本当はいたのかもしれない
私はずっと、妃と娘なのに、陛下と疎遠なギネヴィア様やディアドラ様が寂しい思いをされて、おいたわしいってことしか考えていなかった。
でも、陛下とメリッサ夫人だって、結局月に二度くらいしか一緒にいられない。
普段、陛下は、ほんとはメリッサ夫人と過したいのにと思いながら、さらに皇子皇女を得るために、他の妃の相手をしていらっしゃるんだろうか。
そういうお気持ちは、たとえ隠そうとしても隠しきれるものではないだろう。
ギネヴィア様もディアドラ様も、陛下もメリッサ夫人も、ほかのお妃方も、誰も彼も、幸せじゃない。
「……逆に、俺達の結婚が、なんでこんなにすんなり許されたのか、やっとわかった気がする」
「え? どうしてです?」
「気持ちのまま、好きな人と一緒にいることができない辛さを、陛下も……もしかしたらウルリヒ兄上も身に沁みているから、なんじゃないかな」
「あー……」
そうかもしれない。
アルベルト様と私が魔獣襲来で頑張ったからといって、それはそれ&これはこれとばかりに私達を引き裂くことは普通にできたはずだ。
「皇帝には、たくさんの妃を娶って支配することを自分の特権だと捉えられるタイプの方が向いているんだろう。
父上のような。
いや……もしかすると、父上にも添い遂げたいと思う者が本当はいたのかもしれないが」
アルベルト様は、呟くように言う。
その「支配」の結果、アルベルト様のお母様は恋人と引き裂かれ、早くに亡くなってしまったのだ。
なにも言えなくなって、むぎゅっとアルベルト様の手を握った。
「ミナ、俺達は全力で幸せになろう」
ぎゅぎゅぎゅっとアルベルト様は、わざと身体を傾けて、私に体重をのっけてくる。
「そですね。生涯かけて、私の本気をお見せします!」
ぎゅぎゅぎゅぎゅっと押し返すと、アルベルト様は声を立てて笑ってくださり、とりあえずファビアンに手紙でも書いてみようとおっしゃった。
ディアドラ様の小宮殿に戻って、ささっと着替えて晩ご飯だ。
アルベルト様は隣にお住まいだし、予定がなければこちらで一緒にご飯を食べる。
身内だけなので、メイン一皿の軽めの夕食だ。
でも、丁寧に裏ごしされたポロネギのポタージュに、飾り切りした野菜をちりばめたサラダ、あとは何時間もかけて作られたソースをかけた温かいローストビーフと綺麗にカットされた果物と、技巧を凝らしたもの。
お昼とやっぱり色々違うなと内心思いながら、ポタージュを掬う。
どっちが良い、ということではないけれど。
「今日は、どうだったのかしら?」
ディアドラ様は、何気ない風にアルベルト様にお訊ねになった。
アルベルト様は、ちらっと私をご覧になる。
「ひたすら乗馬の特訓をしました。
馬の世話の仕方から、馬具の付け方から。
陛下とあれこれ話して……兄弟としての実感がようやく持てたように思います。
あとは、ファビアンのことを頼まれました」
一言で言えば、めちゃくちゃ楽しかった。
アルベルト様だって、そうだったろう。
でも、アルベルト様は淡々と、妙に他人行儀に答えた。
ギネヴィア様は少し眼を伏せて聞いていらっしゃる。
「ミナ。……あの人はどんな感じの人だったの?」
ディアドラ様は今度は私に振ってきた。
あの人、って言い方はメリッサ夫人ってことだ。
やっぱり、私達がメリッサ夫人と会うことになるって、わかっていらっしゃったのか。
「なんていうか……私の感覚からすると、すごく普通の方?というか……
貴婦人らしくない方、というか」
正直に言えば、メリッサ夫人、かっこいい方だなと思った。
お気の毒な方だな、とも思った。
でも、ディアドラ様の御心を傷つけないようにと思うと、巧く表現できない。
「そう。普通……普通ね」
繰り返しながら、ディアドラ様は注がれたばかりの赤ワインを一息に干した。
「皇宮に来て20年経つのに、『普通』で居続けられるなんてたいしたものだわ」
ディアドラ様は声を荒げたりはしなかった。
表情も、淡く微笑みを浮かべたままだ。
でも、平板な声は、けっして褒めていない。
むしろ、メリッサ夫人は「図々しい女性」だと、ディアドラ様にできる精一杯で毒づいているように聞こえた。
「お母様」
ギネヴィア様が、テーブルの上に投げ出されていたディアドラ様の手をそっと握った。
しっかり眼をあわせる。
仮に、陛下との絆を十分築けなかったとしても、ギネヴィア様がいる。
そう訴えるような強い眼だった。
ディアドラ様が小さく頷き、ギネヴィア様はふわりと微笑まれる。
ギネヴィア様が給仕に視線をやると、給仕はディアドラ様のグラスを下げ、新しいグラスにハーブで香りをつけた炭酸水を注いだ。
ギネヴィア様と私は最初から炭酸水だったけれど、ワインが出ていたアルベルト様もグラスをすっと滑らせ、炭酸水に替えてもらう。
「ま。魅了持ちではないかという噂もあったそうですが。
彼女にそんな力はありません。
魅了持ちだった俺が言うのだから、確かです。
別に、俺やミナが彼女に取り込まれるとかそんなことはありえないので、叔母上、どうかご安心ください」
アルベルト様は、わざと冗談めかしてディアドラ様に頭を下げた。
「そんな心配をしていたわけじゃないけれど」
アルベルト様の物言いに、ディアドラ様は苦笑される。
「ああそうだ。ミナのクッキー、久しぶりにいただいたけれど、もう少し小さく焼けないかしら」
ギネヴィア様が、いつもよりほんの少し明るめの声でおっしゃった。
「あー……小さく焼くことは、すぐできると思いますけれど」
「サクサクしている分、気をつけないとこぼしてしまうでしょう?
一口で食べられる大きさなら、お茶会にも出せるわ」
「でも、お茶会に出すには素朴すぎやしませんか?」
ディアドラ様は首を傾げた。
「確かに、見た目も凝った菓子を自慢される方は多いけれど……
美味しければ、気にしなくていいんじゃないかしら。
帝都ではあまり見かけない、珍しいものだし」
そこから自然に、「お茶会に出してよいお菓子・あまり好ましくないお菓子」の話になって、めちゃくちゃほっとした。