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4話.どたんば危機

 決裁が下りる前に動いちまったのは事実だが、もし決裁してたってオレに押しつけるだろ。時間はないがどうする。考えないといけないな。


 局長室を出る──と、目の前に桃山さんがいた。


 ランチの待ち合わせは、おいなりキッチンのはずだから、ここにいるのは全くの想定外だ。いま会いたくなかったという気持ちと、新たに発生した問題をぶちまけたい気持ちが半分ずつ。

 一瞬迷ったが、彼女には話さないと決め、動揺の波を抑え込む。余計な心配をかけないように、顔に出さないように。


「どうかしましたか?」と鋼鉄製の笑顔を向けてやる。


 笑顔が返ってくる相手じゃない。しかし、震えているのは異常事態だ。


「問題が発生しました」と書類の束が差し出された。一見して数式の山だ。

「ボクには無理ですよ」と書類の束を差し返す。


 やっぱりと言って説明を始めた。


「生産課長から指摘を受けました。このままでは衛星内の水が富栄養化して、生産計画が破綻する可能性があります。富栄養化というのは──木桜くんも赤潮くらいなら分かりますね。プランクトンの異常繁殖と、それによる酸素不足で、魚たちが死んでしまう現象です。それでも、海洋の場合なら、魚は泳いで逃げられます。しかし、同じことが閉鎖環境の水産棟で起きれば、すべての生き物が死滅するかもしれません」


 長い。しかし噛み砕いて説明してくれたので、理解できないことはない。


「赤潮がマズいのは分かります。でも、与える栄養と、穫れる漁獲高はバランスが取れるようになっているんでしょう? どうして、いまさらそんなこと言いだしたんですか?」

「予定外なのは身体洗浄機から出てくるリンです。施設課からデータが提出されたのが昨日だったため、さきほど再計算をして判明したそうです」


 不可抗力とはいえ、気付かなかった自分を責めるように唇を噛んだ。

 リンで赤潮って聞いたことあるような──歴史の教科書に出てくる公害ってやつか。そして原因は洗体機くん。やっぱり藤原は殺しておくべきだった。


「それで、生産課長はなんと言ってるんですか?」

「はっきりするまで温泉計画を凍結しろと指示されました」


 ──ん? サラッと言ったが、ちょっと待て。その文脈で“凍結”って、事実上の中止じゃないか! 報道事故に続く、致命的な問題の発生に、頭がカッとなる。つい力が入り、肩をつかんで強く揺さぶった。


「そんなの認められません! だって、ボクたちの成果がゼロになるんですよ! それで平気なんですか!?」

「そんなわけありません! 終わりにするなんて絶対にイヤです!」


 みるみる目に涙がたまる。

 3年間一緒に仕事をしてきて、初めて見る涙。叩きつけるような大声。誰よりも冷静なヒトが冷静さを失う姿を見て、我に返った。立て直す。


「ちょ、ちょっと桃山さんらしくありませんよ。そんなに泣かないでください」

「あなたのせいです!」


 流れる涙を拭おうともしない。


「ごめんなさい。強く言いすぎましたね。責めてるわけじゃありませんから」

「違います……そうじゃありません……」

「あ、こっちですね。乱暴な振る舞いをして申し訳ありません」


 書類を抱きかかえる身体から手を離して、白衣に残ったシワを直してやる。

 肩に指が触れると顔を上げた。視線が絡む。

 透き通ったオオカミの目付き。何か訴えようとしている。

 小さく開けた口。あえぐように息を吸い込んだ。


「好きなんです!」空気が震えた。「あのときから木桜くんのことが!」


 え。


 聞き間違いか?

 あのときって、どのときからだ。

 いや、そこじゃない。

 なんで急に好きとか言いだした。

 前振りのない告白に困惑する。


「木桜くんが二人でするって言ったんですよ! 私は無理って断ったのに! 外に出て、月を見て、二人とも必要って! 言ってくれたから!」


 何を言っているのか、よく分からない。

 外で月を見たって、船外服で外に出たときのことか。

 それなら3年前のことだ。

 オレが言ったというセリフだって身に覚えがない。

 けれど──。

 目の前であふれてる涙と感情は、きっと本物だ。

 ダムに貯めこんでいた3年分が、一気に決壊したんだろう。


「それなのに! ぜんぶ無駄だったなんて、絶対にイヤです!」


 強く激しく、かぶりを振る。

 分かった──もう、分かったと言うしかないよ。

 泣きわめく桃山柚子、悲鳴をあげるオオカミなんて、反則だ。

 こんなの聞かされたら、黙ってられないじゃないか。


「つまり、ボクに助けてほしいんですね」


 数字がこのヒトを困らせている。

 子供のように泣かせている。

 数字を出すまでは、理系の仕事だ。

 グラフが示すもの、統計が示すもの。

 このヒトは結論だと信じているが、それは違う。

 出た数字をどう扱うかは、実は文系の仕事だ。

 数字が示した真実と、人が信じる真実は、違う。

 同じ数字から真逆の答えを導くこともできる。

 それは言葉の力だ。


「大丈夫。ボクに任せてください」


 *


 会議室には、どうしても手が離せない十数人を除いて、ほぼ全員が集まった。

 狭い衛星のこと、温泉計画のトラブルはあっという間に広まったし、職員の多くは大なり小なり関わってきたから気が気でない。まだかまだかと待ちわびたうえ、タイムリミット直前になってしまった最終プレゼンに、興味を持つなという方が無理だろう。幹部連中には椅子があてがわれたが、その他諸々は立ち見となり、後ろの方はぎゅうぎゅう詰めになっていた。


 自信あり、とは言えない。


 今日この段階になっても、桃山さんは最後の試作を繰り返している。完成の一報を待ちたかったが、これ以上引っ張るのは困難だ。進行役に向かってうなずき、開始を告げてもらった。


 しんと静まる。


「お時間のないなか、ここにお集まりいただいたのは、皆様に重大な発表があるからです。諸事情から、今までお伝えしていなかったことを、心よりお詫び申し上げます」


 いったん横に外して、十秒きっちり頭を下げた。本気で謝るつもりなどないが、これは様式美というものだ。


「低重力ブロックの新規設備を、通称で温泉と呼んでいたのは、カモフラージュのためでした。真実の姿は、衛星の拡大発展を目指した秘密計画です。『敵を欺くにはまず味方から』と申しますが、これまで3年間、隠していたことについて、何卒ご理解くださいますようお願いいたします」

「なんだってー」

「知らなかったー」


 仕込んでおいた藤原たちが、棒読みで応じてくれる。いまさら秘密計画などという、誰も信じない旗を立てるのだから、わざとらしいくらいがちょうどいい。


「ただし、建前はこれまで通りだと確認しておきます。先日の娯楽施設という報道は誤報でした。いいですね。いわゆる岩石風呂、正式には『中温水産予備施設』ですが、これは栄養塩を回収する施設。宇宙風呂は『低重力貯湯槽』です」

「じゃあ温泉として使えないんですかー?」

「いずれも施設見学は可能です。また、現場を体験していただく分には制限を設けません──ということで、ご理解ください」

「けっきょく温泉じゃないか」

「いいえ、中温水産予備施設と低重力貯湯槽です」

「総務はそれでいけるのか?」


 局長が口をはさむ。


「若干の書類改ざんですね」

「頼むぞ。予算の整合性に気をつけてな」


 総務は恨めしい顔をしたが、しょせんは建前の話だ。そいういうものだと口裏さえ合えば問題ない。


「もう一つ謝らなければいけないことがあります。XWS-1、通称『洗体機くん初号機』を体験された方は、おそらく真実にお気付きでしょう。これは閉鎖環境で起こりうる人間のストレス──つまり三大欲求の解消に、正面から向き合うものです」

「やっぱエロいやつだ」

「エロくない!」


 演台をドンと叩いて威嚇する。


「ただし、われわれ閉鎖生態試験場は、あえてタブーを恐れません。今後、人類が宇宙に出ていく限り、これは絶対に避けられない問題です。いや、すでに現実の問題として発生しています。これは、月面の各基地や、他国の衛星から密かに集めたデータですが、横軸は年度、縦軸は発生した事故の件数──何の事故かはお察しください」


 デリケートな問題だけに、あえて口を突っ込んで危ない橋を渡ろうとするヒトはいない。右肩上がりのグラフも、だいたい想像していた通りなのだろう。もしここで起きたら責任問題だと、管理職連中には深刻な表情が浮かぶ。

 しばし全員で“着船事故の年度別推移”を見つめた。

 オレは、お察しくださいと言っただけで、嘘はついていない。勘違いしたやつが悪いのだ。


「このような状況を踏まえ、宙域特有のストレスに対する、一種の療養施設として利用を開始します。また、いただいた意見を反映し、すべて個室にしたうえ防音工事も施しました。よって、多少は声を出しても大丈夫です。なお、匿名の利用者から『これなら金に糸目はつけず通っちゃいますね』と感想を賜りましたので付け加えておきます」

「総務の意見は?」

「公には洗浄減菌装置のままでいいでしょう。むしろ突っ込みたくありません」


 洗体機くん問題に責任を感じていた施設課長は、話が終わったとみて露骨にホッとしている。一方で、生産課長は渋い顔だ。


「リンの問題が解決してないじゃないか」

「私は先ほど、三大欲求の解消と申し上げましたが──」


 まず生産課長に向かい、それから会場に微笑んでみせる。


「──水に溶けた過剰なリンは、毒として取り除くのではなく、肥料として使ってしまいましょう。水の中にいる植物を大きく育て、美味しく食べてしまえばいい。つまり富栄養化は、食欲で解決できるのです。まず、論より証拠。実物を味わっていただきましょう。答えは水産棟にありました」


 研究室にあったものを取り合わせて、素朴な割烹着スタイルを真似た桃山さんが、お盆に汁椀を乗せて入ってくる。間に合ってよかった。


 事前に演出をつけたのは確かだ。いつもの白衣に加え、三角巾を頭に巻くこと。笑顔じゃなくていいから、決してにらんだりしないこと。香りが立つから、お化粧はしない。眼鏡もしない。転ばないように床を見て。それだけでいい。十分に清潔で、誰より美しいから。

 そう言ってやったが、言ったオレでさえ、目をみはった。

 たぶん、演出で変わったのではない。きっと、変わったのは中身の方だ。心につけていた鎧がなくなっている。ただよう空気が優しい。言い換えると、ここ数日で急にキレイになった。

 局長以下、幹部の前にお椀を置いていくのを眺める。細い腕が白衣からのぞいていた。


「どうぞ味見してください」


 コンブで出汁をとったすまし汁に、イモデンプンで作った葛きりを浮かべた。言ってしまえば、ただそれだけのものだ。しかし、これが出回らなかった理由には、深い闇がある。


「ああ、これ懐かしい味だよね」

「こういうのは日本って感じがしますなあ」

「これコンブだよな? 今回はじめて作ったのか?」

「いいえ、水産棟に以前からあったそうですよ」

「じゃあ、なんで出してないんだ?」

「とある人の心ない一言──それも非常に下らない理由で、ずっと封印されていたようです」

「なんだそれは」

「今となっては、それがコンブそのものに対する悪口だったのか、作った人を貶めようとしたのか、私には分かりません。しかし、結果として世に出ることなく、ただただ埋もれていました。今回、水に溶けたリンを回収する海藻として再発見されましたが──」誰が言ったかは分かっている。そちらを、まっすぐ見つめた。「ほとんど犯罪に近い行為だと思いますよ」


 会議室の視線が、その男、セクハラ次長に集中する。

 大人げないことだが、復讐だけはしてやりたかった。しかし、それもやつの顔を真っ赤にさせただけで十分だ。これ以上は相手にするのもバカらしい。


「まあ、あくまでも私の所感です」自分の発言だと強調しておく。「それでも、水産棟では大事に育てていました。この判断は正解だったと思います。実際いま役に立つときが来ました。しかもコンブが豊富に持つグルタミン酸は有効な旨味調味料です。用途は和食に限りません。中華や洋食にも使えます。宙域はカロリーを賄うのがやっとで、旨味に着目している国は少ないのが現状ですから、これは逆にチャンスでしょう。あえて食で切り拓くのは、われわれ日本らしいと思いますよ」


 一気に話した。


「それは分かったからオレたちにも寄越せ」柳葉が手を出して要求する。

「温泉──じゃない、施設が稼働したら、作り放題食べ放題だから少し待て」


 さすがに全員分は用意できなかったが、逆に飢餓感から興味が湧いている。良い効果になった。

 グルメを自認する局長は、ことのほかコンブ出汁が気に入ったようだ。


「要するに食をテコに拡大路線でいくということだな」

「違いますよ、局長」藤原がまぜっ返す。「欲望のワンダーランドです」

「バカ! 違っ……!」


 否定しようとして、思い直す。


「いや──違わないな。その通りです。表向きは、あくまでも研究施設。しかし、風呂に入って、美味い飯を食って、心身ともに癒やされる。そういう場所だと、きっと口コミで広がります。いや、そういう施設を目指しましょう。それが農業衛星3号オオゲツ──改め、大月温泉(おおつきおんせん)の秘密計画です」


 ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。

 勢い込んだ施設課長が挙手する。


「温泉、いや施設はアレでいいとして、食を提供する場所はどうする」

「ココですよ」床を指差した。「会議なんて、()()()()()()()が閉店している時間にやればいいでしょう」


 局長が立ち上がって手をパンパンと叩く。


「よし。今から農水省も環境省もなく全員でやるぞ。特に木桜と桃山をバカにしてたやつ。自分が彼ら以下だと証明したくなければ、必死にやれ。期限は明日いっぱい。分かったな!」

「へーい」


 初めに動き出した施設課の、返事は軽いが、動きも軽い。悪ノリばかりしている連中だが、こいつらも腕に覚えの職人なのだ。いったん仕事を始めれば、ミッションをクリアするまで働き続けるだけの矜持がある。

 総務は書類の改ざん、生産課は再計算で裏を取る仕事だ。声を掛け合いながら出ていき、あっという間に会議室は空になった。


 おそらく、職員の半分くらいは納得していないだろう。すべて分かったうえで、ノッてくれただけだ。それでも安心して力が抜けた。フラッと倒れ込みそうになる。桃山さんが駆け寄ってくれた。


 笑顔で見つめ合う。


「柚子さん」

「はい」


 そこに、いったん会議室を出ていた局長が戻ってきた。


「局長室前も、ココも、カメラは録画されてるからな? 事故はやめろよ?」

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