そこにある悪意 2
穏やかな口調だが咎める響きは忘れていない絶妙な口調でクローディアが姿を見せた。
その隣には絶世の美少女が困ったようにほほ笑みながら立っている。
少し怒っているのか恥ずかしがっているのか、頬はバラ色で目は潤んでいて、絶妙な色香が漂っていた。
三人の令嬢の目はそんなホノカに釘付けた。
あまりにもタイミングが良すぎてアリスは笑い声を上げそうになって慌てて扇で口元をかくした。
カエルを踏み潰したような声がほんの一瞬だけ漏れてしまったが何とか堪える。
「まぁ、クローディア様におかれましてはご機嫌うるわしゅう」
一分の隙も無い高貴な方に向ける挨拶の所作に慌てて三人の令嬢が後に続く。
「彼女たちの仕事の邪魔をしてはいけないわ」
ちらりと掃除中の侍女に目を向けるクローディア。
意訳:さっさと退散しろ。
「そ、そうですわね。御前を失礼させていただきますわ」
そそくさと去っていく令嬢たちの背中を見送ったクローディアはじろりとアリスを睨みつけた。
「貴女は何を好き勝手に言っているのかしら?」
「いったい何のことやら……」
可愛らしく小首をかしげて考えるふりをするアリス。
「ひどいです~」
ホノカはアリスを睨みつけるが迫力はない。
しかしうっすらと頬を赤く染めて潤んだ目で睨まれると違う意味で迫力があった。
むしろやばい方向へ目覚めてしまいそうなのでアリスはそっと彼女から目をそらした。
「約束のお時間よりまだ早いと思うのですが……何かありまして?」
「……その口調、なぜかムカつきますわ」
クローディアが王太子の婚約者らしからぬ口調でぼそりと呟いた。
「アリス姉さん……本物の貴族みたいです」
「あ~、うん、とりあえず話の出来る場所に行こうか」
いつものようにアリスはにっ、と笑って見せた。
ホノカの元勉強部屋まで来ると、アリスは大きく息を吐いた。
「いやぁ、意外なところで会うものだね~。二人がいるからびっくりしたよ」
「驚いたのはこちらの方です。何なのですか、あれはっ」
「あれとは?」
「あ、あんな……嘘ばかり並べてっ」
顔を赤くしながら恥ずかしそうに怒るクローディアから落ち着きを取り戻したホノカに目を向けた。
「いつからいたの?」
「多分、姉さんが来る前から。あの三バカトリオ、声がでかいから風下にいると筒抜けなんだよね」
ホノカ達もあの場所を通るために歩いていたのだが、悪口が聞こえてきたのでやり過ごすために隠れていたのだ。
そこへアリスが登場し、三人に絡みはじめたというわけだ。
「それよりアリス姉さん、愛玩動物ってなんですかっ!ペットじゃないんですからやめてくださいよ」
「そうですわっ、私と王子に可愛がられているだなんて……」
クローディアもホノカの言い分に便乗して怒り始めた。
「ええ~、けっこう親身になっているから可愛がっているのも間違っていないでしょ。それにクリス王子だってホノカに激アマじゃない」
「あなたっ、わかっていてわざと……」
王子は第一王子と第二王子の二人で、アリスはどっちとは言っていない。
話の流れで彼女たちが第一王子と勘違いしたとしても、アリスの知ったことではない。
「王太子殿下なんて一言もいってないし」
クリス王子とも言っていない。
「アリス姉さん、わざとですね……わざとああいう言い方をして誤解させましたよね?愛玩動物はともかく雌犬って……」
「ホノカちゃんってペットに例えれば性別は雌の子犬って感じだよね」
「端折りすぎて別物になってましたよ」
クローディアの突っ込みにアリスはくすりと笑った。
「貴族のお嬢様って案外、下世話なのね」
「貴女がそれを言いますの?」
じろりとクローディアが睨みつけるが、アリスは素知らぬ顔だ。
「それよりアリス、貴女のその所作はどこで身に付けたのです?彼女たちよりよほど貴族の令嬢に見えましたわ」
最高の誉め言葉にアリスはちょっと目を丸くさせてからほほ笑んだ。
「お父様に教えてもらったの。うちの父は貴族の次男坊なんだけど、わけあって絶縁中」
「えっ、じゃあおじさんはドット伯爵?」
「婿養子に入ったから名字が変わったの。ドットは母さんのほう。ちなみに商工ギルドの人たちとかは知っているけどタブーだから誰も口にしないよ。調査書に載ってた?」
「い、いえ……まさか、本当に?」
「さすがに父さんの実家までは調べなかったんだ」
クローディアの反応から推察したアリスはふむふむと頷いた。
「当時、うちは母が祖父から継いだ食堂を開いていたんだけれど、お客がいなくて貧乏だったの。そんな母に夢中になったのが貴族の次男坊だった父。当然、父の実家は大反対で、家出同然に飛び出して結婚した父を絶縁したというわけ」
「ほわぁ~、本当に大恋愛だったんですね……。ロマンス小説そのまんまじゃないですか」
ざっくりと話すとロマンスだが、細かく話すとなぜかバイオレンス小説になるのでそこは割愛だ。
「私は絶縁してないから、ちゃんと礼儀作法を勉強してから父方の親族と会ったよ」
「そうでしたの……。納得ですわ」
最初の出会いから、アリスの礼儀作法は完ぺきだった。
それを教えられるアリスの父というのはかなり高位の貴族だと推察される。
裕福で高位の貴族ならば金目当てかもしれない貧乏な平民の女と結婚すると言い出す次男坊を絶縁してもおかしくない。
一度だけ顔を合わせたドット氏を思い浮かべながら顔の特徴を高位の貴族と照らし合わせ始めた時だった。
「クローディア様。この件に関しては知らないほうが御身のためですわ。あの父の親族ですのよ?」
まるで貴族の令嬢のようにアリスは扇越しににっこりとほほ笑んだ。
まさに特定しようとしていたクローディアは冷や水をかけられたように小さくぶるりと体を震わせる。
「貴女の言う通りですわね。失礼な事をしたわ」
クローディアはすぐに自分の非を認めた。
彼女の父親の実家を特定したとして、それが自分とは全く関係のない単なる興味本位な覗き趣味だという事に気が付いたからだ。
アリスは貴族の笑みをやめて下町の娘らしい雰囲気でほほ笑んだ。