13.あなた、どちらの『畑』の方?(2)
そうね、とクラリッサ様は席を立つと、窓から広場を見下ろした。
なんだろう、と私達も傍に並ぶ。
「あの農夫達でお見せしましょうか」
クラリッサ様が手を伸ばすと、心得たように侍女がスケッチブックと5色ほどのオイルパステルが入った小さな箱を渡す。
しばし、クラリッサ様は野菜の露天売りをしている年配の農夫2人を見つめると、軸線を2本だけ引いて、絵を描き始めた。
あっという間に表情豊かな人の形になっていく。
だけど、あの2人とは似ても似つかぬような……?
「わたくしがもっとも強い萌えを感じるのは、思春期前の少年同士の無自覚ないちゃいちゃなの。
でもそんな素敵な光景はそうそう拝めるものではないから……こうして、ね」
「現実」では、酒ヤケした太鼓腹の農夫2人が、肩を叩いてゲラゲラ笑っている。
出来上がった「絵」では、ころころした可愛らしい男の子の肩に、やんちゃそうだけれど優しいお兄ちゃんが手を添え、見つめあっていた。
まったく現実とかけ離れているわけではなく、農夫2人の目鼻立ちや骨格の特徴は少年達にしっかり写されている。
紺色ほぼ1色の線画に少し色を載せているだけなのに、喧嘩したり仲直りしたりして育まれただろう少年2人の絆が伝わってくる、絵自体に物語があるようなスケッチだ。
「す、凄い……」
絵の技術も凄いけど、現実から羽ばたきまくってる妄想力?も凄すぎる。
ヨハンナがひょああああ!と奇声を上げた。
「わ、わたくし速攻スケブ買ってまいりますので、シギベルトとアタナギルドをぜひお願いしたく!!」
「スケッチブックならまだ手持ちのものがあるから、後で描いて差し上げるわ」
「神!まさに神絵師なのです!!!」
ヨハンナは感動に打ち震えて、クラリッサ様を拝んだ。
「……あの、ではチェンバース卿は、クラリッサ様からは少年のように見えているのですか?」
エミーリア様は不思議そうに首を傾げられた。
まさか、とクラリッサ様が笑われる。
「でも、主人を『変換』してみるのは面白いかもしれないわね……」
ちょうど、オーギュスト様とチェンバース卿が広場へ戻ってきた。
2人を見つめながらスケッチブックをめくると、クラリッサ様はまたまた凄い勢いで2人を描き始める。
……少年と……老紳士?
あっという間に出来上がったのは、今まで積んできた経験がにじみ出て色気になっているような老紳士と、見るからに勝ち気そうな美しい少年だった。
2人は手をつなぎ、老紳士が少年を優しげに見守り、少年は甘えた眼で見上げている。
「……オーギュスト様!」
エミーリア様がつぶやく。
あー!老紳士がオーギュスト様、少年がチェンバース卿だ。
老紳士オーギュスト様、チェンバース卿とは違うタイプだけどイケてる!
チェンバース卿が眼光鋭い将軍タイプだとしたら、オーギュスト様はいつも微笑みを絶やさないけど老獪な軍師タイプというところだ。
そっか、さっきの広場での様子で、クラリッサ様はエミーリア様がオジサマ好きで、オーギュスト様にはいまいち気持ちがないって気づいてたのか。
それで「オーギュストおじさま」の予想図を見せようと……?
さらにクラリッサ様は、新しいページを出して、肩から上のサイズで、老紳士オーギュスト様の表情をどんどん描き始めた。
肖像画っぽいよそゆきの微笑、大笑い、弱ったなと苦笑する顔、驚いた顔、からかうようなちょっと人の悪い笑顔……
今のチェンバース卿と同じく、人生経験の豊かさが刻まれた表情は味わい深い。
エミーリア様の眼が見開かれた。
「オーギュストがしたことで、一番困ったことを教えてくれるかしら。
遠慮なく、正直におっしゃって」
描きながらクラリッサ様は、エミーリア様に質問された。
「あー……
新成人舞踏会の直前、サプライズで素敵な耳飾りをくださったのですけれど。
耳飾りは、祖父から成人の祝いとして贈られたものがあって……」
めちゃくちゃ視線をそらしながら、エミーリア様は答える。
新年に私も出ることになってる社交界デビューとなる舞踏会は、一生に一度の晴れ舞台。
お祖父様からのお祝いがあるのに、いきなりかぶるものを渡されてもそちらに替えるわけにもいかないし、どうしろとってなったんだろうな……
オーギュスト様としては、エミーリア様を喜ばせたかったのだろうけれど。
「それはお困りだったわね……
ところで、もし同じことを主人が若い頃にしてしまったと聞いたら、どう思うかしら。
がっかりする? それとも萌える?」
「萌えます!!」
エミーリア様は光の速さで断言した。
渋い紳士の若き日の失敗、ちょっとかわいいと私も思う。
「この紳士がやらかしたと知ったら?」
クラリッサ様は、スケッチブックを傾けて、エミーリア様が老紳士オーギュスト様を見やすいようにして訊ねた。
エミーリア様はさまざまな表情の老紳士オーギュスト様をじっと見る。
「……萌えます!!」
エミーリア様は、やっぱり断言された。
クラリッサ様は微笑まれた。
「命でもなんでも、あらゆるものをかけてでも『現実』と戦わないといけない時もあるけれど……
どうしても辛抱できないというほどでもない、けれど『現実』と自分の望みがズレている時は、自分に合わせて『現実』をちょっぴり盛って、しのいでいくこともアリだと思うの。
『萌え』は、そういう時に助けてくれる力でもあるのね」
ヨハンナは、「至言です」と涙を流しながらクラリッサ様のお言葉をメモしていた。
エミーリア様は、少し戸惑いながらも、ゆっくりと頷かれた。
オーギュスト様とチェンバース卿に、孤児院の出店の前で合流する。
「エミーリア、せっかくだからなにか気に入ったものがあれば……」
遠慮がちに、オーギュスト様がエミーリア様に声をかけられた。
ヨハンナにはあれこれ見立ててある意味遊んでたけど、エミーリア様にはちょっと自信がないらしい。
「まあ!嬉しゅうございます!
オーギュスト様に見立てていただいてもよろしゅうございますか?」
けれど、エミーリア様は前のめりに反応された。
オーギュスト様がちょっとびっくりしている。
驚きながらもあれこれ提案するオーギュスト様を、エミーリア様はほんのりと頬を染めてうるうる眼で見上げる。
オーギュスト様の言葉に照れて、軽く二の腕を叩く真似をされたり、表情豊かだ。
悪役令嬢メイクだというのに、いつもの3倍は可愛らしい。
オーギュスト様の表情も、だんだんほぐれていく。
……これか!ヨハンナが言っていた「好き好きオーラを大☆放☆出」って!
チェンバース卿は昔を思い出すような眼になって、若い婚約者達を温かく見守っている。
「えっと……
エミーリア様、今、老紳士オーギュスト様と接してる感じになってるんでしょうか……」
こっそり訊ねると、深々とヨハンナは頷いた。
「厳密には、『あの素敵老紳士の、若き日のお姿と接している』と言うべきかもですが。
クラリッサ様の神絵を拝見した直後ですから、引きずられるのは当然なのです。
夢見る乙女は皆、現実に斜め上の解釈を加えて萌えを生み出す貴腐人の才能を秘めているのです」
「そうね……
ああそうだ、ゲンスフライシュ商会の少女小説、もう少し殿方同士をいちゃつかせれば、同志が増えるのではないかしら。
下剋上ヒロイン物の二次創作も増えてきているようだし」
「名案です!美形同士のいちゃいちゃが嫌いな女子なんかいませんのです!」




