2話.うかべる風呂
農林水産省「宇宙農産実証機構」と環境省「閉鎖生態試験場」の定例会議は、毎週火曜日に開かれる。一つの衛星に同居して、使う資源も同じなんだから、やっていることに大きな違いはない。けれど、実業として食物生産に取り組んでいる農水省と、研究成果を地球再生にフィードバックしようとする環境省には、対抗意識のようなものがあるから、多少なりともすり合わせをしておきたいわけだ。
もっとも、ケンカになるほど先鋭的な対立があるわけではない。だから、たいていの会議は緊急性のない申し送り事項の伝達で終了する──はずなのに、今日は最後にちょっとした大物が登場した。
「二十六号の配管でワサビが発見されました。勝手な栽培は控えてください」
参加者がざわめく。手のひらサイズに育った見事なワサビが、透明コンテナに入った状態で晒しものにされた。あそこまで大きくするのに2年くらいかかっているだろう。誰にも見つからず、しかも宙域でそれを実現した裏には、たいへんな苦労があったはずだ。
(どっちの人よ、あんなの育てたのは)
(そう言えば源さんの実家は蕎麦屋じゃなかったか)
(環境省じゃ無理だろう。あれはウチの誰かが仕上げた仕事だね)
非難とも称賛ともつかないヒソヒソ話が会議室に広がる。それだけに、進行役の施設課長がワサビをコンテナからつまみだした瞬間には、次に何が起こるか想像して(ヒッ……)と息を呑む声が聞こえた。
ガンっと叩きつけるように、リサイクルポストに投げ込まれる。
「それでは定例会議を終了します」
とっとと会議室を出る施設課長に続いて、参加者たちが意気消沈した様子で出ていく。ルール違反とはいえ、素晴らしい成果物が目の前で捨てられたことにショックを受けたんだろう。ほぼ全員が落ち込んでるから、これじゃ誰がワサビ栽培の犯人か分からない。
地上ではドライな研究者だったはずなのに、宇宙で暮らしているうちに、すっかりウェットになってるってことだ。もちろんオレだって同情はするけど、そこまでじゃないね。ワサビはワサビ、オレはオレだ。
「さて、やりましょうか」
オレら二人は、定例会議のあとに温泉会議をしなきゃならない。彼女も、専門が水産系だからか、ショックを受けていないように見える。もっとも、表情にでないから、本当はワサビについてどう考えてるか不明だ。ついでにいえば、席を移動する気配もない。しかたなく、農水省側のデスクに歩み寄った。
「用意はしてきました」
「それでは、レディーファーストで桃山さんからどうぞ」
「分かりました」
素直に準備を始めてくれる。
何回か二人会議をしてきて思うのは、時候の挨拶やら面倒な前置きが要らないのは助かるってことだ。サクッと本題に入って、簡潔に終わる会議は気持ちいい。毎週のコレが、楽しみになってきたとさえ密かに思う。
しかも、今回は「どういう温泉をつくるか」という“宿題”をやってくることになっている。彼女がどういうものを持ってきたか、それをどう表現するか、はっきりいって興味津々だ。
なぜなら、内容もさることながら、どうひっくり返してやるかの方が、今日の大きなテーマだからだ。出足は順調。まず、彼女の案を聞いてやる。次にオレが有利な後攻でプレゼンする。そして、完膚なきまでに叩き潰して──主導権を奪い取る。今日は勝負だぜ。
「まず、改めて温泉の定義を考えました。我が国の法によれば『地中から湧出する温水、鉱水』とあり、衛星内の温水は天然温泉と呼ぶことはできません」
そこからかよ。
「しかしながら、人工温泉の存在は一部で認められており、加水加温の有無や、入浴剤の使用を明記すれば、当衛星に施設を作ることは可能です」
それは大前提だろうな。
「そこで『人は何をもって温泉とみなすのか』について、仮説と検証を行いました。こちらの写真Aは北海道のある旅館にある露天風呂、Bは一般的な家庭の浴槽です。当衛星の実証機構職員236人に対して『どちらが温泉か』を尋ね、84人から回答を得ました。有効回答率は35.59%です」
人望ねえな。3人中2人から無視されてんぞ。
「結果はAが78人、Bが1人、どちらとも言えないが5人で、92.86%が旅館の露天風呂を支持しました。重要なことは、湯水の質を問わなかったにも関わらず、外見的要素のみで温泉とみなす人が圧倒的だったことです」
逆にBを選んだひねくれ者をココに連れてこい。
「よって、地上にある露天風呂の外観を再現すべきだという結論を得ました。植物は実証機構の栽培物が使えます。また、石材については月面から運搬しますが、月のレゴリスは針状細粒であり、裸足で使う場所には危険ですので、一定期間は水産棟で人工的に風化させる必要があると思われます。完成予想図はこちらです」
手描きの予想図を見た瞬間、あやうく吹き出しそうになった。岩風呂の周りにカラフルな草花が添えてあって、絵としてはかわいい。だが、それは小学生が描く「わたしの考えた温泉」だろう。彼女の冷たいイメージと違いすぎて、ちょっとギャップ萌えする。
「以上となります」
パチパチパチパチ。いちおう礼儀として拍手してやろう。
しかし、これはプレゼンじゃなく──論文発表会ってノリだな。さらに筋の悪いことに、思い込みで結論ありきの仮説を立て、言わずもがなの数字をつけて補強しただけだ。温泉といえばコレでしょというチープな案でしかない。
これは完全に勝ったな。
ゆっくりと立ち上がり壁面ディスプレイに向かって歩く。
「素晴らしい案でした。法的な側面や、温泉の定義が明確化されていますね。また、材料選定まで踏み込んだのは、実現性の面で素晴らしかったと思います」
まず誉めておく。
一拍おいて、パチンと照明を消した。ここからオレのターンだという演出だ。
「しかし、一つだけ残念なことがあります。それは──ラグランジュ1に浮かぶ衛星という好立地を活かせない点です。もしかして、それはデメリットだと思っていませんか? いいえ、実はメリットなのです」
3日徹夜で用意した、渾身のプレゼン映像をスタートさせる。
「そう! 宇宙温泉ならね!」
ババーンとファンファーレが鳴る。暗い画面のまま軽快なBGMが始まった。たっぷり2小節そのまま聴かせる。期待と我慢の限界値を迎えるところで、イメージカットフェーズ。意図的に笑顔の人々を多く挿入してある。
彼女は黙って見ている。
学生の頃から、過去の名プレゼンを見て研究してきた。20世紀に行われたヒットラーのベルリン演説あたりからは、映像資料が残っているものも多い。
結果として得たものは大きく二つだ。一つは数字なんかより映像や音のほうが説得に効果的なこと。もう一つは内容より演者の魅力が大事なこと──そして、残念ながらオレは後者を持っていないということだ。
プレゼン映像の方は宇宙温泉の魅力について解説している。
彼女は黙って見ている。
学業そっちのけで、セルフ・プロデュースにはまったこともある。多少はマシになったが、個人の魅力でトップクラスになるのは無理だった。
しかし、本人の魅力が劣るという弱点を受け入れてしまえば改善は可能だ──本人を隠し通せばいい。いつしか、オレのプレゼンは映像作品になった。単なるスライドショーなどとは違い、映画として通用する立体CGまで入れた本格派だ。
プレゼン映像はクライマックスに入った。宇宙に浮かぶ総ガラスの浴槽から、地球と月を眺める名シーンだ。BGMは「ムーン・リバー」を選択した。
彼女は黙って見ているが、顔が紅潮しているようだ。おそらくは敗北感に打ちひしがれ、自分への怒りさえ感じているだろう。ちまちまとアンケートを取っている一週間で、オレはこれだけの作品を仕上げてしまったのだからな。しょせんキミの論文発表会とはレベルが違うってことが分かったか、お嬢さん。
ジャン♪とプレゼン映像が終わった。
彼女にしては珍しく、戸惑いのニュアンスがのぞく。
「……こういうのは初めてです」
うんうん、そうだろう。ここからさらにおまえの案を叩いてやるぜ。
「私には無理です。失礼します」
席を立ち、そのまま回れ右して帰ろうとするので、あわててさえぎった。
「いやいや、どうしたんですか。続けましょうよ」
「木桜くんは本気だと思いますが、私はご期待に沿えません」
逃げ出そうとするので手を捕まえると、ビクッとしてうつむいてしまった。
こりゃ参ったな。プレゼンの差が歴然としすぎて萎縮させたか? 確かに大人げなく実力をみせてしまったが、それを「ついていけないほど温泉計画に本気」と受け取ったのかもしれない。
しかし、今日のテーマは主導権を奪い取ることだ。せっかく勝負に勝ちつつあるんだから、いまさら後に引けない。こいつの岩風呂案をフォローしてやるより、宇宙風呂で押し切ろう。
「では、今日はこのくらいにしましょう──。そのかわり、現場確認と気分転換を兼ねて、ちょっと衛星の“外”に出てみませんか?」
「なんですか突然」
「現場百ぺんというでしょう。温泉作りのフィールドワークですよ。別に今日のプレゼンで決まりというわけじゃないし、お互いに良い考えが浮かぶかもしれませんよ。それに外から見る地球は格別じゃないですか」
「地球なら窓から見えます」
「だって窓ごしじゃ、宇宙を実感できないでしょ? 外に出たときに感じる、真空のドキドキ感と、無重力のワクワク感ってあるじゃないですか」
「私とは関係ない世界です」
「──まさかと思いますが、もしかして衛星外に出たことないんですか?」
「ありません」
いるんだな、こういうヒト。せっかくこんなところにいるのに、水産棟にかじりついて研究するだけ。一歩踏み出せば、真空と無重力の宇宙だということさえ頭にないのだろうか。結局こいつにとっては、地上だろうが宇宙だろうが、水のないところは興味が及ぶ範囲外なのかもしれない。しかし、だ。
「それなら、なおさらです。ボクのプランを理解してもらうためにも」
「ですから、それは無理だと──」
「桃山さんには分かっていただきたいんです!」
強引に引っ張ると腕の力が抜けた。抵抗を諦めてくれたようだ。低重力区の通路を選び、半分飛ぶように1号トヨウケに向かう。外に出慣れたオレが付き添いなら、古い方のエアロックから外に出るくらいはフリーパスだ。
プリ・ブリージングの時間はないし、外での作業もないので、彼女には手足の動かない1気圧の船外服を着せる、というか乗せてやる。オレの方は通常の船外作業服を着て、彼女の命綱となるテザーをリングに通した。
「ただ外に出るだけですから、緊張しなくていいですよ。船外服を着て宇宙に浮かぶのは、浮き輪つきで海に浮かぶのと同じです。もし何かあっても、すぐにボクが助けますからね」
ヘルメットのなかでコクンと頷いてくれた。よしよし、度胸が据わってるのは良い。いちおう地上訓練は積みましたって程度の素人は、アレコレ説明して怖がらせるより、環境に慣れさせた方がかえって安全だ。一説では「いきなり宇宙空間に放り込まれて、あ然としているだけ」らしいが、細かいことは気にしない。
考えさせる間を置かずにエアロックを通り、宇宙へ出した。
漂う彼女をつかみ、地球に向けて浮かべなおす。
しばらくは声を掛ける必要もない。
黙って視界に入れば、そこにいると分かる。
月の中に彼女が浮いてる。
なにもせず、浮いているだけの無重力は、このうえない快感だ。
ただ力を抜いて外の世界に身を委ねればいい。
プレゼンで使った「ムーン・リバー」が頭のなかでリフレインする──。
「木桜くん」
「え、もう飽きました?」
「月も見せてください」
重力から開放されて、血液が頭に上がったのだろう。彼女は少しボーッとした声になっている。
肩を一回つついて、ゆっくり回してやった。月。衛星。地球。以下リピート。
「これが本物の無重力なんですね」
「どこかで偽物の無重力に会いました?」
「往復の船は期待はずれでした」
「ああ。それどころか、地球から上がってくるときも、降りるときも、地上より大きいGがかかりますもんね。宇宙といっても、人間がいるところは意外と無重力ってわけにはいかないもんです」
「この感覚でお湯に浸かれたら気持ちいいでしょうね」
「宇宙温泉は浴槽にお湯を貯めるために遠心力がかかりますけどね」
「木桜くん?」
声色に変化を感じて、何かトラブルが起きたかとヘルメットをのぞき込む──と、オオカミの目になっていた。やべぇ、間違えてスイッチ押したらしい。
「遠心力はかかりますが、水に入ってしまえば浮力もかかります。地上のお風呂や海で人間が浮けるのと同じように、低重力下でも塩分濃度を上手に設計すれば浮く感覚があるはずです。水産棟の養殖施設に行けば、低重力下で生きる魚も見られますが、これなら木桜さんにも分かりますか」
度胸が据わってるどころか、いつもと変わらねえ。
「まいりました」
「木桜さんの温泉は低重力ブロックに作りましょう」
宇宙温泉があっさり了承された。外に出るとオオカミも思考能力が落ちる。
「桃山さん、温泉づくりに反対してましたけど、温泉自体は好きなんですね?」
「はい、地元にもあります」
「水産好き、温泉好きときて、さっきのプレゼンに出てた旅館ってことは、桃山さん北海道の東側ですか?」
「ちゃんと聞いてたんですね」
「そりゃ、もちろん桃山さんのアイデアですから真剣に聞いてましたよ。ところで、あっちの方って混浴も多いんでしたっけ」
「──作らせませんよ」
たぶんオオカミの目になってる。
「え。いやいやいや、そういうわけじゃないんですが──。ちょっと基本的なことを忘れてたって、いまさら気付きました。家庭用と違って、温泉施設のお風呂って二つ作らなきゃいけないんですね。男風呂と女風呂と」
「そうですね」
「つまり、桃山さんとボクの両方とも必要なんじゃないですか。さっきまで二者択一の勝負なんだと思いこんでました」
「勝負ですか」
「アハハハ、それより見てください。ご希望の低重力ブロックが回ってきましたよ。あそこなら空調配管も近いし、他と重ならないので眺めも良さそうです。どんな感じで温泉を設置するのが良いか、想像で検討してみてください」
「分かりました」
彼女は工学的に考えるのだろうか。オレは知識がないので心眼で想像してみる。二つの温泉が並んで回っている様子がぼんやりと浮かんだ。
「どうですー? 見えましたかー?」
「はい、交差角60度で並列配置になっていました」
細かいね、おい。