長い一日 8
ドット商会はまだまだ新興で小さいとはいえ、その財力はもはや商会の中でもトップクラスだ。
成り上がりと陰口を叩かれようともその事実は誰もが認めている。
「ほう、さすが今を時めくドット商会の家だな」
「昔没落した貴族の屋敷だったらしいですよ。これでもこじんまりとした物件を選んだんです」
金持ちになるとそれなりに大きな屋敷に住む必要がでてくるのだ。
泥棒、強盗対策はもちろんのこと、大事な書類や贈り物を保管する場所、社交場へ出るための衣服や宝飾、とにかく商会が大きくなればなるほど物も貴重品も増えていく。
「ほわぁぁぁ、アリス姉さん、お金持ちです」
「否定しないけど、数年で金持ちになった成り上がりだからねぇ、広いと落ち着かないのよね」
この辺りでは一番小さな屋敷だが、ホノカにはわからない。
日本の住宅事情を考えれば十分に豪邸だ。
「ただいま~」
アリスが声をかけると、メイドが血相を変えて慌ててやってきた。
「お嬢様!ご無事でしたか……」
「えっ、なにそれ。何かあったの?」
「あったのはお嬢様です!今までどちらにいらしたんですか?朝早く第二店舗に顔を出したあとどこか行かれて、昼前に戻っていらしたかと思ったら貴族らしき方と一緒にどこか行かれたと聞いて一同心配しておりました」
状況だけ聞くと確かに心配だ。
特に、貴族らしき人と一緒という部分にみんなが心配するポイントがある。
チンピラでも兵士でも浮浪者でも不審者でもなく、貴族。
アリスの生活の中で一番接点のない人種だ。
「あー、うん、みんなに大丈夫だって伝えてちょうだい。それとお客様が二人、今日からお泊りね。父さんと母さんを大至急、呼び戻して。あと、客間にお茶の準備ね」
「かしこまりました」
メイドは一礼するとすぐに行動に移る。
それを見送ってからアリスはくるりと二人に向き直った。
「まずは庭の散策、それから家の中を案内するわね」
建物の広さは校舎一つ分で、庭は校庭の半分くらいといったところだろうか。
「こ、この物件で小さいんですか?」
「ええ。正面玄関がせまいでしょ。貴族は社交界の世界だから、パーティーで人が集まった時に馬車が停められないと困るじゃない。だから本格的な貴族の館は正門から屋敷までの間が長いのよ」
「なるほど~。そういわれてみれば確かにそうですね。ここは駅前のロータリーみたいだし」
「うちは貴族じゃないから、これで十分。機能的な方がいいからね」
「でも警備兵がいるなんてすごいですよ」
「派遣社員よ。この世界にも警備会社があるの」
庭には三種類あり、庭園と裏庭とガーデンパーティーが開けるいわゆるお客様用の庭があった。
屋敷の中はいたってシンプルで、L字型だ。
短い方は裏方用で長い方が家族用だ。
裏方用には炊事場、洗濯場、物置部屋、そして使用人部屋がある。
家族用にはちゃんとゲストルームがあり、ホノカとジャックはそこに案内された。
「この部屋が一番いいと思うの」
部屋の隅に小さな戸棚があり、中央に丸いテーブルがあり、一人がけのソファーが三脚おいてあるだけのシンプルな部屋だ。
「この部屋をはさんで両隣に部屋があるんだけど、出入り口はこの部屋以外になくて、あとは部屋の中にある窓だけ」
「入り口はここだけなのか?」
今まで黙って辺りを観察していたジャックが口を開いた。
「ええ。右側が付き添い用の部屋で左側が主人の部屋」
「スイートルームみたい!」
「そこまで豪勢じゃないけど、なんちゃってスイートルームね」
部屋のドアを開けて中を見せる。
ビジネスホテルの一室を思わせる部屋だった。
10畳ほどの部屋にセミダブルのベッドが一つとクローゼットが一つ。
小さな鏡台も付いている。
ホノカの目が輝いた。
「なんてシンプルで素敵な部屋なのっ!ピカピカもなければ壊しちゃいけない美術品もないなんて!もうちょっと狭いとなおよかったけど!」
「だったら隣と交換すれば?一回り小さいよ」
「ジャック、私はそっちがいい!むしろ押入れがあったらそこがいいっ!」
「この世界にはネコ型ロボットはいないからね」
アリスがぼそりと突っ込みを入れる。
目を輝かせて涙を流さんばかりに喜んでいるホノカをみてジャックはどこかほっとしたような顔をしていた。
「ドット嬢には感謝しきれないな。ここまでご機嫌な聖女様を見るのは初めてだ」
生き生きとした表情をしているホノカ。
城で息詰まるような生活をしているうちに、愛想わらいしか浮かべなくなったという話をジャックから聞いたときは思わずほろりときそうになった。
「それから、僕の事はジャックでいい」
そういわれても貴族であるジャックを呼び捨てにすることは抵抗がある。
「僕は辺境伯の三男だが、王国の魔術師でもあることが優先される。だから名前で呼んで」
強力な魔法を使う王国の魔術師は騎士団や一般兵とは扱いが異なり、独立した組織だ。
他者の干渉を避けるために塔にこもり、普段はそこから出てくることはない。
ジャックも聖女の護衛という役目をもらう前は塔に引きこもって研究三昧の日々を送っていた。
俗世のしがらみを持ち込んではならないのが王国の魔術師だ。
「わかりました。ジャック様、でよろしいでしょうか?」
「ああ、それでいい」
ジャックは満足そうにうなずいた。
ホノカは二人のやり取りを息をひそめて見守っていた。
恋愛したくないホノカにしてみれば、攻略対象の興味がアリスに向かうのは大歓迎だ。
そのまま恋に落ちてくれればなおいい。
心の中で恋の神様に二人の恋愛成就を祈った。
誤字脱字の訂正をしました。