王子の受難
アリスはこれがクリス王子の適性試験であることを知っている。
王と宰相の手のひらで転がされて踊る王子を気の毒に思っても同情はしない。
彼は王子であり、その肩書にふさわしいだけの重責を担わなければならないからだ。
「……その仏頂面、やめていただけません?」
アリスの目の前にはクリス王子がいた。
今後の打ち合わせの真っ最中で、もちろんフェルナンも隣にいる。
しかしフェルナンはクリス王子の心情には興味がないようで淡々と話を進めていた。
「これが素だ。お前は……貴族の教育を受けていたのだな」
「クリス、今はその話は……」
「かまいません、フェル様。下民の私が貴族のまねごとをしているのが不敬なのでしょう」
なまじ完璧なまでの礼儀作法を披露しているので文句のつけようがない。
慇懃無礼もここに極まったようだ。
「いい機会ですから、王子様に質問させていただきます。私の何が気に入らないのです?」
王子は答えない。
フェルナンは視線を天井に向けている。
「聖女という役をこなすにあたって、クリス王子がコレではバレるのも時間の問題だと思いますけど」
アリスの視線に耐えられなくなったフェルナンはすまなそうに彼女に目を向けた。
「クリスには私の方からよく言い含めておくよ」
お前は父親か、と突っ込みたくなるのを我慢しつつアリスはフェルナンをじっと見る。
「やるからには完璧を目指すのが私のモットーです。懸念材料は王子だけです。大々的に公表した以上、このままでは聖女と王子の仲が悪いと知れ渡ってしまいます」
「別にかまわないけど」
「えっ」
さらりと返してきたフェルナンの返事にアリスのほうが拍子抜けだ。
「かまわない、のですか?」
「二人の仲が悪くて何か問題がある?」
アリスは困惑した。
「聖女は王子の婚約者候補ではないのですか?」
「あくまでも候補だし。それに険悪な方が君の安全も保障されるでしょう」
クリス王子の婚約者の座を狙う人たちから、とフェルナンが言外に言う。
「馬鹿馬鹿しいことを言わないでください」
アリスは呆れたようにフェルナンを睨む。
「大人の事情がある限り、王子と険悪だからなんてなんの保障にもなりませんっ、て、何を笑っていらっしゃるの?」
「いや、本当に惜しいなって思って」
仕事上のパートナーとしてアリスは申し分がない。
さすが若くして商会ギルドに名をはせただけのことはあると感心する。
「クリストファー王子」
アリスが正式な名で呼ぶと、クリスは面倒くさそうにこちらを見た。
「いい加減、八つ当たりはやめて大人になっていただけません?ホノカちゃんが私に懐くのも、王太子の
愛妾になるのも、当たり前です。それがわからないほど馬鹿ではないでしょうに」
ずけずけと物を言うアリスはもはや王子を王子と思っていない。
表面的な敬意すらもとっぱらっている。
クリス王子にとってアリスという異分子は理解不能の存在だった。
立場上、敬われることに慣れているが正面切って喧嘩を売られたことなどない。
学生時代だって裏で陰口は言われても、正面切って罵倒されることはなかった。
誰もがおのが立場をわきまえているので最高権力者のご機嫌を損ねたらまずいことぐらいわかる年齢ということもある。
彼の機嫌を損ねないように、学友という当たり障りのない距離感で。
だからこうやって女性が真正面から喧嘩を売ってくるという状況に考えが追いつかないのだ。
頭がいいといっても人生経験も浅く社会経験もない。
下町育ちの強かさも、社交界で培われる舌戦も、彼は強者の立場故にさらされることなく育ったのだ。
「ある意味、王子は純粋ですのね」
温室育ちの箱入り息子。
アリスは王子をそう評していた。
可哀そうな王子。
宰相達の話を聞いてしまったせいもある。
だからほんの少しだけ、まだ大人になり切れていない彼の背中を押してあげようと思った。
周りの思惑に踊らされていると気が付いていない彼に。
すべてが幻想の上に成り立っている事に。
そのことに気が付いて、きっと初めてホノカの現状を理解することができるのだろう。
アリスの目標は現実が見えていない王子に現実に戻ってもらってホノカに謝ってもらう事だ。
土下座で。
一国の王子に。
ものすごい目標である。
アリスはふと気が付いたようにフェルナンを見た。
「王子はたしか18歳でしたわよね?」
「まぁ、そうなんだけどね……」
「学校にも通われていましたわよね?」
「そうだね……」
「よってたかって甘やかした結果がコレですか……。突っかかってくるような人はいなかったんですか?」
「それがねぇ……幸か不幸か、デキる人が多かったんだよ」
将来をきちんと見通せる先見の明がある学友たち。
ちゃんと大人の事情も本音と建前も理解し、己の立ち位置をわかっている優秀な頭脳。
熱血漢もチャレンジャーもやんちゃ坊主も後先考えないイノシシ坊やも周りにいなかった。
ザ・青春物語、男の友情物語といったホノカが誤解しそうなラインナップを経験してこなかったのだ。
優秀な若者達のおかげで国の未来は明るいが、王子の成長には全く関係しないところが問題だ。
「お前たちはいつの間に仲が良くなったのだ?」
素朴な疑問といった感じに王子が聞いてきた。
素直な問いかけに思わずアリスとフェルナンは言葉に詰まってしまった。
純朴さをこじらせている王子は明らかに二人の仲の良さを誤解しているうえで嫉妬している。
もちろん男女関係ではない。
「仲のいい友達をとられた、みたいな?」
「アリス……」
的確な指摘にフェルナンは顔を覆い、クリス王子は憮然とした顔になる。
「何を馬鹿な事を」
「あ、違うの?じゃああれだ、友達になろうと目をつけていたのを横からかっさらわれたって感じ?」
今度は図星だったのか、王子の顔に朱がさす。
「少し口が過ぎるようだな、アリス」
フェルナンが注意するが、アリスは口の端をにっとあげるだけだ。
聖女の事を公表し、聖女の身代わりとなってしまった今、アリスを手放せるわけがない。
それがわかっているからこその傍若無人な振る舞いなのだ。
もちろんフェルナンもそれはわかっている。
なにしろアリスが言いたい放題になったのは、聖女の身代わりとなって公共の場に何度か顔を出してからだ。
代えがきかなくなってからアリスは猫をかぶるのをやめた。
少なくとも聖女の世話係担当だった者たちに対して、完全に素で接するようになった。
そしてあからさまに王子にケンカを売るようになった。
「本当に何を見ていらっしゃるのかしら」
扇を広げてわざとらしくため息をついて見せる。
「聖女の世話係はお友達ではありませんのよ?仕事仲間という言葉をご存知かしら?」
アリスの攻撃は容赦なくクリス王子の弱点をえぐる。
それはもう、フェルナンですらもう勘弁してあげてっと悲鳴を上げるくらいに。
しかしアリスは容赦するつもりはない。
万が一、王子ルートに入っていたら?
うっかりホノカがクリス王子にほだされて落ちてしまったら?
ホノカの将来のためにも、アリスは色々と足りない部分を鍛えてやると秘かに燃えていた。
手始めに、王子をいじめる悪ガキバージョンから。
次はささやかな意地悪。
メンタル面を思い切り揺さぶって叩きのめし、最終的には今までの自分がいかに視野の狭い男だったかを気づかせて過去の黒歴史にもだえ苦しんでもらう。
目標は高く、やってやれないことはない。
難しければ難しいほどに、手ごたえがあればあるほどに、アリスは燃えるのだ。
最終目標は土下座だが、それとは別の目標もある。
クリスを甘味党の党首、もしくは広告塔にして各国の王族に売り込むのだ。
外交を担うためにはお勉強だけができてもダメなのだ。
商人と同じ、交渉力とメンタルの強さが必要だ。
頭の出来はいいので、あとはその二つが備われば間違いなく外交担当になるはず。
アリスは聖女にあるまじき悪い笑みを浮かべてクリス王子を見る。
「……聖女というよりは悪役令嬢だろう、その顔は……」
ため息交じりにフェルナンがぼやいた。
アリスの夢は国内にはとどまらず、グローバルな展開まで視野に入れている。
もちろん経営者にふさわしく長期的な計画だ。
まずは中年になるまでに諸外国に甘味という存在を認識させ、認知されたら満を持して各王都に支店を展開。
自分は国内の地盤をしっかりと固め、今いる従業員に各支店を任せ、成長した我が子に国外の支店をとりまとめさせて実績をつませ、そして最終的には子供に仕事をすべて譲り、孫に囲まれて盤石な老後を過ごすのだ。
長期展望というよりは個人の生涯計画である。
「ああ、夢が広がりますわぁ……」
扇の陰でアリスはにやりとほくそ笑む。
しかしアリスはこの夢が根底から破綻していることに気が付いていない。
夫という存在がなければ子供は生まれてこないのだから。
恋人も縁談話もないアリスがそのことにいつ気が付くのか。
気づかないほうが幸せな事もあるのだ。