしゃってくださって」
「なるほど。それなら、私がどうこう言う筋合いではない。
殊勝な心がけであるし」
「ありがとうございます」
セルト大公的には問題なし、となってほっとした。
しかし、大公閣下はなにか迷っている。
迷いつつ、口を開きかけたところで曲が終わり、いったん離れてお辞儀をしあった。
拍手が起きる中、閣下の肘に手をかけて、少し離れたところにいるアルベルト様達のところに戻る。
「遺されたドレスの中に、ピンクの、腰裏に大きなリボン飾りがついているものはあっただろうか。
あなたの髪より、もう一色二色、濃い色だったと思うが」
足を緩めながら、閣下は早口に囁いてきた。
「え。青系統やアイボリーのドレスがほとんどで……
ピンクのドレスを見た記憶はないのですが」
なんとなく、こちらも内緒話っぽくなる。
大公閣下は、ため息をついた。
「昔、ガラテアに贈ったのだ。
バルフォアの一の姫だからと、つい大人びたドレスばかり選んでしまうと聞いて。
……着てもらう前に、皇家からの通達が来て、それどころではなくなったのだが」
閣下は、苦い笑いを漏らした。
「結局、袖を通さぬまま処分されたのだろうか」
「……どうなんでしょう。
何着か、身近な方に形見分けもされたとお聞きしていますが」
でもそんな謂われのあるドレスを貰う人って、ちょっと考えられない。
おっしゃるように、思いを断つために処分されたのかな?
でもそれも、伝え聞くガラテア様のお人柄からすると、しっくりこない。
「ディアドラ皇妃殿下に、おうかがいしてみますか?」
「いや、それは」
そこで、足早に私を迎えに来たアルベルト様が話に入ってきた。
「ん? 叔母上になにか確かめたいことでも?」
アルベルト様の腕を取りながら、ささっとご説明した。
大公閣下は話を広げたくない風だったけれど、自分が気になりすぎる。
なになに?と公爵夫妻やウィラ様達、ミカエラ様も入ってきた。
アルベルト様は思い当たった様子で、ああ、と声を漏らした。
「もしかして、あちらの金髪の令嬢のドレスくらいの色味ですか?」
壁際でおしゃべりしている令嬢の一人を、視線で指す。
わりとぱっきりしたピンクのドレスをお召しになっている。
「そうだ」
大公閣下は、驚きながら頷いた。
「母上と最期の別れをした時、あれくらいの色の、見たことのないドレスをお身体にかけていました。
胸元に大きなリボン飾りを広げて、その上で手を組んで。
そのドレスの色味のせいか、母上は微笑んだまま眠っているように見えたのを、はっきり覚えています。
童話の、王子様が来るのを夢見たまま眠っている姫君みたいでした」
アルベルト様は言葉を切り、亡き母の恋人に目をあわせた。
「だから、そのドレスは今も皇家の廟にあります。
母上に抱きしめられたまま」
大公閣下は絶句した。
不意に、ポケットチーフをむしるように目元に当てる。
大きな身体が震えている。
皆、黙って閣下を見守ることしかできなかった。
「……最後にガラテアに会った時、家も国も捨て、一緒に逃げようと私は乞うた。
そのための手筈も、私なりに整えていた。
だが、ガラテアは拒み、逆上した私は彼女を罵ってしまった。
なのに……そうか。今も……」
ポケットチーフを目元に押し当てたまま俯いた閣下から、震える声が漏れてくる。
「閣下」
眼を潤ませた公爵夫人が、進み出た。
「わたくしは、ガラテア妃殿下と深いつきあいはありませんでしたけれど……
でも、女にとって、命がけで愛されたという記憶は、生涯、心を温め続けてくれるものですわ。
たとえ、その恋が成らなくとも」
公爵夫人は、そっと閣下の肩に触れた。
「そのドレスをずっと大切にされていたのは、そういうことだったと存じます」
「……そう思っても、いいのだろうか」
大公閣下は、つぶやきながら顔を上げた。
眼は真っ赤だ。
「……アルヴィン殿下、ありがとうございました。
後ほど、また」
大公閣下は、皆に一揖して足早に立ち去った。
ミカエラ様も、一礼して伯父様の後を追う。
「……ジークムントが、思い詰めていたのは知っていたが、そこまでだったとは。
逃げたとて、到底逃げ切れはしなかっただろうに」
二人の背を見送って、ブレンターノ公爵は深々とため息をつき、ふと夫人を見やった。
「なかなか興味深いことを言っていたが、君にもそんな記憶はあるのだろうか?」
重い空気を変えたいのか、ちょっとからかうような口ぶりだ。
だけど、夫人は「は?」と声を上げると、反射的に扇を広げて口元を隠した。
「あら!? あららららら!?
あなた、わたくしのデビュタント・ボールの夜、『生涯、命をかけて君を守る』と跪いてくださったことを、まさかお忘れですの?」
扇で強調された夫人の眼が、めちゃくちゃ怒っている。
「え? あ? あああああああ……
い、いいい言った。言った。
確かに言った、と思う!」
いつもは大人の色気の極みなブレンターノ公爵が、露骨に浮足立ってる。
夫人は凄い流し目で閣下をぎろりと睨むと、ぷいいっと顔を背け、不意にウィラ様の肘を取った。
「ウィラ。いらっしゃい。
わたくしだって、あなたくらいの年頃には色々夢見ていたこともあったのに。
令嬢は、結婚する前に殿方の生態をもっと知るべきだわ。
殿方がいかにクズくてゲスくてどうしようもない生き物か、よくよく教えてさしあげます!」
夫人は「え? 私に?」とおろっているウィラ様を連れて、足早に向こうに行ってしまった。
エドアルド様が慌てて追いすがろうとしたけど、公爵夫人にキシャー!と威嚇されて、びくっと足が止まる。
「ちーちーうーえーーー!
なんで僕が巻き込まれるんですか!
今すぐ、母上に謝ってきてください!」
うわああって頭を抱えている公爵に、エドアルド様は涙目で抗議してる。
「ギュスターヴ。
今のは、お前が悪い」
パレーティオ辺境伯が、公爵の肩をぽんってしながら重々しくおっしゃって、アルベルト様も私も、んだんだと頷くしかなかった。
公爵夫人「許してほしくば、128.54カラットのイエローダイヤモンドくらいよこしやがれですわ!」
エドアルド「読者の皆様の世界では、『ティファニー イエローダイヤモンド』として知られるアレですか……近年だと59.60カラットのピンクダイヤモンドが2017年に84億円で落札されていますが、大きければ大きいほど稀少性は高まるので、2倍ではなく、2乗になってもおかしくなさそうな……」
公爵「ぇぇぇぇぇぇ……」