3話.なかよし二人
「今日ご紹介した岩石風呂の他に、まだ非公開の秘密風呂もありますよー! 公式オープンは両方とも一週間後ですって! 月宙域で初めての温泉! ぜひ入りに来てくださいね!」
《本当に楽しみですね! それでは次のスポットに~》
「きゃぴっと!」
レポーターは手でハートを作ったまま静止した。貼り付いた笑顔。
「……はいカット!」
「どうもお疲れさまでした!」
ねぎらうつもりで声をかける。しかし、レポーターは視線を合わせようともしない。それどころか怒った表情になり、いきなり口調も変わった。
「はいはい、どーもねー。まったくさ、わざわざ来てやったのに、風呂に入れないなんて、どうなってんのよ! ねぇマネージャー? んで次どこだっけー?」
きゃぴたるTVの中継クルーがドヤドヤと去っていく。
「ちっ!」
見えなくなったところで思わず舌打ちした。情報番組の生中継が入ってくれたのは棚ボタだ。温泉の宣伝になるからありがたいけど何だありゃ。人気のタレントらしいが、あんな嫌味な奴より桃山さんの方がよっぽどマシだよ。良くも悪くもウラオモテがないからな。
それでも、とにかく一つ終わったが──さて、次も厄介ものだよ。
・狭小スペース】これで解決! 洗い場問題!【パイプ詰まり
・施設課が総力をあげて開発した全自動身体洗浄機XWS-1
・通称「洗体機くん初号機」で夢の洗い心地を試しませんか?
藤原が持ってきたバカなチラシを丸めて尻ポケットに突っ込む。
スペースの都合で洗い場がないし、空調配管に洗剤は流せないから、こういう機械が必要なのは確かだ。しかし、衛星内の女性陣に片っ端から試してもらったあげく総スカンを食い、この時期になっても完成していない。オフレコという条件で聞き出した話を総合すると「夢の洗い心地」だから絶対ダメだという。
あんのバカども、余計な機能をつけやがって。
「お待たせしました」
はあ……。孤高のオオカミをこんなことに使いたくないんだがな。
「いえ、ぜんぜん待ってませんよ。さっきまでTVの中継が入っていたので、ちょうど入れ替わりです。もう、頼めるのは桃山さんしかいなくって──。お忙しいところ本当に申し訳ありません」
「木桜くんの役に立てるなら構いません」
「そう言っていただけると助かります。使い方は機械の上にあるシートに書いてあるそうです。そこの鍵は閉められますが仮設です。いちおうボクが見張ってますから、桃山さんのペースでゆっくりどうぞ」
「分かりました」
真顔で手を振り、引き戸の向こうに消えた。
いつからか、オレや一部のプロジェクト関係者には、手を振るなどという「余分な動き」を見せるようになった。ところが、笑顔を伴わないから、あいかわらず怖がられている。あれが精一杯なんだから理解してやればいいのに。
しかし、そのへんを抜きにしても、いま桃山さんの立場は弱い。
実証機構は実業が目的だから、売上や利益といった結果が重視される。そのなかで、どうしてもコストが高くなる水産部門はお荷物扱いだ。
農産部門は育てた植物を、そのまま売る。
水産部門は育てた植物をエサにして、小エビなんかを育ててから売る。
ワンクッション置く分だけ一段高になるのは当たり前だ。そんなのは初めから分かってることで、彼女に文句つけるのは筋違いだろう。
広報の取材で農水省サイドに顔を出すたび「おまえ桃山とよくやるな」なんて言われるのも気に入らない。
そりゃあ? オレだって、初めからうまく付き合えたわけじゃないさ。むしろボコボコにされてきた。それでも、道化を演じても、何年かけてでも、桃山さんを大事にするのは、尊敬できるところがたくさんあるからじゃないか。
それなのに、ひたむきな真面目さを融通が効かない、真剣な表情を冷たい顔、口数が少ないのを愛想がないって、そんな言い換えして誰が得するんだ──まあ実際には誰かが得するんだろう。
いずれにしろ、彼女の立場を悪くさせる難癖には、そこはかとない悪意があるのを感じる。きっと、やつら自身が競争相手だからなんだろうな。少し立ててやれば自分の仕事だって早いのに、なんでそれをしないんだ。
煙草に火をつける。
別に推奨されてるわけじゃないが、農業衛星は二酸化炭素を出し放題ってのがいい。ちょうど窓の外に、月面カタパルトから来た定期船がいる。煙草に口うるさい月に異動なんてなったらやってけないだろうなオレ。
無人貨物船にイオンスラスターの火が灯っている。
積んできたのは月面で出たゴミ。ほとんどが有機廃棄物。つまりトイレから出たやつ。生産の連中には原料にしか見えないんだろうが、やっぱり慣れないな。
それにしても、1号トヨウケ以下、ウケモチ、オオゲツって衛星名は絶対おかしいよ。記紀神話に出てくる食物神だといっても生々しすぎる。つか自分のふん尿から食い物を生むなよ、女神のくせに。
広報としちゃ「この命名はウンコで食物を作るからですか」と聞かれるたびに、否定すりゃいいのか、肯定すりゃいいのか、本当に困ってるんだよ。文字通りくそくらえってか。どこかのタイミングで、これも何とかしないとな。
煙草の火を灰皿に押しつける。
それより、今は桃山さんだよ。
もしかして、手を振ったりするのは、良い傾向じゃないのかもしれないな。孤高の一匹オオカミが魅力だったのに、愛玩犬のように尻尾を振る──なんて考えると、よっぽど立場が悪くなってるんじゃないのか。かといって、手伝ってあげようにも水産のことはさっぱり分からないしな。
とりあえず、オレにできるのは目先の温泉だ。彼女にとっては、自分が反対してた計画なのに、そのあとは愚痴一つこぼさないで、一生懸命がんばったんだ。それも、あと一週間で終わる。絶対に成功させてやらないとな。
カラッと引き戸が開き、桃山さんが出てきた。
耳まで真っ赤にして、頭から湯気が出そうだ。眼鏡を外しているからか、歩こうとした瞬間に足運びが崩れて、クラっと倒れそうになる。軽く腕を支えてあげると、あたりに石けんの香りが漂った。
「お帰りなさい。どうでした?」
いつものような歯切れのよい返事はなく、ただうつむいた。
「何か不具合でもありましたか?」
「その……たぶん機械を汚してしまいました」
ああ、これが「夢の洗い心地」の正体か。何があったのか容易に想像がつく。
「気持ちよかったでしょう」
「……」オオカミの目を向けてくるが、今日は迫力不足だ。
「キレイに洗われて」
「……」またうつむいた。
「まあ、何が起ころうと全ては機械のせいです。施設課を叱っておきますよ」
グッジョブ藤原。オレはおまえの仕事を誤解していたよ。これはアリだ。オレが徹夜して広報謹製の特製チラシを作ってやるから明日まで待ってろよ。いや、それだけじゃない。この温泉がオープンして時間ができたら、オレが持つ映像技術の粋を集めて「洗体機くん初号機」のプロモーション・ビデオを作ってやるぞ。
「また考え事ですか」
不埒な考えを見透かされたのかと焦ったが、視線の先にあるのは煙草の吸殻だ。明確にやめろと主張はしてこないが、これ見よがしに禁煙情報など送ってくるから、考え事に必要なアイテムなのだと説明したことがある。さっき何を考えていたか天井を見ながら思い出し、正直に答える。
「主に桃山さんのことを考えていました」
「いったん研究室に帰ります」
オレの答えなど聞いていないように、もう振り返って歩きだしている。白衣がふわりふわりと揺れる。こっちも午前の仕事は終わりだから、後ろ姿を追いかけた。
それにしても、せっかく風呂上がりなのに色気がないねぇ。いちおう温泉を名乗るんだから、ここにも浴衣なんかを用意したほうが良いのかもしれないな。
《ピンポンパンポン、広報の木桜さん、木桜さん、至急局長室にお越しください》
呼び出し放送がかかった。アナウンスの後ろで(大至急だ!)と大声を上げる局長の声が聞こえる。こんな衛星内じゃ、至急を大至急にしたところで1分と変わらない。それなのに、前を行っていた桃山さんまで立ち止まり、早く行けとオレの腕をグイグイ引っ張る。まったく真面目なんだから。
プルルルル
桃山さんにも内線電話が入った。タイミングの良さに顔を見合わせる。さらに小首をかしげるという余分な動きまでみせた。不思議だねーという意味だろう。
「はい、桃山です……ええ、はい分かりました」
電話を白衣に突っ込むと、タッタッと飛ぶように走り出した。こっちはゆっくり行くつもりだったが、しかたなく並んで走る。
「どうしました?」
「私は生産課長から呼び出されました」
「まったく昼飯時だってのに──。そうだ、終わったあと二人で一緒にランチしましょうか」
「そうですね」
「では先に終わって、おいなりキッチンに着いたほうが席取り係で」
「分かりました」
別れ道に来ると、真顔で手を振り飛び去っていった。あ~あ、どうせ大した用件じゃないのに本気で走ってるよ。あとで待たせちゃ悪いからオレもいそぐか。
局長室へ向かいながら、ランチの話題を考える。
さっきのタレントの──は、ダメだな。どうしても悪口になっちまう。桃山さんは他人の悪口が嫌いだからな。もうちょっと明るいやつ。
考えながら、空中で腕を振り回し顔を叩く。体温を上げ顔を赤くして、いそいで走ってきました感を演出だ。
「よお! 何やらかしたんだ!」
呼び出し放送を聞いていたのだろう。通路の端で休憩してる一団が冷やかしてくる。いったん通過したが、思い直して戻った。そうそう、こういうのが欲しかったんだよ。柳葉が持っていたドリンクボトルを奪い、中の水を自分の顔に叩きつける。汗の演出、よし。ボトルを投げ返す。
で、話題だ。しつこく洗体機くんの話をしたら怒るだろうし──ああ、そうだ。浴衣のことを話してみよう。本人が着ること自体には興味なくても、温泉らしさに必要だといって「おさかな柄と花柄のどちらが良いでしょう」と聞けば、きっと真剣に考えてくれるぞ。それで、何を選んでも絵にしてもらおう。きっとかわいいのを描く。うん、よしそれでいこう。ランチが楽しみだ──。
トントントン
「木桜です! 入ります!」
「おそい!」
どうした、すごい剣幕だな?
わざとバンっと音を立ててドアを開ける。
「はぁ、はぁ……お待たせ、しました!」
「すわれ!」
指で示された場所に腰を下ろす──が、局長は黙っている。なんだよ、いそいで来いと言ったくせに。オレの演出も無視されてる感じ?
というか、その深刻ぶったポーズはなに? 局長も演出ですか?
「まず、はじめに聞きたい。さっきのTV中継は誰の指示で、誰の許可を得てやったんだ?」
「は? ええと、決裁書は提出してあります」
「提出した? それで決裁は下りたか?」
「──いえ。ただですね、なにしろ急な話だったものでして、時間がな」
「下りていないんだな?」
「──はい」
「責任の所在は明確だな。つまり、これは木桜の単独行動だ」
そう言われてしまえば反論のしようもない。黙って次の言葉を待つしかないが、責任問題を出してきたからには、書類上の不備という話じゃないだろう。
顔につけた水が、ツッと流れていく。
「本省からクレームが来た。正確には──中継を見ていた視聴者から、本省にクレームが殺到しているそうだ。多くは、税金を使って宇宙に温泉なんぞ作るとはケシカランという批判だ」
そりゃそうだ。だからオレは賛成してないし、桃山さんは反対した。
「不服そうだな、顔に出てるぞ。ただ、勘違いするな。アレを作れと指示したのは間違いないし、本省も承知のことだ。もちろん予算も通っている」
片方だけ眉を上げて、じゃあ何が悪いのかと表情で問う。
「問題は、我が省の大事な研究施設が、単なる娯楽施設として報道されてしまったことだ。予算上、アレは閉鎖生態試験場に付属した『低重力貯湯槽』なんだぞ。知ってるか?」
そんなアクロバティックな予算マジックなど知らん! むしろ、そっちの方が公開できない闇だろ!
「そういうわけで、本省から何とかしろという指示がきている。これに対応すべきなのは原因をつくった木桜でいいな? だから何とかしろ、キミの責任で。おそらく、今後の人生がかかってるぞ」
「また『何とかしろ』の丸投げですか?」
批判したつもりだが、意外なことに局長は微笑した。
「事故みたいなものだと同情はしている。必要ならバックアップもしてやる。ただし、対応期限はオープン前日まで──あと6日だな。話は以上だ」