──思い出せ、契約を(メモル・ラ・コントラクトン)
<魔象、野原に入ります!
極大魔法詠唱開始!
オーガも接近中、注意!>
「詠唱開始します」
ヨハンナの声に応えると、ギネヴィア様は眼を伏せて、唇を動かし始めた。
光のフルーレに青と黄色の光がまとわりつき、バチバチと閃光が走りはじめる。
閃光は、ファビアン殿下の長剣にも移る。
こっから180秒、持ちこたえないと!
ギネヴィア様の横から、イービルボア、魔羆に「ライト?」をぶつける。
デ・シーカ先生や近衛騎士達は、魔法陣を出しっぱなしにして、出が速い単体の雷魔法でびしばしと魔獣を削ってる。
地上の敵だけならまだなんとかなる。
けれど、人面鳥がどんどん近くなる。
一度野原の上を大きく旋回した人面鳥の群れから、ブーメランのようなかたちをした淡い緑の光がくるくるっと回転しながらいくつも飛んできた。
風下級、「鎌鼬」だ。
触れたら、すぱっと斬られてしまう。
慌てて防御結界をぶつけて相殺するけど、そっちに気を取られた隙に、魔羆がすぐそばまで来てる。
盾で防ごうとした近衛騎士が後ろに吹き飛ばされて、慌てて「ライト?」を飛ばす。
ヤバいッ
これヤバいッ
空と地上、どっちを見ればいいのかもうわかんない!!
「ベルフォード、お前は熊!」
ファビアン殿下側にいるデ・シーカ先生が叫んだのが聞こえて、ライト?を見える限りの魔羆に7,8発連射する。
でも、倒れた魔羆を踏んで、次の魔羆が何頭も何頭も来る。
頭に血がのぼって、もうわけがわかんない!
ライト、とにかくライトを打たないと!!
優先順位なんてもうつけられなくなって、外れようが他の人とかぶろうがとにかく打ちまくっていると、不意に斜め後ろ──魔導研究所の方から、キイイイイイインと凄い音がした。
ビリビリビリッと空が鳴る。
反射的に振り返ると、回路のように見える光の文様がさっきより強く輝いている。
5つの塔の真ん中、アルベルト様の研究室がある主塔から、塔を彩る文様よりさらにまばゆい、青みがかった光線がびゃーっと天に伸び始めた。
不穏に垂れ込める低い雲を貫いた光線は、不意にかくんと根本近くで90度に折れて、主塔をとりまく火風水土の塔より少し高いくらいの高さで、水平にぐんぐん遺跡の方角へと伸びてゆく。
サーチライトのように真っ直ぐに伸びた光線は、そのままこちら側の上空へ、高さを保ったまま巡ってきた。
魔導研究所に背を向けて詠唱に集中しているギネヴィア様達以外、人も魔獣も、思わず謎の光線を見上げる。
光線は、反射的に首を竦めた私達の頭上はるか上をびゅおんと通り過ぎた。
「なんだあれは!?」
人面鳥が、光線に薙がれると同時に、次々に消し飛んだ。
慌てて躱そうとした者も、一瞬で発火して、炎に包まれて落ちていく。
「あああああッ!?」
このままいったら、本館の上の方に当たっちゃうんじゃ!?
と思った瞬間、本館の手前で光線は折り返し、ぶおんと遺跡の方向に戻るとふっと消えてしまった。
まばゆいほど強く輝いていた回路も、すうっと暗くなってゆく。
残った人面鳥は、本館の近くまで行っていた群れだけ。
私達に向かってきてた群れはほぼ全滅し、低いところを飛んでいて光線に巻き込まれなかった人面鳥数羽に、近衛騎士が氷の矢を当てて終わらせる。
<氷属性矢もっと放て! 正面玄関側に回り込ませるな!>
エドアルド様の指揮で、本館の2階から、十数羽生き残った人面鳥に畳み掛けるように矢が射掛けられてる。
「ベルフォード!! ライト!!」
デ・シーカ先生の叱咤が飛んできて、はっとなる。
まだ呆然と空を見上げている魔羆にライトを打ち込んだ。
人面鳥は、アルベルト様達が倒してくださった。
でも、魔羆はどんどん増えているし、じきにオーガも来る。
<極大魔法発動まで、あと120秒!>
ヨハンナのカウントダウンが伝令石から聞こえる。
まだ120秒もある!?
ていうか、ギネヴィア様の魔法陣はいつ出るんだろう。
考える暇もなく、目についた魔羆にライトを打ち込む。
打ち込んでも打ち込んでも、次から次へと沸いてきて、次第に距離が詰まってくる。
らんらんと輝く凶暴な眼。
鋭い乱杭歯は血まみれ。
まともにくらったら一撃で命が吹き飛ぶ手。
湾曲した短刀のような爪。
怖いなんて思う暇もなく、ライトを打ち続ける。
いつの間にか、まわりはどの方向も魔獣で埋め尽くされてる。
デ・シーカ先生、魔法枠の近衛騎士の人たちと入れ替わるように動きながら、とにかくライトを打つ。
ウラジミール様が雄叫びを上げ、グレイヴで魔羆の首を跳ね飛ばしてる。
一瞬、魔導研究所の周辺に飛竜が何頭も飛びまわり、主塔が雷撃を放って応戦しているのが見えた。
──私は祈る
ギネヴィア様の、普段よりやや高い声が聞こえた。
チェンバロで言うとラの音だ。
──私は祈る
ファビアン殿下が、復唱するように同じ文句を唱える。
オクターブ下のラだ。
一呼吸置いて、
──私達は祈る
二人の声はユニゾンになった。
歌だ。
歌が始まる。
これが、皇家の「呪歌」。
魔羆に殴りつけられた騎士が斃れ、その魔羆の眼を別の騎士の手槍が貫く。
壇の上に飛び上がろうとした魔羆を、ユリアナさんが間一髪、強烈な火球で吹き飛ばす。
──思い出せ、契約を
──彼とその子孫との契約を
──思い出せ、契約を
──彼とその子孫との契約を
瘴気を含んだ黒い血が飛び、人間の鮮やかな紅の血も散る。
魔獣の死体、倒れた騎士で壇の縁が埋まって、動ける範囲がどんどん狭くなってくる。
ぬめる血に足をとられて転んでしまい、慌てて立ち上がって、またライトを打つ。
死闘をよそに、ユニゾンで始まった歌は、ソプラノとテノールが追いかけあいながら2つのフレーズをリズミカルに歌う、美しいカノンとなった。
光の剣を触れ合わせているギネヴィア様とファビアン殿下、ファビアン殿下の片腕にすがりついているヒルデガルト様の姿がぼうっと光り始めた。
「北!! 結界を!!」
不意に隊長さんが叫ぶ。
押し寄せてくる魔羆の群れの向こう、3m近くある黄緑色の肌の巨人、オーガが数十体現れた。
横に大きく広がってどすどすと近づいてくる。
まだ私の間合いの外だ。
オーガはバカでかい手のひらにどす黒い魔法陣を展開し、岩を生成すると次々に大きく振りかぶり始めた。
<極大魔法発動まで、あと45秒!>
ヤバい!!!
「防御結界!!!」
反射的に両手を前に突き出して、ギネヴィア様達の前に、厚くて硬い「結界」を一気に十数枚、ダダダンと張れるだけ張る。
他の人も死にものぐるいで張る。
けど、どんどん投げつけられてくる岩に、あっという間に結界はぱりんぱりんと砕けていく。
張っても張っても、前からも右からも左からも岩が飛んでくる。
砕かれて砕かれて、もう間に合わない!!
あああああ、左から魔羆が壇上に乗り込んできた!!
殴りつけられた騎士が吹き飛ぶ。
あっちからもこっちからも魔羆が上がってきて、騎士達の輪が縮む。
騎士の身体で視線が塞がれ、隙間を探さないと魔法が打てない!
──思い出せ、契約を
──彼とその子孫との契約を
ギネヴィア様とファビアン殿下は、揃いの金色の瞳を真正面に向けたまま、周囲に一切構わず歌い続ける。
お2人しか歌ってないのに、誰も合わせて歌う余裕はないのに、残響のようにバリトンやアルトのパートが聞こえてきた。
数十名、もっとたくさんの人々が大合唱しているようだ。
呪歌のイメージ
Requiem In D Minor, K 626 - 10. Offertorium - Hostias Et Preces(Jordi Savall, 1991)
https://www.youtube.com/watch?v=YgyWoVIaojw&t=111s




