それが龍との契約
文書館は、青銅製のやたら立派な扉が目立つ以外は、飾りがほとんどない、箱みたいな2階建ての建物だった。
中規模の町の神殿くらいあって、思っていたより大きいけれど、窓はみんな小さい。
このへんは、帝都大神殿の書庫と同じく、日光を避けるためなんだろう。
護衛騎士が馬車の扉を開き、まずアルベルト様がひょいと降りて、私とヨハンナを助け下ろす。
ぞろぞろと階段を上がっていると、気配に気づいたのか扉の脇の小窓から人の顔が覗いた。
すぐに扉が内側から開かれる。
すうっとアルベルト様が表情を消した。
中はそこまで大きくないホールだ。
いくつか扉があるけれど、突き当りに入り口と同じように青銅製の扉がある。
右手から大きな本を持った人が一人、左手から2人出てきた。
全員、皇宮共通のお仕着せを着ている従僕だ。
アルベルト様は軽く頷いてみせると、慣れた動きで右手の従僕が差し出したペンを受け取る。
従僕が本を開いて、両腕の上に載せるようにして捧げ持った。
開かれた面は白紙だ。
アルベルト様は、ページの右上に日付を書き入れ、さらさらっと署名をして、私にペンを渡してきた。
私も署名したらいいのかな?
アルベルト様は、嵌めていた手袋を外して、左手から出てきた従僕に渡すと、資料を触る時用の白手袋を受け取って嵌めている。
ヨハンナの方を見ると頷いたので、署名をして、ヨハンナにペンを渡した。
ヨハンナも署名をして、私達も白手袋を借りる。
奥からお仕着せじゃない、文官っぽい格好をした年配の男の人が出てきて、アルベルト様に深々とお辞儀をしたけれど、頭を上げると学院の制服姿のヨハンナと私に「なんぞ?」って顔になる。
とりあえず「怪しい者ではないんです」アピールとして、ちょこんと腰を落とす略式のカーテシーをしておいた。
どういう人かわからないけれど、少なくとも貴族なんだろうし。
「……アルヴィン殿下、本日は?」
「ん。
小一時間ほど、1階と地下を見て回る。
案内はいらないが、『薔薇の間』に茶を用意しておいてくれ」
アルベルト様は、私達のことはまったく説明せずに、文官の脇を進む。
その動きを先回りするように、従僕が扉を開いた。
まるで、視線ひとつ、手振りひとつで人々を自在に従える「皇族」みたいだ。
はにゃーんとしたいつものアルベルト様とは、別人みたい。
もし、この皇族モードなアルベルト様と最初に出会ってたら、好きになるとかそういうことにはならなかったかもって、ちょっと思ってしまった。
だって、エラい人っぽいすぎるもん。
「承りました」
それ以上、どういうことかと聞けなくなった文官はもう一度頭を下げる。
私達もなんとなくへこっと頭を下げて、アルベルト様の後に小走りでくっついていく。
後ろで扉が、静かに閉ざされた。
短い廊下の先には、円形のホールが見えた。
吹き抜けになった上は天窓になっているようで、柔らかい光が差し込んでいる。
廊下を進むにつれて、足が止まってしまった。
ホールの真ん中には、見上げるほど大きな人物像がいくつも並んでいた。
どうやって作ったのか、像は金色の砂粒を固めたように見る。
先頭は、節くれだった木の杖を高々と掲げて歩むエルスタル。
杖は本物の木で、大きな魔石がはめ込まれている。
そのすぐ後ろには、エルスタルの子供である二代皇帝とその兄弟姉妹。
どういうわけか、カイゼリンの像はない。
その後ろに、三代皇帝とその子どもたちの一部が続いて、合わせて十数名の像がエルスタルの像を頂点とした三角形になるように、並んでいる。
大宮殿の取り澄ました感じの大理石の立像と違って、ローブの裾を翻して大股に歩いていたりして、躍動感がある。
よく見ると、どの像も口を開いていた。
みんなで歩きながら叫んでいる、または歌っている──そんな感じの群像だ。
私、これ……知ってる……
繭の中で見た夢。
金色の砂漠。
砂の像達。
理の龍。
空いっぱいに見えた、「意思の力」と「腐蝕の力」が渦巻く大陸。
──光よ、我らを憐れみ給え
──闇よ、我らを憐れみ給え
残響のように、呪歌の最後のフレーズが聴こえてくる。
ああそうだ。
ギネヴィア様とファビアン殿下が呪歌を歌ってた時。
2人しかいないはずなのに、いつのまにか大合唱になってたのは、この人達が降りてきて、一緒に歌っていたんだ。
みんなで歌って、呼びかけることで、皇家は「理の龍」の力を引き出すんだ。
「どしたです?」
ヨハンナが立ち止まった私を振り返る。
アルベルト様が、ヨハンナに、先へ行ってくれと手でホールの向こうを示す。
ホールの向こうには、いくつか開け放たれている扉が見える。
その先が文書を収めた書庫なのだろう。
ヨハンナは軽く頷いて、さささとそちらへ向かった。
アルベルト様は、優しい眼をして、ふにっと私の頬に触れた。
「……覚えてたのか」
「ぼんやりとだけ……
なんか、アルベルト様のこと、連れていこうとしてましたよね」
そうだ、とアルベルト様は頷いた。
「ミナ。死んだら、俺は今度こそあの人達のところに行かないといけない。
でも、生きている間は、俺はミナのものだから。
なるべく長く、じたばたと生き残るから」
ゆるっと、抱き寄せられる。
こてんと、身体を預けた。
「それが龍との契約、ということなんですね……」
ああ、とアルベルト様は頷く。
死んだ後のことなんて、特に考えたことがなかった。
神殿では、死んだら魂は女神フローラのもとに還り、「大いなる命」の一部になるんだって言っているけれど。
そんなことを言われてもよくわかんないし、死んだらそれで終わりなんじゃ?くらいの雑なイメージしかなかった。
でも、アルベルト様が、契約が続く限り金色の砂漠をさすらい続けるのなら、私はその時どこにいるんだろう。
エルスタルの妃達の像はここにはない。
黄金の砂漠でも、見た覚えはない。
像になるのは、あくまでエルスタルの血を引く者だけってことなんだろう。
「死んじゃった後でも、離れ離れになるのは厭です。
私も行ったら、ダメなんですか?」
アルベルト様の背に腕を回して、その胸に顔を埋める。
ずっとずっと先のことのはずなのに、死んだらその後なんてないって思ってたはずなのに、寂しくてたまらない。
うるっとなってしまった眼で見上げると、アルベルト様は弱った顔になった。
「んむむむむむむむ……
やりようは、なくもないかもしれない……が。
どうすればいいか……しばらく考えさせてくれ」
私のほっぺをアルベルト様はつっついて、ふにゃりと笑った。
先に書庫に向かっていたヨハンナに合流する。
さすがに一人で入るのは憚られたようで、入り口で待ってくれていた。
書庫は、天井まである棚が何列も並んでいて、薄暗い。
皇族の名前とナンバリングが刻印された真鍮のプレートを打ち付けた、ちょうど私が抱えられるくらいの大きさの資料箱が、ちゃんと順番に並んでいる。
ナンバリングの数字を見ると抜けがない。
嫁いだり、臣籍降下して皇家の籍からいったん抜けても、亡くなったらここに資料が集められるようだ。
「案外って言ったらなんですけど、整理されてるんですね」
「ここは整理された資料を置いてあるところだからね……
地下の倉庫は酷いことになってる。
建物の建て替えなんかで古い資料が出てくると、皇家に関連があるものが含まれていないかどうかを調べるために、まずここに送りつけられてくるからな……」
アルベルト様は微妙な顔をした。
箱が一つの人もいれば、数十個並んでいる人もいた。
皇族といっても、公務をほとんどしない人がいる一方、魔獣とたくさん戦った人、官位を得て外交や内政に力を尽くした人、魔導研究を頑張った人といろいろいるから、残っている資料の数にムラがあるようだ。
アルベルト様は、せっかくだから、一人分だけ資料箱を開けてみても良いとヨハンナに言った。
ヨハンナは一瞬悩んで、前々からお気に入りの、侍従と謎の変死を遂げた皇子の名を告げた。
アルベルト様はその件は初耳とかで、どういう人?とか言いながら資料箱を探す。
箱は一つだけだったので、そのまま書庫の隅にあるテーブルに移した。
蓋を取ると、見出し付きのフォルダに挟んだ雑多な書類が入っていた。
年ごとに、学院の成績通知書とか公務の記録とかが分類されている。
公務の記録はとにかく、成績通知書まで保存されるんだ。
何十年も経ってから、全然知らない小娘に成績を見られて、「歴史系が残念な人だったんだな…」と思われるとか、皇族、辛すぎない??
「ふおおおおおおお……
推しの生手紙を見られるとは!!」
兄弟姉妹や友人に宛てた手紙とかもあって、ヨハンナは大興奮!
皇子が子供の頃に描いた絵や成長してから描いたデッサン、学院で提出したレポートなんかもあった。
ファビアン殿下に連れてっていただいた例の湖畔を描いた絵とか、かなり巧い。
将来を選べる立場だったら、画家を目指したかもって思うくらいだった。
デッサンの中には、十代なかばの頃に描かれた自画像もあった。
目つきの鋭い、クール系の美少年だ。
当然、ヨハンナは大大大興奮!
アルベルト様と2人がかりで、どうにか落ち着かせた。
アルベルト様がおっしゃるには、若死にしたとはいえここまで資料が少ない皇族は珍しいそう。
本人の日記もないし、侍従が必ずつけることになっている日録もない。
亡くなる前に、処分したのかな……
ヨハンナはなんでか「侍従と情死説」を立ててるけど、そうでなくてもみずからの死を予測するような事情があったのかもしれない。
どんな事情だったのかは、もうわからないかもだけれど。
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