お嬢様の不在 5
時間的に、アリスが食堂で暴れた次の日の朝です。
食堂を大破したお詫びにきな粉餅を差し入れるというアリスからの無茶ぶりのせいで、朝からてんてこまいの従業員達だった。
ルークが先陣を切って一生懸命に餅をついていると、アリスの母、ティナがやってきた。
「誰かジョンを呼んで来い。おば……奥様、なにかあったのか?」
昨日の火事は通りがかりの魔法使いのおかげで人的被害はなかった。
「何かって、まぁどっかの馬鹿のせいで眠れる狂人が目を覚ましたってことくらいかしら」
「それ、一大事じゃ……」
アリスの幼馴染であるルークは、ドット家長ジギルの異常性を目の前で見たことがある数少ない人物だ。
「ものすごく精力的に動き出したわよ」
遠い目をしながらティナが答えると、ジョンがやってきた。
「呼んだか?ああ、ティナさん、来たんだ」
懲りないルークはおばさん呼びをしては何度もげんこつをうけ、最近はようやく奥様と呼ぶようになってきた。
ジョンは昔から要領がいいので、ティナさんと呼んでいる。
「前々から思っているんだけど、あんたたち、呼び方を統一しなさいよ。あ、今はそんな事よりも大切な話が有ったんだわ」
ティナは困ったように二人を見た。
「今日、騎士団に差し入れしに行くんでしょ?」
「はい。アリスから頼まれたので」
「悪いんだけど、アリスには火事の事、秘密にしてくれないかしら」
「なぜ、と聞いても?」
ジョンが聞くとティナはちょっと言いづらそうに二人を見た。
「余計な心配をかけたくないの」
娘思いだがそこまで殊勝な性格ではないことはよく知っているジョンは返事の代わりに質問をする。
「本音は?」
「………………今回の件、騎士団が絡むことになったの。顔を突っ込んで引っ掻き回してほしくないのよね。それでなくてもあの人がやる気になっているわけだし」
「ああ…………ですよね、わかります」
ドット家で一番まともな常識の持ち主はたぶんティナだ。
旦那の暴走を抑えるために動くため、娘の暴走までは付き合えない。
だから手綱が握れないなら余計な情報をアリスに漏らすなという釘を刺しに来たのだ。
「あれ、でも騎士団案件なら、そこにいるアリスの耳にも入るんじゃね?」
ルークが気が付いたと言わんばかりに口を挟む。
何しろ、アリスが今いるところは騎士団の訓練所なのだから。
「あっちはあっちで開店令だか開口令を敷いているらしいわよ」
「それを言うなら戒厳令と緘口令です」
ジョンがきっちりと言い直す。
ルークは鼻の頭をかきながらティナを見た。
「で、どこのどいつに喧嘩を売られたんですか?」
「もう、ルークは相変わらずね。正確にはアリスの喧嘩なんだけど、家に手を出した時点で旦那の喧嘩になったから」
ほんの少しだけ意味ありげにティナが笑う。
「ああ、それで旦那様がやる気になったと」
「久しぶりに暗黒面に落ちているわよ」
ルークとジョンの顔がひきつった。
「……とばっちり、大丈夫っすか」
「それなら問題ないわ。ちょうど出がけにハロルドが帰ってきたから、彼をお目付け役につけることにしたの」
ジョンとルークがアリスの右腕と左腕と称するのなら、ハロルドはアリスの頭、ナンバー2だ。
「あー、なんつーかご愁傷様?」
「後でこちらに顔を出すって言っていたから、ねぎらってあげてね?」
「「ウッス」」
ナンバー2なのに、扱い的にはひどいような気もするが、そこは突っ込んではいけない。
ドット氏の手綱を握るなんてそれなんて罰ゲーム?
絶対に関わりたくない。
「私も騎士の人にアリスに言うなって命令されているから言わないけど。そうねぇ、さすがに騎士に言われて今日明日にうっかり口を滑らせるわけにもいかないし……」
「じゃぁ業務報告のついでに俺たちがうっかり口を滑らせてくる」
ジョンが言うとティナはにっこりと笑った。
「それと今回の差し入れ分の料金はアリスの給料から引いて、従業員達にわけておきましょう。後はよろしく」
ティナが帰っていくと、ルークとジョンは顔を見合わせてため息を一つついた。
「あの人、今度は何に首を突っ込んでんだろうな」
「それを言っても始まらない。アリスに報告するのは、ハロにあってからでいいだろう」
「だな」
ルークはそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。
「あいかわらずあの人のそばにいると、退屈しないねぇ」
「そうだな。余計な事を考えずに済むから、ありがたいよ」
「で、家が燃えたことはいついうんだ?」
「ティナさんが言ってただろ。明後日以降だ。業務報告のついでに言えばいいさ」
どっちがメインだがわからない言い草にルークは楽しげに笑った。
「それじゃあ、もうひと踏ん張りするとしますか」
「早く終わらせないと、昼になっちまうな」
アリスの無茶ぶりを達成すべく、二人はきな粉餅の量産に戻るのであった。