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第10話 痛み

 私は今、エマに強く抱き締められた。この事実が私は信じられなかった。誰かかここまで愛情を私に向けてくれたことなど今までなかった。

 肌から伝わる温もりと艶めいた彼女の髪の匂いには人の優しさ、愛、幸福が詰まっているような気がして、まるで餌を求める雛鳥のように体を寄せて右手をエマの背中に回す。


 美しい森の木々も、草や葉の青い匂いも私の中から通り過ぎていって、胸の中に留まっているのは少女から受ける感情だけだった。

 抱き締め返していると、自然にじんわりと涙が滲んできた。少し腕の力も抜けて来てしまって、右手に握った剣が落ちそうになってしまう。


 冒険者達も私達に構うことはなく、邪魔が入らなかったので温かな静寂が続いていた。ただその静けさはエマの驚嘆した声を持って終了となった。


「──っ!? って、ちょっと奏! あなた……」


「えっ?」


 突然耳元で声を上げられて、私は肩をピクんと上げた。その時に気がついたが、私は何故か右肩しか上がらなかった。

 そして何か痺れるような違和感を感じていた。


 何か重いものでも背負っている感覚に近い謎の刺激に疑問を抱きつつ、私はゆっくりと自分の左肩を覗くように見た。


「肩脱臼してるわよッ!」


 エマに言われてから、数秒経ってから状況を理解した。彼女の言う通り、左肩だけが不自然にだらんと下がっていたのだ。服の上からでも分かるほど肩の骨がズレてしまっている。


 試しに左肩と腕を上げようと力を入れると、鈍い痛みが断続的に襲いかかってきた。

 おそらく私が剣圧で空を飛んだ時に剣を振った負担が肩にかかってしまって外れたのだろう。思うように左腕が制御できなくてなんだかもどかしい。


「あっ、確かに……うん。腕上がらないし、痛いね。外れてたんだ」


「なんで大丈夫なの!? とりあえず酒場に戻って治療しないと!」


 正直痛みはあまり気にならず、むしろエマが心配してくれたことに嬉しさを感じていた。誰かが自分を心配してくれていると確認出来ているようで、無条件に嬉しかった。


 しかしハッと魔獣のことを思い出して、私はエマに魔獣について尋ねた。


「そうだ、もう魔獣は大丈夫なの?」


「えぇ。今は残った小型魔獣を余裕が出来た何人かが狩って、もう群れのボスも倒せたわ。奏のお陰でね」


「そうなの!?」


「あれ見て」


 エマが指差した先には冒険者達が固まっていた。何やら倒れた木の近くに群がってザワザワとしていた。スウェン達も目を丸くして人々の円の中でどよめいていた。


 倒れた木の下を人の隙間から覗いて見てみると、私を襲った魔獣と同じ種のものが息絶えていた。ただその大きさは異様なほど巨大で、それは熊をも凌ぐほどの大きさの獣だった。


 その骸は倒木によって腹が潰れて、大量の腸を地面にぶちまけていた。血溜まりも例えではなく、本当に池と同じぐらいの量が肉の下で溜まっている。

 絶命していると分かってはいても、今にも起きて襲ってきそうな魔獣の気迫の残影で足がすくんでしまった。


「さっき、たぶん奏が何か攻撃でも出したでしょ? その時の暴風で木が倒れて、あの魔獣が下敷きになったの」


 エマの推測に間違いはなかった。私の体があそこまで飛ぶほどの風圧、奇跡的に飛べていたとしても森の中は強風が吹き荒れるのは想像するまでもなかった。


 今回は運良く事が運んだものの、人間が被害を受けなくて本当に良かったと安心した。あまり喜べることでは無いかもしれないが、安堵した反動でポロッと本音が零れてしまう。


「わぁ、私の攻撃が役に立ってたんだ。嬉しいなぁ」


 嬉しさと少々の気恥しさもあって頬が熱くなるのを感じた。感傷に浸っていると、私の身を心配してくれたエマは何人か男達を呼んだ。


「そういう事だから、奏は一足早く戻ってて! 念の為にティーラとラルクに連れてってもらいな」


「わっ! どうしたの奏ちゃん!?」


「はははっ、早くくくく、連れてかないと!」


 ティーラとラルクは私の肩を見た途端、大きく動揺して騒ぎ始めた。エマはその様子を見てため息をついていた。


 私への心配から動揺してくれた彼らに対して申し訳ないが、少しコミカルでおかしな動きをしている2人を見ていて和んでしまった。

 すると急にティーラは私を持ち上げて、大きな腕の中に私の頭から足まですっぽり入れて走り始めた。


「わっ!」


「痛みは大丈夫かい? 平気なら、このまま向かわせてもらうよ」


「はい! お願いしますティーラさん、ラルクさん」


 そう言うと2人は私を気にかけながらも、風を切るように素早く森の中を駆けていった。前髪に当たる風の心地良さとティーラの腕の中で揺れる感覚が楽しくて、思わず笑顔になってしまう。



 つくづく私は幸せ者だなと、この世界は思わせてくれる。世界が私の全てを認めて、優しくしてくれているんだと都合の良い解釈をしたくなってしまう。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 奏を送り出したエマは走り去って行く彼らの姿が見えなくなると、息を吐くと共に笑顔を取り払う。そして重い足を上げて、冒険者達が群がっている方へとゆっくり歩いていく。

 エマが群がりの中で人の少ない所に着くと、隣にいたスウェンが彼女に話しかける。


「奏ちゃん、上手く返したな。エマ嬢」


「怪我人だから当然でしょ。怪我がなかったとしてもすぐ返したけど」


「まぁ、そうだよな」


「だってこんなの、奏に見せられないでしょ……」


 エマは再び目にしたその光景を前に、哀しさと悔しさを押し殺すよう深いため息を付いた。見たくない現実が、執拗に少女へ向かって突き詰めるように押し寄せる。



 森の至る所に飛び散った血の赤しみ、非情にも裂かれて転がされた肉片、辺りに立ち込める吐き気を誘う人の血と臓腑の匂い。凄惨な現場が全てを語っていた。


 森の中にいた大勢の男達が発生した魔獣によって殺されていたのだ。

 腹や喉を裂かれて絶命した者も入れば、四肢をもがれた者、胸や腹を抉られた者、頭部を噛みちぎられた者の死体が至る所に転がっている。

 中には中型魔獣の足で踏み潰された者や原型が無くなるほどまで肉を食い荒らされた者までいた。


 近くの集落の男達だろうか、マタギのような格好をした初老の男から成人したばかりのエマと変わらぬほどの10代半ばの青年まで。一人一人の尊い命が、下卑な獣の仕業によって理不尽に蹂躙されていたのだ。


「彼らは、近くの村の狩人達か?」


「いや、多分だけど違う。普通の農夫達もいるよ」


 残酷過ぎる現場を前に、先程から冒険者達は黙っていることしか出来なかった。彼らが奏とエマの再会を酒場でのように喜べなかった理由もこれだ。

 人の死を見たショックで酒や食い物を吐き戻してしまう冒険者や殺された彼らに対して涙を零す者も少なくはなかった。


 冒険者達が何も出来なかったことを悔いながら現場を見ていると、安全確認をした後に出発した数名の冒険者が近くの村人達を引き連れて戻ってきた。



 村の家屋で避難していた女房達や親の制止を振り切って来た幼い子供までが、出ていった家族を探しにやって来たのだ。


 彼らは到着した途端、無残な姿に変わってしまった家族を見て悲鳴や泣き声を上げ出した。聞くに絶えない悲痛な叫びが血で濡れた森の中で木霊する。

 泣き叫びながら、女子供達は亡骸の前で崩れ落ちて彼らの死を嘆いた。


「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だよお父さん! 死なないでよぉ!!」


「お願い、目を……覚まして。起きて下さいよ、ねぇ」


「なんで、なんでこんなことに……神さま! 悪魔さま! 誰でも良いです。助けて下さい、私の命の代わりに息子を蘇らせて下さい!!」


「嫌ァァァァ! なんで、なんで!! 置いてかないで、私と子供達を置いて逝かないで……」


「お兄ちゃん、どうして逃げてくれなかったのよ! そうすれば、こんなことには──」


 受け入れ難い現実が容赦無く遺族達に牙を剥く。彼らがどれほど嘆いても、悲しんでも、懇願しても、その返事を出す相手は存在しなかった。

 今この場で家族との再会を喜べた者は、悲しいことに1人もいなかった。


「家族を守るために、彼らは戦ったんだね」


「……勇敢な戦士達の魂に、安らぎがあらんことを」


 死んでいった男達は偶然の事故で魔獣に襲われた訳でも、巻き込まれた訳でもなかった。

 彼らは村にいる大切な家族のため、その命を賭して魔獣と戦ったのだ。


 皮肉な事に、彼らがその命を捨てて時間を稼いだことによって、魔獣共は村に行くことのないまま冒険者達によって葬られたのだ。


 勇気と犠牲が生んだ結果、彼らは家族を守り抜き、守られた者達はかけがえの無い人を失った。



 遺族達の泣き喚く声が響く中、エマは歯軋りを立て、震えながら小さな声で怒りに満ちた本音を漏らす。エマは目を悲しむ者達から逸らさないまま、腹から出た言葉を呟いた。


「──いつもそうなんだ。虐げられる者だけが、不幸になっていくのは」


 慈悲を与えない神と弱者に力を貸さない悪魔に対して煮え滾るような怒りを抱きながらも、その場でエマは黙って拳を握っているしかなかった。


 勇者達の亡骸と遺族達の叫びだけがバラキエル森林の中で残っていった。

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