策に溺れた 1
実家の現状を知った翌日、アリスはグレイ小隊長の部屋へ呼び出された。
部屋の中に入ると、ランスロットのほかに客がいたらしく、アリスが入ると立ち上がってこちらを振り返った。
客の顔を見た途端にアリスのこめかみがぴくっと動く。
「ジャック様におかれましては魔法も絶好調のようでなによりでございます。私はホノカちゃんの特訓に付き合わされてぼろ雑巾もかくやといったところ」
アリスの舌も絶好調。
彼女が怒る理由もわかっているのでグレイたちは不敬な発言をスルーする。
ジャックは殊勝な面持ちでアリスの慇懃無礼な態度を甘んじて受けていた。
「とりあえず、座りましょうか」
このままでは暴力沙汰になると危惧したランスロットがアリスを促すと、彼女は大きく息を吐いて心を落ち着かせ、いわれた通りに腰をおろした。
「どうしてここにジャック様が?」
「報告と謝罪だ」
ぶっきらぼうな言い方だが、どうやら本当に悪いと思っているらしい。
「家の事だが、やりすぎた。……本当に悪いと思っている」
俺様気質なジャックが頭を下げたことにより、アリスは思わず体を引いてしまった。
「何かあったんですか?」
薄気味悪いモノを見るような目でジャックを見ると、困ったように彼は目をさまよわせた。
「……お前の両親と話し合って賠償の問題は済んでいる。今は僕の家だ」
さすがのアリスも予想外の話に自分の耳を疑った。
「ジャック様の、家?」
「正確には僕が買い取り、お前の両親に管理してもらっているという状態だ。屋敷の所有権以外は何一つ変わっていない」
「いやいやいやいや、そこが一番大きな問題でしょう。なんで屋敷の主がジャック様?」
思わずアリスは素で突っ込んでいた。
「修繕よりは買取りのほうが安い」
めちゃめちゃ現実的な理由だった。
「お前の家を買い上げて、更に別の家を買ってお前の両親にわたそうと思っていたのだが、頑として引っ越しを嫌がられてな……」
そこでジャックが遠い目をした。
「お前が帰ってくるまで愛の巣を離れたくないそうだ。別の愛の巣へ移るときはお前も一緒だと」
愛の巣などという単語をジャックの口から聞くとものすごい違和感だ。
鳥肌が立った腕を思わずさする。
「説得を試みたが……僕の手には負えなかった」
「デショーネー」
思わず片言になってしまうが、父の事を考えるとさもありなん。
あの屋敷に引っ越した日の事は鮮明に覚えている。
愛の巣という単語を連発して舞い上がっていた父を母と冷ややかに見守った。
合理的なジャックが最も苦手とする感情で突っ走る人種だ。
母がいてもおそらくは暴走する父は止められない。
「……人様の親を悪し様に言うつもりはないのだが……」
ジャックの眼差しに憐憫の色が混じる。
「苦労しているのだな」
「ぐっ……」
家が燃えたという話を聞くよりも胸にぐっさりと何かが刺さった。
「とりあえず、何とか人が住める状況なので問題はない」
「家の方からも話は聞いています。手紙も受け取りました」
ルークとジョンが報告してきてくれたので経緯は知っている。
「一瞬にして幽霊屋敷が出来上がったとか」
ジャックの視線がアリスから外される。
「私が帰ってくるまで幽霊屋敷を守り続けるとも書いてありました」
「なんだかすさまじい執念を感じますね」
ランスロットのつぶやきにジャックの顔色が心持ち悪くなり、アリスの目もどこか虚ろなものになった。
「普段の父はお人好しであまり物事にこだわらないのですが、愛する人に関することになると常識とは無縁の執念深さを発揮する危険人物な事は商工会はおろか闇社会にまで周知の事実ですので」
「どんな人なんですかっ」
思わずランスロットが突っ込みを入れるほどの言い草だ。
「お前は母親似なのだな」
ぼそりとグレイが呟いた。
規格外な父と一緒にされなかったことにアリスの心がほっこりとし、余裕が生まれた。
「まぁ、もとはと言えば行き過ぎた消火活動ということですので、私は気にしておりません」
さらりと嫌味を言う事は忘れないアリスだった。
「それで、火事の原因が魔術だと伺ったのですか?」
「あ、ああ。魔法と魔術の違いはわかるか?」
「漠然とですが、書き記したものを使ったものが魔術?」
「ざっくり分ければ、道具を使用しないのが魔法。道具を使うものが魔術だ。魔道具と呼ばれる道具を使うのも魔術に分類されるから、お前も日ごろから魔術を使っていることになる」
この世界には電気を使うという概念がない。
魔法で補えるからだ。
魔力を蓄える石がいわば電池のような役割をはたし、なおかつ何度でも充電可能という優れモノだ。
世の中には魔石に魔力を込める職業すら存在している。
「今回は紙に魔法陣を書いてネズミに貼り付け、屋敷に潜り込ませてから魔法陣を発火させるという手口で放火だ」
魔法陣の仕組みやどういった能力が組み込まれていたかについての説明はなかったが、経緯が分かればアリスには十分だ。
爆弾を知っていても爆弾の仕組みに興味はないし、知ったからといって一般市民には無用の長物だ。
「魔法陣から相手は特定できたのでしょうか?」
陣の書きかたは字と同じで人それぞれに癖があり、組み方は流派の特徴が出る。
変なところに詳しいアリスにグレイたちは首をひねる。
彼女は商人であって軍人ではない。
が、日本人の記憶の中には刑事ドラマも存在していた。
故に無駄に知識が広い。
「個人は無理だが、関係する組織のめぼしはつき始めている」
ジャックの答えにアリスはあいまいな笑みを浮かべて頷いた。
「なんだ?言いたいことがあれば遠慮なく言え」
「……できればジャック様には父の暴走を止めていただけたらなぁと」
男三人は不思議そうな顔をしている。
「最悪、単身で乗り込みそうで怖いんです」
「まさか。一般人に組織の特定など無理だ」
自信たっぷりにいい放つジャックにアリスは困ったように笑った。
「一応アレでも人脈だけはすごいんです。貴族、商工会ギルド、裏社会に冒険ギルドに友人知人がいますから」
「完璧な人脈ですね」
変な方向でランスロットが感心する。
「しかも父を怒らせたらどうなるか知っている人たちなら、絶対に父に情報を流します」
流さなかったら恨まれるから。
延々と、恨まれるから。
しつこいを通り越して執念深く恨まれるから。
泣いて謝って後悔も反省をしても恨まれ続けるから。
「……参考までに聞くが、御父上の腕っぷしはどうなんだろう?」
「母は有名な徒手拳使いに見込まれるくらいですが、父は平凡だと思います」
オヤジ狩りにあったら狩られてしまうくらいには。
「ただし……」
アリスは困ったように笑いながら空中を見上げた。
「打たれ強さには定評があります」
なんだそれは、と心の中で突っ込みを入れてもしょうがないだろう。
アリスは小さくため息をついた。
「父と母のなれそめなんですけどね……」
いきなり始まったアリスの鉄板ネタ。
自分をぼこぼこにした女に惚れた男がボロボロになりながらもストーカーを続ける。
軽いホラーだ。
ハリウッドなら映画の一本が作られてしまうかも、な壮絶な馴れ初めを聞いてしまった男三人の顔には、聞くんじゃなかったという後悔が見事に浮かんでいた。